指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『どろんどろん』

2010年10月18日 | 演劇
民芸の小幡欣冶作の新作は、歌舞伎の大道具長谷川勘兵衛(鈴木智)、鶴屋南北(大滝秀治)、尾上菊五郎(稲垣隆史)らが、名作『東海道四谷怪談』、特に大道具の仕掛けを作るまでの話である。

高校3年のとき、日本史の教師荒久保先生が、大の歌舞伎好きで、授業の半分は歌舞伎の話だった。
中で憶えているのは、『四谷怪談』が本来『忠臣蔵』外伝なので、当初は『忠臣蔵』とテレコで上演したこともあったこと。
先生は、有名な戸板返しの場面は、南北が「堀」という名を使いたくて設定したので、「本当は江戸時代の川筋から言ってそうは流れ着かないはず」と言っていた。
だが、ここでは大川での橋の落下事故の死体の流れ方を挙げてきちんと説明していた。
さすが大南北、すべて調査していたんですよ、荒久保先生。
序幕は、戸板に釘付けられていた男女の死体を身に来る南北の姿から始まる。

戸板返しの他、提灯抜け、仏壇返し等も、大道具方、作者、役者の様々な知恵、工夫で出来たこと、その間での意地の張り合いや衝突が描かれる。そして、最後は皆上手く解決される。
私の乏しい経験でも、劇を作るときは、必ず問題が起きる。
「今度こそは無事何事もなく出来れば」と願うが、必ず何かが起きる。
それが芝居であり、そこが面白さでもある。
そして、「もめた芝居ほど当たる」ものだそうだ。

若手俳優では、桜井明美が元気があって光っていた。
紀伊国屋サザン・シアター

敦煌事件

2010年10月16日 | 映画
池部良が亡くなった。森繁久弥、小林桂樹と戦後の東宝映画を支えた主演の男性俳優の3人が今年亡くなった。
池部良の素晴らしさは、今更私が言う必要もないが、やはり一番良かったのは、篠田正浩の『乾いた花』の村木だと思う。
この作品は、篠田監督の現代劇としても、また横浜を描いた映画としても最高の一つだと思う。

さて、池部良の追悼で篠田が新聞に書いていたが、この『乾いた花』を作り出したのが、池部良の「敦煌事件」だった。
敦煌事件とは、1960年、東京宝塚劇場での菊田一夫作・演出の『敦煌』に池部が主演したが、長台詞等がこなせず、1週間で下ろされ、井上孝雄に交代し、井上が有名になった事件だった。
長台詞云々よりも、開演日ぎりぎりまでいつも脚本が出来ず、舞台稽古中の書き直しが常識だった菊田一夫の作劇法にに池部が付いていけなかったのが、多分真相だろう。

そして、この事件の後、不振だった池部に篠田が声を掛けて『乾いた花』に主演してもらい、それが東映のヒット・シリーズ高倉健との『昭和残侠伝』になった。

だが、この敦煌事件は、もう一つの大事件を生んでいる。
松本幸四郎(先代)、市川染五郎・中村万之助兄弟らの幸四郎一門の、松竹から東宝入りの遠因になったのである。
その事情は、千谷道雄の『幸四郎三国志』に書かれているが、劇『敦煌』で池部良が失敗したとき、菊田一夫は、舞台できちんと芝居ができる男優の必要を痛感したのだそうだ。
東宝の女優は、多く宝塚出身だったので、舞台出演に問題はなかったが、男優で舞台の経験があったのは、森繁を除けば、脇役の有島一郎、三木ら喜劇役者で、主演男優は存在しなかった。
そこで、菊田は松本幸四郎に興味はなかったが、若手で人気の染五郎・万之助兄弟を東宝に移籍させたのである。

その後、帝劇も出来、菊田と幸四郎は様々な試みを行ったが、先代の松本幸四郎にとって必ずしも良い成果は上がらず、菊田の死後役10年して幸四郎一門は松竹に戻る。
だが、現在の松本幸四郎の舞台のすべてのジャンルでの活躍を見れば、先代松本幸四郎の「冒険」には大きな意義があったと言うべきだろう。

