浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

チェルノブイリのお話と音楽の会

2009-10-11 04:20:54 | Weblog
10月10日(土)。朝の気温6℃。露霜が下りたかと思う程寒かった。
 朝食前に畑に行き、サツマイモのつるを切り畑の外に運び出して置いた。
 野沢菜のおろぬきを山のSさんが欲しいと言うので、株を切り落として束ねたら5束出来た。OKさんが運んでくれると言うので、連絡したら10時に車で来て呉れた。お茶を飲みながら、同級生の話などして行く。
 午後佐久の教育会館で佐久退職教職員9条の会10月例会が開催されて参加した。今回は「チェルノブイリのお話と音楽の会」である。お話と朗読は、諏訪中央病院の鎌田医師らのグループとチェルノブイリの子どもたちの支援活動をしてこられた 力丸邦子さんにしてもらい、フルートとピアノの演奏を上田市の小林文枝さんにして頂いた。音楽を交えての語りは大変感動的であった。原子力発電所の事故による被害者たちの苦しみが伝わってくるようだった。特に子供さんたちの悲惨な被爆による甲状腺がんなどの様子が、かわいそうでならない。支援活動で大切なことは、優しく接してあげることであるが、決して元気を出してとか元気でいてくださいなどという言葉を言わないようにすることだと言う。あくまでも支えてあげることであり、話し相手になってやることでしかないと言うのである。力丸さんに立科にも来ていただいてお話を皆さんに聞いてもらいたいと思った。
 会の後今後の活動について打ち合わせをして、方向を決めた。①国際反戦デーの会で朗読の出前依頼の件(10月24日)②県退教学習会への出前(1月23日)③韓国平和と友好の旅(2月15日~18日)④今後の例会の企画について⑤平和の為の手紙書きの件⑤9条シール・レターセットの普及についてなど事務局の提案を審議した。帰宅したら暗くなっていた。
 夜は篆刻の印遊会があり中央公民館へ行った。

「現代の貧困」と教育の役割

2009-10-11 00:01:28 | Weblog
10月9日(金)。朝の気温10℃。晴れ。
 野沢中学校を会場に、第36回佐久地区教育研究集会が開かれた。久しぶりに現職の皆さんと触れ合うことが出来るので、仕事も忙しいが参加した。 
 記念講演は反貧困ネットワーク事務局長で、NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長・「派遣村」元村長を務めた湯浅 誠さんがお話下さった。演題は「現代の貧困」と教育の役割・・・・・であった。マイクのせいか耳のせいか聞き取りにくいところがあったが、今若者を中心に職がなく、派遣切りがどんどん増えて、路上生活を余儀なくしている人たちがたくさんいることが話された。その若者が何とか職を得ようとハローワーク通いをしているが全く雇用が見つからず、所持金も底をついて人に話しかけることも無く、プライドを持ちながら餓死をしていくものが多いという。市町村の窓口に生活保護を申請に訪れても「若いのだから働きなさい」と追い返されてしまうのだそうだ。炊き出しをすれば行列が出来、その並ぶ人の数がだんだん増えていく状況である。子どもたちの学校への授業料が納められないものも多くいて、教育の機会均等が守られない。この状況を何とかしなければならない。生活安定の為の市民運動は今こそ真剣に取り組まなければいけないのではないかと思えた。湯浅さんたちはそのための活動家を養成するためにNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」を立ち上げて若者を中心に活動をしているそうだ。力をつけたものは活動家として、社会でどんどん生活支援者になるように育てていくのだと言う。政治を動かすのは民衆の力が左右するので、絶えず力を抜いてはいけない。綱引きと同じで、力を緩めると逆の方向へどんどん引っ張られてしまうものである。今回の総選挙も正に民衆の力が勝利したものと思える。この力を阻もうとする勢力もこれから盛り返してくるに違いない。貧困から脱する為に今こそ前向きの姿勢を崩さないような力を併せていかなければならないと感じた。
 研究集会から帰って来て、SSさんに戴いてあったたまねぎの苗を植えた。50本近く有った。JAに200本苗を注文してあるので、それを植えるところも肥料を入れて用意して置いた。
 夜一茶の里めぐりの参加者名簿を作成した。PCのエクセルを使って表を作った。コピーを60枚して終了したら夜中の2時であった。