November 9, 2016
ブログを書いていて、自分の語彙の乏しさや国語力のなさを感じる。今日の朝日新聞の「ことばの広場」というコーナでは、言葉の変化を取り上げていた。(上)とあるので明日も続くのだろうが、日頃考えていることを言い当てているようで、面白かった。少し引用すると、
私たちは、一人一人が日本語という言語の使い手です。しかし、世代や地域など、育った環境の違いによって語彙の種類や数が異なりますし、言葉に関する知識や好みもまちまちです。これを個人言語と呼びます。
言葉の正誤の捉え方は、それぞれの言語感覚によるところが大きいということに、まず注意を向ける必要がありそうです。(朝日新聞 2016年11月9日)
とある。その通りとうなずき、書く者の立場に立った言葉だと思った。私が今携わっている点訳では、校正が大きな分野を占めている。原文を点訳した際の語句のミスや言葉の把握の間違いなどを指摘されたり、したりする。これはこれで頭の体操になるが、私が書いているこの短い、つたないブログとは、もしかしたら正反対の立場にあるのかもしれないと感じることがある。文を書くという営みは心に比重が大きくかかっているので、正しいい言語といったことにこだわり出すと筆が進まなくなってしまう。私は、人に指摘されたりどこかで自分の言葉の使い方の誤りに気づけば、訂正したり知識として頭に刻み込むが、国語の勉強をしようとは思わない。少々の誤字や使い方の誤りよりは全体の響きを重んじたい。素人が勝手気ままに書いている「ブログ」の良さは、そういったところにもあるのではないか。いささか手前勝手なものいいかもしれないが、新聞の記事から思い浮かんだことだ。
今日はアメリカの大統領が決まる日だ。いろいろ取りざたされていることは別にして、大国の大統領となるとやはり関心がある。お昼ごろには決着するとのこと、テレビにくぎ付けになりそうだ。
画像は、妹のメールから、「のこんぎく」。