指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『連合赤軍 あさま山荘への道程』

2010年10月03日 | 映画
1972年に起きた、あさま山荘事件の連合赤軍を描く若松孝二監督作品。
主人公は、殺された遠山美枝子を演じる坂井真紀。
坂井は、元アイドルだが、以前段田安則の『夜の来訪者』に出て、とても良かった。若手女優では、将来を期待される一人である。

遠山にしろ、その親友だった重信房子らブンド赤軍派は、当時若松プロときわめて関係が深く、実際に彼女たちは事務所は出入りしていた。
若松プロで出口出の名で多数の脚本を書いた足立正生は、実際に赤軍派に入りアラブに行ってしまったし、同じく助監督をしたことのある和光晴生もアラブ・ゲリラになった。

1970年代初め、ブント赤軍派は、警察の圧倒的な力で追い詰められ、銀行強盗まですることになる。
一方、京浜安保共闘・日本共産党革命左派という弱小派は、意外にも交番や銃砲店の襲撃を行い、銃を盗り、そのバーバリズムが新左翼陣営を驚かせた。
この究極の武力闘争には、赤軍派も驚き、彼ら同士を接近させる。
そして、山中で共同訓練を行う。
双方の代表は、森恒夫と永田洋子になっていた。どちらの党派も創始者の塩見孝也と川島豪は、すでに逮捕・投獄されていたのである。
さらに追い詰められた両者は、合同し連合赤軍が生まれる。

だが、そこには大きな差異性もあった。
もともと大セクトで、資金力もあり、贅沢な地下活動をしている赤軍派と、極端な中国派で、「人民の海」に生きることから耐乏生活だった京浜安保共闘との違いだった。
さらに、映画では描かれていないが、森恒夫ら赤軍派を驚かせたのは、永田らが、裏切り者2人をすでに「処刑」していることだった。
「彼らは、そこまでやるのか!」との驚きと森のコンプレックスが、彼を一方的に過激化させたと言われている。

そして、次々と「同志」を処刑してしまう。
実際は、もっと残虐な行為が行われているが、そこが描かれていないのは、若松のシンパシーである。
その残虐さと、森や永田の演説の観念性は、ある意味喜劇的であり、この映画は喜劇としても見ることが出来る。

「あさま山荘事件」と「中核・革マルの内ゲバ」は、日本の新左翼の息の根を止めた。
どちらも永田洋子と黒田寛一という、きわめて異常に猜疑心と嫉妬心の強い人間が中心だったことが、最大の原因であり、悲劇の元である。
さらに言えば、ロシア共産党以来の秘密主義、官僚主義の、市民への非公開の党派組織の害毒の産物である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。