現在、日生劇場の『カエサル』は、主演の松本幸四郎は歌舞伎、高橋恵子は映画、勝部演之は新劇、渡辺いっけいは小劇場と、様々な出自の役者によって構成されている。
その意味では、役者、俳優の相互交流は、以前と比較にはならないほど大きく進んだのである。
晩年に池部良は、日本俳優協会の会長も務めていたが、そうした俳優間の交流も自分の役割と考えていたのかも知れない。

浪花節映画の時代劇版 『唄祭り赤城山』

2010年10月13日 | 映画
深作欣二は、東映東京の助監督時代、「浪花節映画」をやったことを言っていた。
浪花節映画とは、まずプレ・スコで浪花節を録音する。それに合わせて映画を作るものであり、多くは「母物」だった。
彼によれば、この浪花節映画は、撮影が楽でスタッフには作りやすくて良かったのだそうだ。
人のいない海岸や山を母と娘が歩いているのと、スタジオでドラマ部分を撮影すれば映画ができてしまうので、楽で安上がりで、そこそこ当たる作品が作れたのだそうだ。

多分、この浪花節映画は、大衆演劇の節劇(ふしげき)から来たものだと思われる。
節劇と言うのは、歌舞伎の義太夫に代わりに、浪花節を入れ、それに合わせて芝居をするもので、戦前には大変人気があったジャンルらしい。
浪花節は、本職がやることもあるが、時には劇の中の役者が語ることもあった。
私は、20年くらい前に、下北沢の本多劇場のオープン記念で、中村とうようさんが企画した「にっぽん人の喜怒哀楽」での故二代目片岡長次郎が演じた節劇を見たことがある。
そこで片岡は、舞台の上手で浪曲を語りつつ、時には劇の中に出てきて芝居もやった。
そして、「俺もよくやるよ・・・」の捨て台詞は、まるでブレヒトの異化効果で、大いに笑った。
いずれにしても、日本の大衆芸能における語り物の強い伝統に基づくものである。

さて、阿佐ヶ谷のラピュタで上映された近衛十四郎特集の『唄祭り赤城山』は、村田英雄と藤島恒夫の唄が入るもので、浪花節映画の時代劇版というべきものだった。
話は、言うまでもなく国定忠次(近衛十四郎)と板割の浅太郎(品川隆二)で、悪代官を斬って赤城山に登り、さらに逃亡する筋である。
物語の中心は、品川にあり、近衛はクライマックスに出てきて、場をまとめる役割を務める。これは、商業演劇に良くある座長芝居と同じで、
長谷川一夫も出番はほとんどなく、いい所に出てくるだけが多かった。それが日本的リーダーのあり方なのである。
監督の深田金之助は、戦前に日活のカメラマン、編集から稲垣浩の助監督を経て、戦後東映で監督になった人で、二流作品専門だったが、作り方はきわめて上手い。役者の使い方、画面構成、カッティングが極めて正確だった。この辺は、最近の、何とかの一つ憶えのように「長まわし」と「即興演出」しかできない監督は是非見習ってほしいものである。

この映画の前に、大都映画の『大空の遺書』と『忍術千一夜』も見たが、どちらも音声と画面がひどくて見るに耐えない。
昔のピンク映画のひどさ程度だった。
大都映画って、その程度の会社だったのだろうか。

ミシン屋さん

2010年10月11日 | 横浜
昔、横浜市の市会事務局の管理職の中では、議員さんをあだ名で呼ぶ習慣があった。
昨年亡くなられた議長を4年間も務めた大久保英太郎さんは、郵政省で電報配達をやっていたので、デンポー、同じく社会党の議員でTと言う方は、宴会になると三波春夫の『雪の渡り鳥』を踊るので、「三度笠のTさん」など。
鉄人と言うのもあったが、この人は首が肩にめり込むようにな巨体だったので、「鉄人28号から命名」と言った具合だった。

