指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『虚業成れり』 大島幹雄

2010年10月27日 | その他
わが国で、一般の人が「呼び屋」と言う名を最初に知った男・神彰の生涯をたどった本で、当初ネットに掲載されているときから、読んでいたが、やっと通読できた。
神は、世界を流浪する合唱団のドン・コザックをアメリカから招聘したのを皮切りに、ボリショイ・バレー、レニングラード・フィルなど、ソ連の芸術家を呼び、赤い呼び屋として名を挙げる。
さらに、女性小説家、才女の有吉佐和子と結婚する。
だが、その頃から彼の会社アート・フレンドは経営が不振となり、結局一児の有吉玉青を得るが、二人は離婚し、会社も倒産してしまう。
だが、その程度で地に落ちる男ではなく、彼は1970年代には居酒屋チェーン・北の家族のオーナーとして再起し、大成功を修める。
その成功の裏には、生地函館、さらに満州のハルピン以来のロシア語人脈があり、一癖も二癖もある個性があったことが明かされる。
後に、イベンターとして有名になる康芳夫も、神のところにいたのだった。
だが、呼び屋が、1964年の東京オリンピックを境に、次第に大手代理店等に握られていくように、居酒屋チェーンも最後は、大手企業に売り渡すことになる。
まことに大きなスケールの人間であり、虚業の名のふさわしい生き方で、彼は1998年5月死ぬ。
因みに、この「虚業成れり」と言うのは、スエズ運河掘削を企画し、当時のオランダ女王イザベルから助力の約束を得たとき、計画者レセップスが、友人に言った言葉だそうである。
岩波書店 2800円 2004年刊

『戦場の精神史』 佐伯真一

2010年10月27日 | 政治
「武士道という幻想」と副題された本書は、一般的に言われる武士道の、フェア・プレイ等の精神が、実はほとんど近世までの日本で武士による戦闘、戦争があった時代にはなかったこと。あるいは、あってもむしろ例外的で、実態は勝つためにはなんでもする、時には「騙し撃ち」も横行していたことを明らかにしている。
豊富な実例が挙げられていて、大変に説得力がある。
確かに、古典や劇に出てくる英雄譚では、多くはだまし討ちや仲間を欺いての先駆けけが多い。
映画『七人の侍』で、志村喬の勘兵衛が、野武士を襲って鉄砲を奪って来た三船敏郎を、「抜け駆けは手柄にはならない」と叱るが、これは実態から見ればおかしいのである。
黒澤たちも、武士道の誤解していたのである。
手柄を認めさせるためには、殺した相手の首を切り取らねばならず、源平合戦の「宇治川の先陣争い」は、明らかに仲間を騙しての先駆けの功名である。それが戦場の実態である。

だが、戦争がなくなり平和になった江戸時代には、兵法家や儒者からは、こうした卑怯な兵法は、次第に非難されるようになる。それは、長期的に見れば、だまし討ち等の勝てば良い式のやり方では、仲間内の信頼を失い、組織を管理・運営していくには不都合になるからである。

だが、明治維新以後、急に「武士道」が発見され、鼓吹されることになる。
江戸時代にはほとんど知られていなかった、山本常朝の『葉隠』が発掘され、武士道の見本とされる。
明治になり、武士がいなくなり、欧化で欲深い連中が横行するようになったとき、今はない侍は美しい人間として美化されるようになる。
まことに現実は矛盾していると言うか、皮肉と言うべきか。
世の中の常識と言うものが、いかに実際の歴史と異なっているかを教えてくれる貴重な1冊である。
NHKブックス 1120円  2004年刊