昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。
いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。
日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。
この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。
おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。
同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。
だから、佐藤栄作は、自民党から社会党、さらに部落解放同盟から日本共産党に至るまで広い人脈を作っていたとのことだ。
日本の演劇界に言えば、唐十郎が、1960年代に上野公園音楽堂で芝居ができたのも、佐藤栄作と同じ東大卒の共産党の宮本顕治との関係だったというのだから驚いてしまうが、その間には上野のかの骨董屋も介在したのだそうだ。
この辺のネットワークは、実に不思議と言うしかない。
宮沢喜一氏が、地方政治家系の小沢一郎に負けたというのも、実に戦後日本の変化を現わしていると思える。