中で、「ミシン屋さん」というのは、西区選出の自民党の市会議員で、26代の市会議長も勤められた鈴木喜一さんだった。
彼は、西区久保町に生まれ、家が貧しかったのだろう、高等小学校を出て、市電の運転手になった。
それで金を貯め、戦後はリッカー・ミシンの代理店をやって成功した。そこで、ミシン屋といわれた。
若いときから政治が好きで、戦前は「民政党の院外団にいた」と言っていた。ボクシングも好きで、横浜の川合ジムの後援会長もやっていた。
私が、秘書をやっていた議長の頃は、もうミシン屋はやっていなかったが、リッカー・ミシンが横浜駅西口に傍系ホテルであるホテル・リッチを作るときは、リッカーの担当者は議長室に日参し、鈴木さんは建築当局等との交渉を仲介していた。

鈴木さんは、苦労人だったが、性格的にはかなり好き嫌いが激しく、特に当時横浜の自民党のボスだった鶴見の横山健一さんとは大変仲が悪かった。
「社会党の大久保英太郎さんが、4年間も議長をやったのは、横山さんが鈴木さんを議長にしたくないからだ」と言われたが多分本当だろう。
敵対する党派の議員よりも、自派の嫌いな人間の方がより憎いもののようだ。

この鈴木さんの依怙地な性格は、辞めるときも出て、2年間の議長を終えて次の選挙のとき、引退含みで、当時小此木彦三郎衆議院議員の秘書だった菅さん(前総務大臣の菅義偉さんである)を西区の市会議員の公認候補にされてしまった。
本当は、鈴木さんも議長を辞めた後は、自分の次男を後継者にするつもりで、彼にも準備させていた。
だが、その次男は30代で急死してしまったのである。
長男は、横浜の某デパートの課長で、出る気はまったくなかった。
そこで、再度鈴木さんは、選挙に出る羽目になってしまったのだ。

そして、本当は菅さんを公認した小此木さんが「喜一下ろし」の元凶なのだが、親分の小此木さんには逆らえないので、菅さんの公認の責任者である「西区選出の県会議員斉藤達也が怪しからん」と言うことになり、「斉藤憎し」で、西区の県会に立候補した。
すると判官びいきというか、同情票が入り、現職の斉藤さんを破り当選してしまった
まことに、男の嫉妬と言うか憎しみと言うのはすごいものである。

そして、無事1期務め、よせばいいのに、再度立候補して、今度は落ちた。
数年後、鈴木先生は亡くなられた。
森の石松のようなある意味単純明快な方で、私は好きな議員さんだった。

リッカー・ミシンも倒産し、ホテル・リッチもまったく別の経営になっている。

『シーンズ・フロム・ザ・ビッグピクチュアー』

2010年10月11日 | 演劇
演劇集団円の公演で、作はオーウェン・マカファーティー、演出は平光琢也、最近見た円の芝居では一番良かった。
北アイルランドのベルファストの一日。
若者から老人まで、様々な連中が出てくる。
そこは、まるで今の日本のように、仕事のない若者、倒産しそうな会社、中年で死んだ労働者とその同僚、息子の死を諦められない父親等が点描される。
その意味では、アイルランドの小説家ジョイスの『ユリシーズ』のようなものである。
『ユリシーズ』は、ダブリンだが、ここでは北アイルランドのベルファスト。
北アイルランドは、アイルランドと言うか、イギリスと言うべきか。勿論、人種、民族、文化的にはアイルランドだが、自治はあるものの、政治的には未だにイギリスの支配下である。
そうした複雑さが、この戯曲にも反映している。

この劇が良かったことに、若い役者たちが多数出ていることがあり、皆正統的で上手い。
特に兄弟をやった若い二人などは、共に江口洋介風で、テレビでも人気になるのではないか。
ただ、平光の演出は、二人だけの対話では漫才のように生き生きしているが、多人数のシーンになると意味不明になる。
これは、彼がそのシーンの意味、構図をよく把握していない性である。

