3月11日、最初の大きな揺れが訪れたとき、
学校ではちょうど下校時刻を迎え、さよならをしたクラスの子どもたちは校庭に、
ほかのクラスの子どもたちは教室にいました。
子どもたちだけで下校させるのは危険と判断し、
保護者の方のお迎えがあるまで、子どもたちを学校に残しました。
最後の一人が保護者の方と下校したのは、夜9時半ごろ。
幸いにも、全ての子どもたちが自宅に帰ることができました。
多くの子どもたちが住んでいる高島平団地では、かなりの揺れを感じ、
家具が倒れたり、ガラスが割れたり、という被害があったようです。
また、マンションがひどく損傷し、すみ続けることができなくなって、
短期間でしたが避難所生活を送り、新しい住まいに越したご家庭もありました。
体育館で保護者の方を待つ間、携帯のワンセグで見る津波の様子は、
あまりにすさまじく、とても現実のものとは思えませんでした。
帰宅してから連日テレビで津波の脅威や被災地の様子を見るにつけ、
途方もない悲しみと損失感、無力感に包まれました。
あの日から全てが変わってしまった、そう感じます。
3月に予定されていた緑のカーテン関係のイベントも全て中止になりました。
私自身緑のカーテンの楽しさや快適さを語る気持ちになれませんでした。
少しずつ復興への兆しが見え始めているとはいえ、
今も行方不明の方々も多数いらっしゃり、
家族を失った方々は大きな悲しみの中に、
さらに避難所で不自由な生活をなさっている方もあまりに多く、
原発では命がけの作業が続いています。
命を落とされた方々のご冥福を心から祈るとともに、
被災した方々が一日も早く希望を持って暮らすことができるよう願っています。
そのために、私たちにできること。
いくつか考えているところです。
うつむかず、元気を出して、自分のできることを進めていこうと心に誓っています。
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