昨日、今日と、午後はめいっぱい、
5つある学年花壇に植えられている植物の撤去作業をしました。
明後日に備えての作業です。
緑のカーテンで使うのは5つある花壇のうち2つですが、
せっかく土の勉強をするのですから、
他の学年の花壇もよい土にして、お役に立とうという計画です。
鼻息荒く始めたものの、元気いっぱい伸びきった植物を抜いて、
短く切って、ゴミ袋に入れて、という作業は、
一人ではなかなか大変でした。
そこに「先生、何してるの?」
と校庭で遊んでいた2年生4人が花壇に来て、手伝ってくれました。
「すごいよ、助かるなあ。」
「みんなが手伝ってくれなかったら、
先生疲れちゃって、明日お休みしちゃったかもしれない。」
「土や虫をいやって言わないなんて、すばらしい!」
などと絶賛しながらの作業で、子どもたちは働くこと、働くこと。
しかも、ただがむしゃらに働くのでなく、
引き抜いた植物を、私が細かく切ってゴミ袋に入れやすいように、
並べておいてくれたり、どこからか熊手を見つけてきて、
散らばった葉っぱや茎をかき集めてくれたり、
「子どもってすごいなあ。」
とあらためて思ってしまいました。
けれどやはり2年生、
途中からダンゴムシの引っ越し(こちらの花壇から向こうの花壇へ)に夢中になったり、
引き抜いた植物の根っこの部分をゆり根か何かと勘違いして集め、
「家に帰ったらいためて塩をかけて食べるんだ!」
と頑固に言い張ったり。
それでも、この2年生4人と、
途中から駆けつけてくれた3年生2人がいなかったら、
作業時間はもっともっと長かったはずで、
感謝しています。
7歳ぐらいの子どもでも、こんなに頼りになるのです。
ある男の子は、
何度も何度も、
「先生、助かった?ぼくたちがいてよかった?」
「明日は休んじゃったかもしれない?
そしたら音楽がなくなって大変だよね。これなら休まない?」
などと確認しながら、手伝ってくれていました。
あまりに何度も同じことをたずねるのがほほえましく、
そのたびに、
「うん、本当に助かったよ。ありがとう!」
と感謝の意を伝え続けました。
土に触れる子どもたちの素敵な姿を見ていると、
明後日から始まる緑のカーテンが、
なにやら猛烈に楽しみになってきてしまいました。
5つある学年花壇に植えられている植物の撤去作業をしました。
明後日に備えての作業です。
緑のカーテンで使うのは5つある花壇のうち2つですが、
せっかく土の勉強をするのですから、
他の学年の花壇もよい土にして、お役に立とうという計画です。
鼻息荒く始めたものの、元気いっぱい伸びきった植物を抜いて、
短く切って、ゴミ袋に入れて、という作業は、
一人ではなかなか大変でした。
そこに「先生、何してるの?」
と校庭で遊んでいた2年生4人が花壇に来て、手伝ってくれました。
「すごいよ、助かるなあ。」
「みんなが手伝ってくれなかったら、
先生疲れちゃって、明日お休みしちゃったかもしれない。」
「土や虫をいやって言わないなんて、すばらしい!」
などと絶賛しながらの作業で、子どもたちは働くこと、働くこと。
しかも、ただがむしゃらに働くのでなく、
引き抜いた植物を、私が細かく切ってゴミ袋に入れやすいように、
並べておいてくれたり、どこからか熊手を見つけてきて、
散らばった葉っぱや茎をかき集めてくれたり、
「子どもってすごいなあ。」
とあらためて思ってしまいました。
けれどやはり2年生、
途中からダンゴムシの引っ越し(こちらの花壇から向こうの花壇へ)に夢中になったり、
引き抜いた植物の根っこの部分をゆり根か何かと勘違いして集め、
「家に帰ったらいためて塩をかけて食べるんだ!」
と頑固に言い張ったり。
それでも、この2年生4人と、
途中から駆けつけてくれた3年生2人がいなかったら、
作業時間はもっともっと長かったはずで、
感謝しています。
7歳ぐらいの子どもでも、こんなに頼りになるのです。
ある男の子は、
何度も何度も、
「先生、助かった?ぼくたちがいてよかった?」
「明日は休んじゃったかもしれない?
そしたら音楽がなくなって大変だよね。これなら休まない?」
などと確認しながら、手伝ってくれていました。
あまりに何度も同じことをたずねるのがほほえましく、
そのたびに、
「うん、本当に助かったよ。ありがとう!」
と感謝の意を伝え続けました。
土に触れる子どもたちの素敵な姿を見ていると、
明後日から始まる緑のカーテンが、
なにやら猛烈に楽しみになってきてしまいました。