一人暮らしの老人で有川博、さらに高林由紀子が、零細な商店を営んでいる老妻を演じていた。
彼女が、林千鶴の名で大映の『座頭市』に出ていたことなど、もう誰も知らないだろう。
私は、勝新太郎の『酔いどれ博士』で、彼女を見て「原節子風の美人だな」と思った。
その直後、劇団の先輩が、当時の劇団雲に研究生となり、彼からも「ずごい美人だよ」と聞いて、やはりそうかと思った。

兄弟が、死んだ父親の家庭菜園を掘ると、そこには銃器が埋められている。
勿論、北アイルランドの紛争を暗示している。
この辺は、日本の我々にはよく分からないところなので、説明が必要である。
蜷川幸雄のように、何かアナロジーの表現のようなもの。

この劇は、結局若者の麻薬使用など、北アイルランド社会の荒廃は、長年の紛争が原因と言っているのだろうか。
北アイルランドと日本の現実も類似したことが多いが、比較にならないほど麻薬が日本では蔓延していないのは、誠に喜ばしいことである。
紀伊国屋ホール

大沢啓二の資質

2010年10月11日 | 野球
大沢啓二が死んで、結構大きく報道された。
南海、東京・ロッテ時代の選手としての実績では、超一流ではないが、妙に記憶に残る選手だった。
ロッテか東京か忘れたが、4打者連続ホームランを東京スタジアムで打ったことがある。
当時、東京の家でUHFの千葉テレビの中継で見ていたが、大沢もその一人だった。普通は対してホームランは打っていないのに。
このように記録より記憶で残る選手だった。
その意味では、大学の後輩長嶋茂雄に似たところがある、と言うか長嶋が大沢のやり方を学んだのかもしれない。
大沢の横浜商工高校時代の姿について、私が某区保健所にいたとき、横浜生まれの保健所長D氏が大沢のことをよく言っていたのだから、高校時代から有名だったのだろう、その態度の大きさが。

監督としては、江夏が言っているが、「きわめて単純明快な作戦」だったそうだ。
随分、選手を殴っていたそうだが、当時の日本ハムは、その程度の選手しかいなかったのだろう。

だが、「親分」と言われるにしては、結構小心だったらしい。
誰かの本に、大沢監督とマウンドで言い合いになり、「本気でやるか」と脅かしたら、すぐに「そんつもりじゃない」と言ったと記憶していて、その本を探しているが見当たらない。
2年前に引越しし、そのときに引越し業者に完全に任せたので、どこに本があるのか分からないのだ。
近鉄で、日本シリーズで勝って「巨人はロッテより弱い」の名言を吐き、巨人を奮起させて、西本幸雄の日本一の可能性をだめにした加藤哲郎の言葉だったと思い探したがない。

テレビでも毎週日曜日に見ていると、常に暴走する張本の言動に対し、何とか無事に収めようとしていた。
その意味では、根は常識的だったのかもしれない。
78歳とは若いが、ガンでは仕方がないだろう。

無縁社会の意味

2010年10月10日 | 政治
近年、生別不明高齢者の問題等から、大都市において「無縁社会」が言われ、世も末だとされている。
だが、これこそ近代の日本で、知識jんたちが求めて来たものである。

英国への留学で夏目漱石がロンドンで感じ、ノイローゼになった英国社会の冷たさ、個人主義の冷徹さ、それが近代の市民社会というものであり、それを耐えるのが自立した個人と言うものである。
丸山真男や大塚久雄らが、いつも嘆いていた「日本はまだ近代化されていない」と言うものは、まさに今実現されている。
だが、その代わりに無縁社会を迎え、この孤独に耐えるのが、近代市民社会というものなのである。

「拙速主義」

2010年10月08日 | その他
拙速とは、普通は良い意味ではないが、以前横浜市に、この「拙速主義」を標榜する方がいた。
Kと言う方で、最後は区長を勤められた。
手八丁口八丁の人で、間違いなく局長になるだろうと言われたが、結局なれずに終わった。

この人のモットーは、「明日に100点を取っても意味はない、今日70点を取ることが重要だ」で、なかなか意義深い言葉である。
多分、民間企業の営業戦略などは、そうしたものだろう。
だが、役所では、こういう発想の人は少々危なっかしく思われるので、なかなか出世できない。
その意味では、区長まで行ったのは誠に大したものである。

