この写真は昭和19年に父に召集令状が来て出征する前に撮った写真です。
私はまだ1才にもなっていない赤ん坊で母に抱かれています。
姉が高校生の時書いた、戦争体験の作文を読み返しました。
父は群馬県太田市の中島飛行場で働いていました。
出征するこの日、5人もの子どもを抱え母はどんな気持ちだったことでしょう。
昭和20年2月10日午前10時、空襲警報発令。
母は8才の姉に赤ん坊の私を背負わせ、9才の兄と、6才と3才の姉を
抱え防空壕に飛び込んだそうです。
私を背負っていた姉は、逃げ惑う大人に突き飛ばされ、背中で泣く私と
ともに腹ばいになって泣いていたそうです。
戻ってきた母が二人を抱きかかえ壕の中へ転がり込んだそうです。
今でも姉はその時のことを
「あんたは重かった。」っていうけど、8才の子が赤ん坊を背負って逃げるなんて
すごいことです。姉には感謝の気持ちでいっぱいです。
「ヒュ-バリバリ、とたんにB29の攻撃開始。
爆音と爆風に耳も裂けんばかり。
この世にこんな恐ろしいことがあったかとまるで死の世界をさまよっているようだ。」
と、書いてあります。
「ああ-。」
「どうしたの母ちゃん。」
「ああ、家がない。」
何と家はつぶされ、その辺一円に爆弾の落ちた穴が不気味に口を開けていた。
姉の小説のような長い作文で、戦争の恐ろしい体験を知る事が
出来ます。
家は焼かれ町は焦土と化し、至る所に死体が転がる中、母は5人の子どもを抱え、真っ暗な夜道を山へと逃げるのです。
終戦後父は無事帰ってきて95才まで生きることが出来ました。
今日一日は、亡くなった父母の苦労を偲びたいと思います。
戦争は絶対にしてはなりません。
平和な毎日を大切に生きていきたいと思います。