孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

脅威を封じる魔よけ札。

2015年07月26日 | 日記
昔、「キョンシー」という中国版ゾンビが流行った時期があった。硬直した死体の妖怪なので、両手を前に伸ばして、死臭を撒き散らしながらぴょんぴょん撥ねて移動し、臭いで人間を見つけては生血をすする化け物だ。生血を吸われた人は同じようにキョンシーとなる。

  

この妖怪は、霊験あるお札を額に貼ることで、コントロールが可能だそうで、その霊験がキョンシーの動きを封じる。





国会周辺で演台に立って群衆を煽る方々は、「憲法九条のお陰で、日本は平和を守れた」というようなことを繰り返す。群集も、「九条守れ!」などと書かれたプラカードを掲げたりしている。

日本国憲法第九条は、第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。

昔、著名な哲学者の田中美知太郎氏が何かの論文で、「・・平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというようなものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない。・・」と書いていたそうだ。

田中先生が今御存命なら、キョンシーに因んで、平和を維持するため「憲法九条」と書かれたお札を日本の全家屋の玄関に貼る事を提言するかもしれない。




如何でしょうか? 平和主義者団体の皆様、日本中の神社にお声掛けをして、「憲法九条」と印刷された魔よけ札を販売するよう、デモ行進されては・・。



あるいは、こんなキョンシー人形を中国で外注生産させ、国会周辺で販売して活動資金を得る手段としては・・。私は著作権など放棄しますから、是非ご一考を!

抵抗派、70%。

2015年07月26日 | 日記
共同通信社が5~6月に実施した戦後70年世論調査で、国民の多くが平和憲法の存続を願っていることが鮮明になったそうだ。

「安倍晋三首相はこの結果を真摯(しんし)に受け止め、憲法を破壊する安保法案の成立を断念すべきだ。」と鼻息が荒い。

この世論調査の中の設問が面白い。面白いというのは、滑稽で笑ってしまう、と言う意味で面白い。「共同通信社とこの記事を垂れ流す多くの地方紙」の程度がよく分かる事象だと思う。

その設問とは、「仮に外国が日本を攻撃してきた際、どう対応しますか」というもの。
結果は、「非暴力で抵抗する」が41%、「武器を取って戦う」の29%、「逃げる」16%、、「降伏する」7%、だったそうだ。

つまり、武器を取るにしろ、取らないにしろ、「侵略に抵抗する」と回答した人が、合計70%いて、侵略者とは戦わず、「逃げる・降伏する」人は、23%いるという結果だったわけだ。

この人達「日当」もらってるんですか?


戦わずして、逃げたり降伏したりすると回答した人が23%いたとは、日頃の世論操作の賜物だと思うが、この通信社は結果に満足せず、こう結論付けていた。

「非暴力で抵抗する、逃げる、降参する」を合計した、非交戦派は64%に上り、「武器を取って戦う」の29%を上回る。安倍政権が目指す「戦争のできる国」を国民は拒否していると見るべきだ。

・・・・そうか??



どうせなら、設問をこう改めて、もう一回調査したらどうだ。

あなたは、仮に外国が日本を攻撃してきたらどう対応しますか?
1) 武器を持って戦う。
2) 何でも言う通りにして、土下座して、命乞いをする。
3) 自衛隊に助けを請う。
4) 法華太鼓を打ち鳴らして、「戦争ハンタイ」と連呼する。
5) 憲法9条を示して、話合いで解決する。


衆を恃(たの)む、態度。

2015年07月26日 | 日記
今朝の朝刊一面に曽野綾子氏の「小さな親切、大きなお世話」というコラムが掲載されていて、「総じてこの頃は、テレビも新聞の表現も、大げさでやかましいものが多い。」と苦言を呈されていて、痛く同感した。

試しに新聞などのテレビ番組欄を見てみるといい。「!」や「!!」いわゆる、びっくりマークの付いた番組タイトルが、むやみに多いと感じないだろうか。朝から晩まで、何と視聴者を驚かす番組作りに徹していることだろうか!!

続けて曽野女史は「この頃のテレビや新聞の論調は、答えを相手に押し付ける。」これは、ああだ。」「あれは、こうだ。」「総理は間違っている。」という結論を押し付けるのである、と述べる。

これまた、仰るとおりで、ブログを書きながら怖いもの見たさで、チャンネルを合わせている日曜朝の報道番組を見ると、相変わらず草々たる「お抱えコメンテーター」を従えた役者崩れの司会者が、順番にその先生方を指して、政府批判を言わせている。どれもこれも、新鮮味のない体制批判をパクパク言って、押し付けがましい流れの番組だ。



放送事業者が守るべき、放送法第4条には、「政治的に中立であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とあるが、一体この番組は、この法律には違反していないと言えるだろうか?実に酷い世論誘導番組だと感ずるが。

さらにコラムは続けて、マスコミ媒体の使命について、「国民の判断の資料になる事実を豊富に提供すること」であると、提言している。天気予報を伝えるのはいいが、「傘を持って行け」だの、「羽織るものが必要だ」とかいうのは大人に対する配慮ではない、と喝破する。最近、私もテレビの気象予報士のお兄さんが、「今日の洗濯は、部屋干しで」と忠告しているのを耳にして、「へぇー!そこまで言うか?」と感心したことがあった。

曽野氏は、最近流行の番組スタイルについても、手厳しい指摘をされていて、これまた至極同感させられる。それは、スタジオの「雛壇」に何人もの出演者を座らせ、みんなで笑ったり。同調させたりする手法で、こうした「衆を恃む」態度は、番組制作者の自信のなさの表れだ、と切っている。



私も以前から感じていたことで、これは番組制作者の自信のなさというより、能力のなさ、と言うべきだと思う。独創性の微塵も感じさせない番組が多すぎて、テレビ離れを益々加速させる大きな要因となっているのではないだろうか。

国会周辺では、相変わらず、他愛のない紋切型のフレーズを法華の太鼓に合わせて連呼する集団がいるだろうが、「日本はもう少し静かに抑制して己を語る国になってほしい。」

コラムはこう締めて終わっていた。