指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『乾いた花』

2010年10月18日 | 映画
池部良を追悼して、久しぶりに篠田正浩監督の『乾いた花』を見る。
傑作だが、これを松竹の城戸四郎社長が、1年間もオクラにしていた意味がよくわかった。
全体にみなぎる「反社会性」がすごいのだ。

タイトル前から賭博場のシーンが続く。
「どっちも、どっちも、後にコマ、先にコマ」等々の低い台詞が流れる。
その後、東映のヤクザ映画でさんざ見せられるサイコロ博打の場面。
さらに、手本引きという、藤純子が、さらに江波杏子の「入ります」で有名にした、花札を服の中に入れて手ぬぐいの中に畳み込み、
それを当てさせる高度な技の花札賭博、これが映画で見せられた最初だろうと思う。
ここでは、加賀マリ子も、上着の中に入れて演じて見せる。

ともかく、全体を覆う反道徳性、「まともな社会とは別の世界に生きているんだ」という意識がすごい。
武満徹の音楽、小杉正雄のコントラストの強い白黒画面、池部良とその愛人原知佐子の人生を投げた生き方の表情。
無意味に退屈している金持ちの小娘の加賀マリ子。
自分たちは老人で動けないから、競馬に賭け、出入りでは若者を仕掛けるしかないヤクザの親分の宮口精二と東野英治郎の退廃。
麻薬中毒の中国人の殺し屋藤木孝。
美術は、この後小林正樹の『怪談』で、にんじんプロダクションを倒産させてしまう戸田重昌で、リアルな世俗的シーンと抽象的な前衛的美術との切り替えが上手い。

横浜を舞台にしているが、これは最高の部類だろう。
そして、原作の石原慎太郎から篠田の盟友だった寺山修司など、すべては当時は反社会道徳の輩だった。
1960年代前半と言うのは、そういう時代だったのだ。
だが、この作品は松竹大船ではなく、東京目黒の柿ノ木坂スタジオで撮影されたように、松竹大船調の崩壊は始まっていたのである。
本来なら、この後1970年代前半には、松竹大船は大船調のイデオロギーを失い、倒れるべき存在だった。
だが、山田洋次・渥美清の『男はつらいよ』の大ヒットで、以後数十年間延命できたのである。

『どろんどろん』

2010年10月18日 | 演劇
民芸の小幡欣冶作の新作は、歌舞伎の大道具長谷川勘兵衛(鈴木智)、鶴屋南北(大滝秀治)、尾上菊五郎(稲垣隆史)らが、名作『東海道四谷怪談』、特に大道具の仕掛けを作るまでの話である。

高校3年のとき、日本史の教師荒久保先生が、大の歌舞伎好きで、授業の半分は歌舞伎の話だった。
中で憶えているのは、『四谷怪談』が本来『忠臣蔵』外伝なので、当初は『忠臣蔵』とテレコで上演したこともあったこと。
先生は、有名な戸板返しの場面は、南北が「堀」という名を使いたくて設定したので、「本当は江戸時代の川筋から言ってそうは流れ着かないはず」と言っていた。
だが、ここでは大川での橋の落下事故の死体の流れ方を挙げてきちんと説明していた。
さすが大南北、すべて調査していたんですよ、荒久保先生。
序幕は、戸板に釘付けられていた男女の死体を身に来る南北の姿から始まる。

戸板返しの他、提灯抜け、仏壇返し等も、大道具方、作者、役者の様々な知恵、工夫で出来たこと、その間での意地の張り合いや衝突が描かれる。そして、最後は皆上手く解決される。
私の乏しい経験でも、劇を作るときは、必ず問題が起きる。
「今度こそは無事何事もなく出来れば」と願うが、必ず何かが起きる。
それが芝居であり、そこが面白さでもある。
そして、「もめた芝居ほど当たる」ものだそうだ。

若手俳優では、桜井明美が元気があって光っていた。
紀伊国屋サザン・シアター