拙速と正反対が「完全主義」で、晩年の黒澤明は、この完全主義の虜で、身動きが取れなかった。
黒澤と同じ生まれ年が、山本薩夫だが、この人はしばしば拙速に近いような作品も作った。
彼は、戦後は左翼独立プロで長く監督をしたので、資金など製作条件は不十分なこともあり、それでもなんとか作品として仕上げた。
晩年にメジャーで、大作を作るようになっても、それは同様だったようだ。

松竹で作った『皇帝のいない八月』が、そうで「自衛隊がクー・デターを起こす」というアイディアだけで、シナリオができない内に撮影に入り、「シナリオを直しながら撮影したが、やはり最後は上手くまとめられなかった」と山本は書いている。
また、この時、首相官邸が舞台になるが、松竹大船撮影所は、首相官邸のような権力の館を作ったことがなく、図面を書くのが大変だったそうだ。
この話は、もともと小林久三の原作に大きな問題があった。
クー・デターを起こした元自衛隊員らが、のんびりと九州から列車で上京してくる、という設定がおかしいのだ。
反乱というのは、はじめたらいきなりやるもので、のんびりとやっていたら、権力に押さえ込まれるのは当然である。
映画『皇帝のいない八月』は、出だしや前半はわくわくさせるが、後半は完全に腰砕けになってしまう。
最後は、仕方なく列車を爆破させてカタルシスにしている。その理由は、そもそもの設定がおかしい性なのだ。

黒澤明も、東宝ストの後の昭和20年代、大映や松竹、新東宝等の他社で作ったときは、『野良犬』『静かなる決闘』『醜聞』と言った小品を気軽に作り、その延長線上にグランプリの『羅生門』もできた。

だが、その後、東宝に戻ると次第に大作路線へ向かい、ついに『赤ひげ』では、撮影に1年もかかるようになった。
しかも、その間、スタッフ、キャストに原則として掛け持ちを許さないのだから、異常と言う以外はない。飯の食い上げである。
その結果は、大規模なスケールの作品でないと元が取れなくなり、完璧な大作路線になり、『トラ・トラ・トラ!』での監督解任に後では、5年に1本しか監督できなくなる。

完全主義と拙速のどちらが、結果として良い結果を残すか、これは一概には言えない問題である。

日赤奉仕団という組織

2010年10月07日 | その他
10月は、寄付の季節で、1日には、赤い羽根の共同募金が行われている。
街頭の駅などでは、寄付を呼びかける列が並び、中にはどうやってくぐりぬけようかなどと不埒な考えをする人もいるだろう。
この街頭寄付を呼びかけるのは、多くは地域の民生委員協議会が多いが、場所によっては、日赤奉仕団、日本赤十字奉仕団がするところもある。
そして、この日赤奉仕団という組織も大変不思議な団体なのである。

多分、横浜のような大都市では、その組織力は大したことはないが、地方に行くと、この日赤奉仕団はきわめて強力な団体なのである。
なぜか、「皇室の方々にお近づきになれる」からである。
よく知られているように、日赤の名誉総裁は、皇后陛下である。その他、皇室の女性が名誉役員になっておられる。

年に一度、日赤の全国大会があり、あるとき私も区の事務局長として行った。
明治神宮会館で、まず表彰式がある。
表彰されるのは、日赤に多額の寄付をした方である。大体、100万円以上だろうか。
順に呼ばれ、表彰される。
その壇上には、皇后陛下以下の皇室の女性が全員並んでいるのだ。
皇族たちの御前で、表彰状を頂くのは、多分地方の方々には、きわめて名誉なことなのだろう、みなモーニング、着物等の礼装で受賞を恭しく受ける。
午後は、歌手のショーで、このときは水前寺清子だった。これも面白い人選である。

