前の東京都知事の石原慎太郎氏は、最近元気だろうか?あの方が靖国神社を参拝したとき、マスコミがお決まりの「公人か、私人か?」と質問すると、石原氏は決って、「下らないことを聞くな!」と相手にしなかった。
また、定例の記者会見で、朝日新聞だったか、毎日だったか、若い記者が「今年は靖国神社を参拝する予定はあるか?」と質問すると、「当然、参拝する。」と答えた。「それは、私人としてか、公人としてか・・。」と言うと、「両方だ。君はどういう考えだい?」と逆に聞いた。
若い記者は、「意見は言えないので・・・」とか、ボソボソ言って躊躇していると、「君の会社では、自分の意見を言うと、くびになるのか?」と、催促した。記者は、「私人ならば問題ないが、公人としては問題が・・・」と言う意味の事を言いかけた時、「バカな事言うなよ、お前ら!どこの国の人間なんだ、貴様ら!・・・」と一喝して、その記者をたしなめた事があった。
自らを、「暴走老人の石原です・・・」と言って、笑わせる石原氏だが、こういう暴走老人なら、私は歓迎する。むしろ貴重な存在だと思う。
しかし、年金に不満があるといって、新幹線内でガソリンを撒いて焼身自殺をするような「暴走老人」は、社会の敵でしかない。
今や、日本人の4人に1人は、65歳以上の高齢者だそうだ。昼のスーパーに行けば、客の大半は高齢者であることは珍しい光景ではない。しかし、我々には、街に溢れる高齢者は、みな今日の日本を築いた方たちで、皆、経験豊富で、分別のある若者の範となる方たちだという、偏った思い込みがあるようだ。
「暴走老人!」(文芸春秋刊)の著者、藤原智美氏が、その中で語っている。「分別あってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは、暴力的な行動に走る。こうした高齢者を私は『新老人』と呼ぶ。」
さらに、「・・・身近でもかつてないほど、新老人が目につく。常識のタガが外れて怒鳴りちらす彼ら、無害だと見られていたお年よりたちの暴力、周囲とトラブルを繰り返す身勝手な年老いた人々・・・
・・・それは社会から見れば異物感をともなう不可解な世代に見える。つまりは、『暴走する新老人』である。」そして、著者は続けて、「・・・やがては自分も新老人の列に加わるという『不安』」が、私を衝き動かす。誰しもいつかは老人になるのだ。」と、心情を吐露していて、この部分、特に共感を持った。
精神科医師の和田秀樹氏の「困った老人と上手につきあう方法」(宝島社新書)によると、人間の脳の老化は、まず「前頭葉」から始るそうだ。そして、この「前頭葉」は人間の理性を司る場所で、「この部分が最初に衰えると、感情を抑制する、様々な欲求を我慢する、社会のルールに従う、あるいは相手の気持ちを慮るというような、人間として高次の機能のコントロールがしにくくなるということが起こる」という。
さらに前頭葉の老化は、性格を先鋭化することになるそうだ。つまり、元々頑固な人が益々頑固になったり、元々猜疑心の強い人が、益々つよくなったりするという現象だ。
この早ければ40代から始まるという、前頭葉の老化を防ぐ方法はあるのだろうか。和田氏によると、意識して前頭葉を使う生活をすべきだという。「ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの感情体験を楽しんで前頭葉を刺激すればよい。新しいこと、未知の体験にチャレンジすべきだ」そうだ。
世の風潮として、老いは避けたいことであり、老人はリスペクトされない存在になっている現状では、「困った老人」や「暴走老人」は増え続けることは避けられそうもない。どうやら、日本は正解の見えない問題を提起されているようだ。
また、定例の記者会見で、朝日新聞だったか、毎日だったか、若い記者が「今年は靖国神社を参拝する予定はあるか?」と質問すると、「当然、参拝する。」と答えた。「それは、私人としてか、公人としてか・・。」と言うと、「両方だ。君はどういう考えだい?」と逆に聞いた。
若い記者は、「意見は言えないので・・・」とか、ボソボソ言って躊躇していると、「君の会社では、自分の意見を言うと、くびになるのか?」と、催促した。記者は、「私人ならば問題ないが、公人としては問題が・・・」と言う意味の事を言いかけた時、「バカな事言うなよ、お前ら!どこの国の人間なんだ、貴様ら!・・・」と一喝して、その記者をたしなめた事があった。
自らを、「暴走老人の石原です・・・」と言って、笑わせる石原氏だが、こういう暴走老人なら、私は歓迎する。むしろ貴重な存在だと思う。
しかし、年金に不満があるといって、新幹線内でガソリンを撒いて焼身自殺をするような「暴走老人」は、社会の敵でしかない。
今や、日本人の4人に1人は、65歳以上の高齢者だそうだ。昼のスーパーに行けば、客の大半は高齢者であることは珍しい光景ではない。しかし、我々には、街に溢れる高齢者は、みな今日の日本を築いた方たちで、皆、経験豊富で、分別のある若者の範となる方たちだという、偏った思い込みがあるようだ。
「暴走老人!」(文芸春秋刊)の著者、藤原智美氏が、その中で語っている。「分別あってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは、暴力的な行動に走る。こうした高齢者を私は『新老人』と呼ぶ。」
さらに、「・・・身近でもかつてないほど、新老人が目につく。常識のタガが外れて怒鳴りちらす彼ら、無害だと見られていたお年よりたちの暴力、周囲とトラブルを繰り返す身勝手な年老いた人々・・・
・・・それは社会から見れば異物感をともなう不可解な世代に見える。つまりは、『暴走する新老人』である。」そして、著者は続けて、「・・・やがては自分も新老人の列に加わるという『不安』」が、私を衝き動かす。誰しもいつかは老人になるのだ。」と、心情を吐露していて、この部分、特に共感を持った。
精神科医師の和田秀樹氏の「困った老人と上手につきあう方法」(宝島社新書)によると、人間の脳の老化は、まず「前頭葉」から始るそうだ。そして、この「前頭葉」は人間の理性を司る場所で、「この部分が最初に衰えると、感情を抑制する、様々な欲求を我慢する、社会のルールに従う、あるいは相手の気持ちを慮るというような、人間として高次の機能のコントロールがしにくくなるということが起こる」という。
さらに前頭葉の老化は、性格を先鋭化することになるそうだ。つまり、元々頑固な人が益々頑固になったり、元々猜疑心の強い人が、益々つよくなったりするという現象だ。
この早ければ40代から始まるという、前頭葉の老化を防ぐ方法はあるのだろうか。和田氏によると、意識して前頭葉を使う生活をすべきだという。「ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの感情体験を楽しんで前頭葉を刺激すればよい。新しいこと、未知の体験にチャレンジすべきだ」そうだ。
世の風潮として、老いは避けたいことであり、老人はリスペクトされない存在になっている現状では、「困った老人」や「暴走老人」は増え続けることは避けられそうもない。どうやら、日本は正解の見えない問題を提起されているようだ。