指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『ヘッダ・ガーブレル』

2010年10月03日 | 演劇
1960年代の初め、当時日本の学生演劇界をリードしていた早稲田の自由舞台が、イプセンの『野鴨』を上演して、大変話題になったことがある。
「いまどき、イプセンなどと言う古臭い芝居をやって、どうするの」という疑問だった。
そして、私もイプセンの戯曲はいくつか読んだが、面白いとは思えなかった。

だから、2008年にデヴィット・ルヴォーの演出、宮沢りえの主演で『人形の家』を見たときは、本当に驚いた。
そこで演じられているのは、やっと銀行の役員になれた夫と妻のリアルな姿で、まるでバブル崩壊後の不況の中で、上手く切り抜けささやかな家庭の幸福を得た、現代日本の若いカップルそのもののように見えたからだ。
その幸福が、主人公たちのほんの少しの間違いで破綻し、最後はノラの家出にまで行き着いてしまう。
「これって、まるで火サスか土曜ワイド劇場のようだ」とさえ思えたのだ。
イプセンは、決して古くない、とそのとき思った。

さて、今回は、新国立劇場の新芸術監督宮田慶子の演出である。
主人公のヘッダ・ガープレルは、大地真央、学者の夫は益岡徹。
結婚後、6ヶ月間の新婚旅行から戻って来たところ。
山口馬木也は、七瀬なつみの助力で、大著を書き上げたところ。一読して益岡は、その才能に驚く。
だが、もともと無頼の山口は、泥酔して原稿を紛失してしまう。幸い益岡が道路で拾い、それを大地に預ける。
大地は、七瀬と山口の愛への嫉妬心から、暖炉で原稿を焼いてしまう。
山口の自殺の拳銃が大地のものであることを判事から追求された大地は、山口のあとを追って死ぬ。

これは、大地と山口という高貴な才能が、益岡らの凡俗に敗れる話である。
まさに現在の市民社会を描いた劇だった。
役者が皆適役だったことが、最大の収穫。
大地は、これほどの適役はないとも言えるし、自分勝手にやりすぎとも言える。
七瀬なつみ、山口馬木也も、役柄そのものの好演。
叔母の田島玲子が懐かしい。
この人は、ある時期、劇団雲のヒロインだった。
新国立劇場

バスで渋谷に出て、友人から薦められていた港北区ミュージカル『かくも賑やかな人々』を大倉山に見に行く。
「筋売りの1幕を全部カットし、2幕だけにし、その冒頭のパレードから始めたら、もっと良くなったに」と思う。
「おフランス」への憧れの部分が嫌だが、主人公の夫婦はアマチュアにしては歌はご立派。多分クラシックのコーラス等をやって来た方なのだろう、ブルース・スプリングスティーン風の曲になるとリズムが取れず乗れない。
しかも、音楽が良い曲とつまらない曲に極端に別れていた。
港北公会堂

『連合赤軍 あさま山荘への道程』

2010年10月03日 | 映画
1972年に起きた、あさま山荘事件の連合赤軍を描く若松孝二監督作品。
主人公は、殺された遠山美枝子を演じる坂井真紀。
坂井は、元アイドルだが、以前段田安則の『夜の来訪者』に出て、とても良かった。若手女優では、将来を期待される一人である。

遠山にしろ、その親友だった重信房子らブンド赤軍派は、当時若松プロときわめて関係が深く、実際に彼女たちは事務所は出入りしていた。
若松プロで出口出の名で多数の脚本を書いた足立正生は、実際に赤軍派に入りアラブに行ってしまったし、同じく助監督をしたことのある和光晴生もアラブ・ゲリラになった。

1970年代初め、ブント赤軍派は、警察の圧倒的な力で追い詰められ、銀行強盗まですることになる。
一方、京浜安保共闘・日本共産党革命左派という弱小派は、意外にも交番や銃砲店の襲撃を行い、銃を盗り、そのバーバリズムが新左翼陣営を驚かせた。
この究極の武力闘争には、赤軍派も驚き、彼ら同士を接近させる。
そして、山中で共同訓練を行う。
双方の代表は、森恒夫と永田洋子になっていた。どちらの党派も創始者の塩見孝也と川島豪は、すでに逮捕・投獄されていたのである。
さらに追い詰められた両者は、合同し連合赤軍が生まれる。

だが、そこには大きな差異性もあった。
もともと大セクトで、資金力もあり、贅沢な地下活動をしている赤軍派と、極端な中国派で、「人民の海」に生きることから耐乏生活だった京浜安保共闘との違いだった。
さらに、映画では描かれていないが、森恒夫ら赤軍派を驚かせたのは、永田らが、裏切り者2人をすでに「処刑」していることだった。
「彼らは、そこまでやるのか!」との驚きと森のコンプレックスが、彼を一方的に過激化させたと言われている。

そして、次々と「同志」を処刑してしまう。
実際は、もっと残虐な行為が行われているが、そこが描かれていないのは、若松のシンパシーである。
その残虐さと、森や永田の演説の観念性は、ある意味喜劇的であり、この映画は喜劇としても見ることが出来る。

「あさま山荘事件」と「中核・革マルの内ゲバ」は、日本の新左翼の息の根を止めた。
どちらも永田洋子と黒田寛一という、きわめて異常に猜疑心と嫉妬心の強い人間が中心だったことが、最大の原因であり、悲劇の元である。
さらに言えば、ロシア共産党以来の秘密主義、官僚主義の、市民への非公開の党派組織の害毒の産物である。