そんなこともあり、日赤奉仕団は地方では、大変力のある団体になっている。
たとえば、昔のことになるが、サッカー・ワールドカップが日韓共催で行われた。
その際、各地方で階開催の誘致活動が全国的に行われた。
競技の開催を誘致するのは、行政は勿論だが、民間では商工会議所や青年会議所が中心になった。
だが、その実働部隊になって、署名活動をしたのも、実際は各地域の奉仕団だったというのが結構あったようだ。

日赤奉仕団のユニフォームは、例の割烹着で、彼らは奉仕着というのだが、どこか戦時中の出征風景のようで、時代錯誤のように見えるのだが、今日も日本中のどこかで活躍しておられるのだろうか。
今、寺島しのぶ主演で、映画『キャタピラー』が公開されているが、彼女が着ているのが割烹着で、あれを見ると奉仕団を思い出してしまう。

『江戸遊民伝』

2010年10月06日 | 映画
1959年、萩原遼監督、近衛十四郎主演の松竹京都映画である。
脚本は、三村伸太郎と山中貞雄で、山中の名作『河内山宗春』のリメイクで、筋は同じである。

河内山の近衛の他、金子市之条は宇野重吉、お波は青山京子、その弟広太郎は松本錦四郎、森田屋は沢村国太郎であり、地味だがなかなか良い配役。珍しいのは、小悪党で民芸の垂水吾郎が出ているが、宇野が出ている関係だろう。

萩原は、戦前は「鳴滝組」の一員で、山中の弟子でもあった。
戦後は、主に東映京都で、『笛吹童子』『紅孔雀』等の娯楽時代劇で活躍したが、この頃は東映をやめ、松竹にいて、最後はピンク映画も撮ったようだ。

名作のシナリオなので、話は面白いが、どこか感動的ではない。
青山京子と原節子を比較するのはどうかと思うが、全体に若さがないのだ。
山中貞雄が『河内山宗春』を作ったときは27歳。萩原遼は、1959年のこの年48歳である。
近衛も43歳、前作のとき河原崎長十郎ですら、36歳だったのだ。
原節子が16歳だったのに対して、青山京子はすでに24歳だった。
思えば、山中貞雄の『河内山宗春』は、不良少年たちの青春映画だった。
1959年と言えば、すでに戦後約10年、日本映画も青春期をはるかに過ぎていたのだ。

この前に、近衛十四郎主演で、やはり萩原が監督の1960年の『柳生旅日記・竜虎無双剣』も見るが、典型的な娯楽時代劇だった。
阿佐ヶ谷ラピュタ

帰りは、いつものように北品川で飲みに行くが、ガラガラだった。
このところ、いつもこんなものだと言う。まだまだ不景気なのか。

世界に冠たる国勢調査

2010年10月05日 | その他
10月1日は、5年に一度の国勢調査だった。
言うまでもなく、国勢調査は国の事業だが、実際は市町村が実施し、区役所としては大変な事業だった。
今回は、大都市では郵送方式が主流のようだが、以前は調査員による配布、回収だった。そして、これでプライバシーが侵されるとの苦情が多々あった。「調査員が、中身を見て近所に言いふらす」等々である。
調査員で回収できなかったケースについては、区役所の管理職が訪問してお願いすることになる。
私が担当したのは、駅前の大型団地の住人だった。
行くとドアに「なんとか会」のプレートが貼られていた。
ブザーを鳴らして出てきたのは、30代の男だったが、室内では犬が盛んに吠えていた。
当時、団地では犬や猫を飼うことは許されてはいなかったのだから、それだけでもすごい家族である。
私も、一緒に行った女性係長と共に、ともかく書類だけを渡して、「郵送してください」と言って逃げ帰ってきた。

だが、日本の国勢調査は、世界的にも最高水準である。
昭和20年、アメリカは東京、横浜等の大都市を無差別爆撃したが、そのとき一番参考にしたのが、皮肉にも昭和15年の国勢調査だったのである。
米軍は、日本の人口密集地区を爆撃するため、国勢調査に基づき人口メッシュ図を作成し、
東京の下町などの密集地帯に爆弾投下をしたのである。

