指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

西河克己の偉さを思う

2024年02月09日 | 映画

早見優主演の映画『KID』を見る。1985年の公開時に併映の『ブレイクタウン物語』もひどいと思い、『ミュージック・マガジン』に書いたが、やはりひどい。

ここで思うのは、百恵・友和映画をヒットさせた元日活の西河克己の偉さである。

最初、東宝から山口百恵の映画の企画が来た時、ホリプロは「女学生映画」を考えていたそうだが、西河は、女学生ばかりだと百恵が目立たないと反対し、『伊豆の踊子』にしたそうだ。

早見優は、体は大きいが、まだ大人の情感はないので、それこそ「女学生映画」でもよく、女学生映画には、大成功ではないが、伊東ゆかりの映画『愛する明日』があり、そこそこ映画として成立していたのだから。

ただ、この愚策を見て、発見したことが三つあり、松尾和子と小坂一也がまだ生きていたこと、宍戸錠の映画『殺しの烙印』で、錠が最終の相手の南原宏治と会う海辺の桟橋が、横須賀港のものであったことが分かったのだ。

小坂一也が悪人で、最後早見優に伊勢佐木町で殺されるが、これは小坂と堀社長がロカビリー時代からの旧友だったからだろう。


若山と勝新

2024年02月09日 | 映画

若山富三郎と勝新太郎は、言うまでもなく兄弟だが、その性格はかなり違ったようだ。

先日の『座頭市千両首』を見ると、若山は、最後であっさりと勝新に負けてしまうが、これは「座頭市は勝新の映画だ」と心得ているからだろう。

若山は、勝新の後を追って映画界に入ったが、新東宝、大映、東映と必ずしも順調な歩みをしたわけではない。

そうした経験が、生かされたのが、黒澤明監督の『影武者』の時である。

当初、この企画で東宝では、勝新と若山の共演でやるつもりだった。当時、東宝では、勝新の『座頭市』と若山の『子連れ狼』がドル箱だったからだ。

だが、このとき、この企画を若山が断った。

「勝と黒澤が組んだら、きっと喧嘩になる。その時、俺が仲裁役になるのはご免だ」

これは、彼の予想通りになって、撮影1日目で、勝新の解任となる。

これは、普通に言われているように、勝新がビデオを廻していたからではない。

準備の段階で、黒澤も勝も、全国のロケ地を現地視察に行った。

そして、昼が終われば、当然にも夜は宴会になる。

そのとき、黒澤明の言うことは、昔話ばかりで、次第に周りに人がいなくなった。

対して、勝新は、いつも話が面白いので、次第に宴会は、勝新中心のものになり、黒澤明は極めて不愉快になる。そうした中でも、黒澤明の傍にいて大声で笑っていたのは、仲代達矢だったそうだ

彼には、『七人の侍』以来の恩義があったからだ。

そうした、不穏なスタッフ、キャストの雰囲気の中で、東宝のスタジオでの撮影になった。

そして、勝新の解任と仲代達矢の代役になったのである。

これについて、『無法松の一生』で勝新を使ったことのある堀川弘通は言っている。

「勝新は、どこまで黒澤明が許容してくれるのか試して失敗したのだ」と。

「彼は、物が読める人間であり、『無法松の一生』の時は、借りて来た猫のように大人でぃくてなにも起さなかったのだから、そこを見誤ったのだ」

『座頭市』等で大成功していた勝新と、『トラ、トラ、トラ』の解任以後、追い詰められていた黒澤明との差である。