この30年くらいで、一番参った映画である。
なにしろ筋もドラマもなく、特に感動的なシーンもないのだから。
監督の篠田正浩が、松竹の城戸四郎の監督試験のとき、「君は、小津安二郎について、どう思うか」と聞かれ、篠田は「1920年代の欧州に絶対映画、純粋映画があったが、僕は小津安二郎にそれを見ます」
と答えたそうだ。
絶対映画とは、映画から、小説、劇、などの余計なものを取りのぞき、映像だけで映画を成立させようとするものだった。
小津安二郎の映画は、よく見ていると、筋やドラマやテーマなどはどうでもよく、テンポよくカットが進んでいくことの快感に酔ってくる。
その意味では、篠田が言うように、「小津映画は、絶対映画」であろう。
だが、このブレヒトの劇『マハゴニー市の興亡』を基にしたそうだが、それはほとんど感じられず、各シーンは「どういう意味なの?」とお聞きしたいものだった。
その意味では、これは実験映画、個人映画であり、2時間40分は、ほとんど苦行だったが、席を出て行った人は4人しかいず、その一人もトイレだったのか、すぐに戻って来た。
ただ、救いはクルト・ワイルの音楽で、やはり素晴らしい。
国立映画アーカイブ