当初、米軍の対日爆撃は、航空機製造工場等の、軍需工場攻撃の戦略爆撃だった。
ところが、いくら工場を爆撃しても、日本の飛行機製造能力は、米軍が期待したほどには低下しなかった。
今もあるように、日本では町工場で多くの部品が作られていたからである。
それを理由に、ルメイ少将は、日本への無差別爆撃を行うことにした。

私のところにも、先週調査表が来たので、昨日郵送で出しておいた。
皆さんも是非、ご協力をお願いしたい。
今は、米軍の無差別爆撃はないのだから。


『ヘッダ・ガーブレル』

2010年10月03日 | 演劇
1960年代の初め、当時日本の学生演劇界をリードしていた早稲田の自由舞台が、イプセンの『野鴨』を上演して、大変話題になったことがある。
「いまどき、イプセンなどと言う古臭い芝居をやって、どうするの」という疑問だった。
そして、私もイプセンの戯曲はいくつか読んだが、面白いとは思えなかった。

だから、2008年にデヴィット・ルヴォーの演出、宮沢りえの主演で『人形の家』を見たときは、本当に驚いた。
そこで演じられているのは、やっと銀行の役員になれた夫と妻のリアルな姿で、まるでバブル崩壊後の不況の中で、上手く切り抜けささやかな家庭の幸福を得た、現代日本の若いカップルそのもののように見えたからだ。
その幸福が、主人公たちのほんの少しの間違いで破綻し、最後はノラの家出にまで行き着いてしまう。
「これって、まるで火サスか土曜ワイド劇場のようだ」とさえ思えたのだ。
イプセンは、決して古くない、とそのとき思った。

さて、今回は、新国立劇場の新芸術監督宮田慶子の演出である。
主人公のヘッダ・ガープレルは、大地真央、学者の夫は益岡徹。
結婚後、6ヶ月間の新婚旅行から戻って来たところ。
山口馬木也は、七瀬なつみの助力で、大著を書き上げたところ。一読して益岡は、その才能に驚く。
だが、もともと無頼の山口は、泥酔して原稿を紛失してしまう。幸い益岡が道路で拾い、それを大地に預ける。
大地は、七瀬と山口の愛への嫉妬心から、暖炉で原稿を焼いてしまう。
山口の自殺の拳銃が大地のものであることを判事から追求された大地は、山口のあとを追って死ぬ。

これは、大地と山口という高貴な才能が、益岡らの凡俗に敗れる話である。
まさに現在の市民社会を描いた劇だった。
役者が皆適役だったことが、最大の収穫。
大地は、これほどの適役はないとも言えるし、自分勝手にやりすぎとも言える。
七瀬なつみ、山口馬木也も、役柄そのものの好演。
叔母の田島玲子が懐かしい。
この人は、ある時期、劇団雲のヒロインだった。
新国立劇場

バスで渋谷に出て、友人から薦められていた港北区ミュージカル『かくも賑やかな人々』を大倉山に見に行く。
「筋売りの1幕を全部カットし、2幕だけにし、その冒頭のパレードから始めたら、もっと良くなったに」と思う。
「おフランス」への憧れの部分が嫌だが、主人公の夫婦はアマチュアにしては歌はご立派。多分クラシックのコーラス等をやって来た方なのだろう、ブルース・スプリングスティーン風の曲になるとリズムが取れず乗れない。
しかも、音楽が良い曲とつまらない曲に極端に別れていた。
港北公会堂

『連合赤軍 あさま山荘への道程』

2010年10月03日 | 映画
1972年に起きた、あさま山荘事件の連合赤軍を描く若松孝二監督作品。
主人公は、殺された遠山美枝子を演じる坂井真紀。
坂井は、元アイドルだが、以前段田安則の『夜の来訪者』に出て、とても良かった。若手女優では、将来を期待される一人である。

遠山にしろ、その親友だった重信房子らブンド赤軍派は、当時若松プロときわめて関係が深く、実際に彼女たちは事務所は出入りしていた。
若松プロで出口出の名で多数の脚本を書いた足立正生は、実際に赤軍派に入りアラブに行ってしまったし、同じく助監督をしたことのある和光晴生もアラブ・ゲリラになった。

