孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

日本人よりも日本が好き、テキサス親父

2015年07月30日 | 日記
40年近く前の若いとき、私は3ヶ月ほど米国のオレゴン州の小さな田舎町にあるりんご農家でアルバイトをして小遣い稼ぎをした。

その町はりんごとか桃などの果樹園が多く、秋の収穫時期にはメキシコ人や、アメリカ人のヒッピーが収穫のアルバイトをするために集まってくる。どこの果樹園にもそういう臨時雇用の人たちの住居として、掘っ立て小屋とかトレーラーハウスという自動車で引っ張って移動できる簡易ハウスが設置されている。

私も一人用の小さなトレーラーハウスに住んで、収穫したりんごを入れる大きな木製の箱を収穫する連中のためにトラクターで配布したり一杯になった箱を回収したりする仕事をした。

収穫のピークが過ぎて暫くした頃、果樹園で仕事中の私のところに、ちょっと前にきれいな奥さんをもらったばかりの若い農場主が、ニコニコしながら走ってきた。

「ちょっと事務所まで来て見ろよ、面白い人を紹介するから。」と言うので、そのままトラクターを運転して事務所まで(と言っても彼らの住む家なのだが)、戻った。

そこには、50歳くらいの男性がいて何でも通りかかっただけだが、りんごを売ってもらいたくて立ち寄ったそうだった。農場主と話をしていて、日本の若者が働いているという話になって、会ってみたい、「そうか、呼んで来るからちょっと待っててくれ」となったらしい。

農場主は、彼をテキサスを出発して、全米を旅行中の方だと紹介してくれた。どういうルートで全米を廻るとか、どのくらいの期間を旅行するとかいう話を聞いて終わったのだが、この程度で、農場主がなぜ私をわざわざ呼びに来たのか、私は首をかしげた。

その彼が立ち去った後、農場主は、ニコニコして「どうだった?」と聞いてきた。私はそう言われても何のことか理解できず、「何のこと?」と聞き返した。

「彼の英語のアクセントはどうだった?」そう言われると、早口でよく理解できなかったので、正直に答えると、「彼のアクセントはテキサスのアクセントなんだよ。」と教えてくれた。テキサス訛りの英語を耳にしたのは初めてだったので、ただの早口のおじさんかと思ったのだが、西部の人達にはテキサス訛りの英語が少し滑稽に聞えるらしかった。農場主は、それを私に体験させたかったようだったのだ。

私のテキサスとの遭遇はその時が最初だったが、youtube を見始めて知ったのが、今話題の超親日派の「テキサス親父」こと、トニーさんだ。



日本のことが好きで好きでたまらないという、テキサス親父は最近よく日本にも来ていて、話題となる地方にも積極的に出没している。アメリカの地方都市でいわゆる「従軍慰安婦」の像が建てられると、現地に出向いて実況する動画を見せてくれたりもした。



右手に持った顔の書かれた紙袋を、慰安婦像の頭にすっぽりかぶせてしまうことも平気だ。さすがに、これには度肝を抜かれた。



ただの親日派だけに終わらず、米国で得られる貴重な公的資料を発掘して公表したり、市議会の公聴会で証言したりと、日本の名誉のために八面六臂の活躍をする名物親父でもある。

何といっても、彼の動画は当然すべて英語なので、日韓の問題などに無知なアメリカ人たちへのアピールにもなっているのは、重要なことだ。

靖国神社に行っても人気者の周りには人が集まってくる。思うところをズバッと単刀直入に主張するテキサス親父は今最も旬のアメリカ人といえるかもしれない。



そういえばあのキャロライン・ケネディ大使が皇居に就任の挨拶に出向いた際、「普段着を着ていった・・」と、バッサリ切り捨てるように指摘していた。字幕も出る動画は
「テキサス親父」と検索すれば簡単に見ることができる。是非一度観てほしい。



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