猫じじいのブログ

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きょうの安倍晋三の国葬は下品で情けなかった、やるべきでなかった

2022-09-27 23:22:09 | 政治時評

安倍晋三の下品で情けない国葬がきょう武道館で行われた。岸田文雄や菅義偉の追悼の辞(送る言葉)はなんだ。感傷的に個人の死を悼むなら個人葬で充分である。岸田や菅は安倍の威光がほしかっただけでないか。

人びとに対する安倍の功績はなんなのか、岸田や菅が言うことができないなら、国葬とすべきでない。情動で国政や外交を行うというのは、危険極まることである。

そう言えば、安倍自身も意味のない感傷的な言葉を発し、「戦後レジーム脱却」を叫んで統一教会と組んで国家主義・軍国主義体制を日本に復活させようとした。「戦後レジーム」とは、日本の民主化・非軍事化のことである。

第一次安倍内閣で、教育基本法改正、イラク特措法の延長、教育三法改正を行った。第二次安倍内閣で、特定秘密保護法制定、労働者派遣法改正、集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定、検察庁法の改正を行った。日本が敗戦で得た民主化を逆行させただけである。

2016年12月27日、ハワイでの真珠湾攻撃犠牲者慰霊式では、当時の首相、安倍は、「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江」とスピーチを始め、その感傷の言葉が最後まで続いた。

これに対し、日本の代表的保守論者、保阪正康は、日本の真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争が始まり、日本軍部は戦線を拡大続け、アジア太平洋地域で1千万単位の死者を出したが、その結果、日本はどんな教訓を学んだかの言及がない、と怒った。

私も保坂と同意見だ。こんなことで、日本の軍備を増強し、敵基地攻撃能力を持ってもらっては困る。いったん軍拡競争が始まると、軍事費の国民負担がどんどん大きくなる。そのうち、軍関係者や政治家はその軍備を本当に使いたくなる。情動で国政や外交をしてはいけない。

岸田は、安倍派との対抗意識から、国の借金を増やしてまで、GNPの2%にあたる軍事費予算をつけようとしている。ここが岸田の悪い所だ。昨年、聞く耳をもつと言って、総裁選に勝ったが、聞いているのは安倍派の声だけである。

安倍は戦後レジームの脱却しか理念がなく、選挙に勝つため何でもやった。しかも、自分に逆らう自民党議員を落とすことまでやって、長期政権を維持した。約8年の長期政権というが、その実現のため、自民党内の政敵をつぶし、自民党の総裁の再選規約を変えたのである。安倍が潰瘍性大腸炎にならなければ、いまでも安倍政権が続いていたのだ。プーチンと同じ独裁が大好きの政治家であった。

民主国家の首相になることは、戦国時代の国盗り物語ではない。自己実現の権力闘争ではない。

党内政治で陰謀を振るうという安倍の体質は、政治に腐敗を招く。論理的な説明より、感傷的なスピーチを好み、陰謀で政敵や逆らう官僚を排除する姿勢は、甘い汁を吸いたいという者を集めてしまう。森友学園、加計学園の事件をうやむやになったが、いま、新たに東京オリンピックの賄賂事件が吹き出ている。

国家主義は腐敗と切り離せない。岸田は国葬を閣議だけで決定した。政権とは行政府を担うことにすぎない。民主国家の行政府は国民にサービスする部門である。閣議で決定すれば、なんでもできるというのは、安倍が始めた政治スタイルであって、行政府の暴走である。民主国家のあるべき姿ではない。

岸田政権は、今回の国葬をよくわからない会社に丸投げした。予算のわりに あまりにも お粗末な葬式であった。品がないのである。武道館の入り口に掲げていた やたらと大きな字の垂れ幕「安倍晋三国葬儀場」は、場末の温泉旅館か大阪の餃子チェイン店かを思わせる。美的センスがないのだ。参列者をスチールパイプの折りたたみ椅子に座らせていた。マスクをつけた自衛隊員が手持ちぶさたに中央に参列していた。なぜ、暗い照明のなかで葬儀を行うのだろう。楽しくできないのだろうか。式典に何のユーモアもない。

この会社は政府の誰かにキックバックしていないだろうか。アベノマスクを思い起こさせる。

安倍を継承する岸田政権の安直さと無能さとをきょうの国葬は表わしていた。弔問外交なんて名ばかりだった。