1970年代初め、ブント赤軍派は、警察の圧倒的な力で追い詰められ、銀行強盗まですることになる。
一方、京浜安保共闘・日本共産党革命左派という弱小派は、意外にも交番や銃砲店の襲撃を行い、銃を盗り、そのバーバリズムが新左翼陣営を驚かせた。
この究極の武力闘争には、赤軍派も驚き、彼ら同士を接近させる。
そして、山中で共同訓練を行う。
双方の代表は、森恒夫と永田洋子になっていた。どちらの党派も創始者の塩見孝也と川島豪は、すでに逮捕・投獄されていたのである。
さらに追い詰められた両者は、合同し連合赤軍が生まれる。

だが、そこには大きな差異性もあった。
もともと大セクトで、資金力もあり、贅沢な地下活動をしている赤軍派と、極端な中国派で、「人民の海」に生きることから耐乏生活だった京浜安保共闘との違いだった。
さらに、映画では描かれていないが、森恒夫ら赤軍派を驚かせたのは、永田らが、裏切り者2人をすでに「処刑」していることだった。
「彼らは、そこまでやるのか!」との驚きと森のコンプレックスが、彼を一方的に過激化させたと言われている。

そして、次々と「同志」を処刑してしまう。
実際は、もっと残虐な行為が行われているが、そこが描かれていないのは、若松のシンパシーである。
その残虐さと、森や永田の演説の観念性は、ある意味喜劇的であり、この映画は喜劇としても見ることが出来る。

「あさま山荘事件」と「中核・革マルの内ゲバ」は、日本の新左翼の息の根を止めた。
どちらも永田洋子と黒田寛一という、きわめて異常に猜疑心と嫉妬心の強い人間が中心だったことが、最大の原因であり、悲劇の元である。
さらに言えば、ロシア共産党以来の秘密主義、官僚主義の、市民への非公開の党派組織の害毒の産物である。

こんな連中は優勝する資格がない

2010年10月01日 | 野球
BSで、阪神、横浜戦を見ていた。
投手の久保が良い出来で横浜を1点で抑え、3-1でリードして9回を迎えた。
藤川が出て来ると、解説の鈴木啓次が,「藤川が抑えて2死になれば、矢野が出てきて受けるだろう」などと言っていた。
なんてつまらないことを言うのか、と思っていると、その性か、藤川がストライクが入らなくなり、連続4球になる。
「これは、矢野の引退を飾ろうとする気持ちが逆になっている」と言っている。甲子園での阪神戦は今日が最後なのだ。
4番の村田なので、「ここでホームランが出たら面白いな」と思うと村田が3ランで、4-3の逆転負け。

矢野の引退記念云々は、鈴木が勝手に言っていることと思っていたら、今朝の新聞にも、矢野の引退記念のことが書かれている。
と言うことは、球団の広報が、「リードして2死になったら、矢野とバッテリーを組ませる」と発表したのだろう。

なんと馬鹿な連中だろう。
俗に「野球は、筋書きのないドラマ」と言われる。
だが、勝手に阪神は、筋書きを書いている。
「涙のラスト・バッテリー」とかしたかったのだろう。
ドラマは、真剣に勝負を争った結果に出てくるもので、はじめから出来の悪い劇を仕組んでも上手くいくわけがない。

こういう低俗なドラマを考えている暇があるなら、どうしたら勝てるか考えるのが先だろう。
こんなことでは、完全試合投手を8回で下ろす「非情の采配」の落合中日に勝てるわけがない。

私は、東京の人間でありながら、50年近く阪神ファンである。
クライマックス・シリーズがどうなるか分からないが、こんな程度の低い球団は、当面優勝しなくて良い。
真弓が監督の時代は、優勝なしが良いと思う。
この球団は、どこか考え方が間違っていると思う。
矢野と藤川の最後のバッテリーを見せるのが、ファン・サービスではない。勝って、優勝戦線に残っていくのが、本当のファン・サービスである。

日本シリーズは、中日、ソフトバンクで決まりだと思う。