猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

朝日・東大共同調査『衆院当選者の考え』からみえる政党間の距離

2021-11-08 22:51:32 | 政治時評

今回の衆院選がおわってからのBS TBSの『報道1930』で、キャスターやコメンテーターが立憲民主党と共産党の共闘を叩いていた。立憲民主党の解体を狙ったもので、私は不当な番組だったと思う。また、同じ番組で、これからは、岸田文雄の自民党は維新と組んで改憲をすべきだ言っていた。また、新聞では、国民民主党が日本維新の会との合併したがっているとの観測が流れていた。

なにか、日本の政界の地殻変動が起きている。

ここでは、朝日・東大共同調査、『政党別、衆院当選者の考え』をもとに、日本の政界でどのような地殻変動が起きているのか、分析したい。もちろん、この共同調査は、公表された結果だけを見るかぎり、非正規雇用、最低賃金、生活保護などの社会保障の問題を扱っていないなど、私には不満がある。憲法問題でも、公表されたのは改正するか否かで、どの条項に問題があるのか、何を加えたいかを明らかにしないと意味がない。また、外国籍労働者の人権問題も扱われていない。

それでも、調査結果から、政党間の距離、政界地殻変動が読み取れる。

ただし、読み取るには、公表されている賛成、反対だけでなく、新聞紙上で公表されていない、どちらでもないを政党別にだす必要がある。これは、各政党の当選者の数から、賛成数、反対数を引けば、求まる。

例えば、「所得や資産の多い人への課税を強化すべきだ」に、当選者のうち、23%の自民党が賛成し、5%の自民党が反対している。当選者の56%が自民党だから、28%がどちらでもないと答えたことになる。この調査は、衆院選公示の段階で調査したのであるから、強化に慎重な人は、賛成、反対に答えるはずがない。本音レベルでは賛成できない(28+5=33%)が自民党内で多数派であり、岸田政権内で課税が強化されることはないだろう。

政党と政党との距離を見るには、賛成、反対、どちらでもないを3つの軸と考え、賛成数、反対数、どちらでもない数で作られるベクトルの向きを、政党間で比較すれば良い。ベクトルの向きが同じであれば、100%一致しており、ベクトル向きが直交していれば、意見の一度は0%とすればよい。100%から0%のあいだは、ベクトルのなす角度に合わせて数値化する。すると、各質問事項に合わせて、政党間の距離が求まる。

例えば、先ほどの「所得や資産の多い人への課税を強化すべきだ」でいうと、自民党と意見の一致度が高いのは公明党との91%、維新の会との73%である。立憲民主党との意見の一致度の高いのは、国民民主党との93%、共産党との93%である。

新聞紙上で公表されている共同調査は15項目である。政党間の意見の一致度の15項目平均はつぎのようになる。

--------------------15項目平均-------------------------------------------

              自民      立憲       維新      公明       国民      共産
自民                     41%       63%       49%       56%       22%
立憲       41%                     42%       61%       52%       61%
維新       63%       42%                     51%       59%       25%
公明       49%       61%       51%                     50%       37%
国民       56%       52%       59%       50%                     31%
共産       22%       61%       25%       37%       31%      

-------------------------------------------------------------------------------

これをみると、自民党と意見がもっとも一致するのは、維新の63%、ついで国民民主党との56%である。立憲民主党と意見がもっとも一致するのは公明党との61%と共産党の61%である。共産党と意見が一致するのは立憲民主との61%で、他の政党との意見の一致度は低い。

政党間の意見の一致という立場からは、自民党、維新の会、国民民主党で1つのグループを作っており、そこから離れて公明党、立憲民主党、共産党がある。立憲民主党は公明党と共産党の中間にある。

したがって、共産党からみて共闘というと、立憲民主党しかない。

立憲民主党は、公明党と共産党の中間にあるが、公明党と自民党とが連立政権を組んでいるので、公明党と共闘できない。

私は、現在の小選挙区制が続く限り、立憲民主党と共産党は共闘するしかないと思う。外部からの批判は、立憲民主党の解体を狙ったものにすぎない。悪意がある。

新聞紙上では、憲法1項目、外交安全保障3項目が公開されているが、それでみると、自民党、維新の会、国民民主党の意見の一致は高く、立憲民主党と公明との意見の一致はさらに高くなる。

したがって、今後の流れとして、維新の会は自民党との連立を組もうとして動き、公明党を弾き飛ばそうとするだろう。公明党は連立政権から追い落とされないため、みずから変質するかもしれない。

課税問題では、公明党が自民党との意見の一致度が91%と高いのは、私の若い時代と違って、公明党の支持層である創価学会員が経済的にゆとりのある層に変わってきたことにあると思う。経済・財政の5項目では、公明党は維新の会より自民党との意見の一致度が高い。

共同調査は社会保障、福祉について公表していないので、その分野でも公明党の意識が変質したのかが気になる。

また、ジェンダー3項目の調査結果がでているが、政府による思想や教育の統制の問題が共同調査で扱われていない。ジェンダーだけがリベラルの問題ではない。

保坂正康が心配しているように、自民党、維新の会、国民民主党、公明党のブロックができると、福祉や社会保障より経済競争を重視する、私にとって息苦しい社会が固定される可能性が高まる。また、保坂が恐れる軍事優先の社会が実現するかもしれない。


哲理なき岸田文雄は本当に何もしない人か、喜劇が それとも悲劇が始まるのか

2021-11-07 14:47:48 | 政治時評

リベラル保守の論客、保坂正康が、今回の衆院選の結果を分析し、日本人(日本国有権者のこと)の選択に憂いている。11月5日の朝日新聞のインタビュー記事『哲理なき現状維持』のことである。

私も彼の憂いに共感する。

彼は、今回の衆院選挙の結果を、つぎのように語る。

《 1つは国民は何にも増して現状維持を望んだということです。》
《 2つ目は、……総体的に保守勢力の追認という枠内にあり、護憲・戦後体制の崩壊、あるいは空洞化という結果になった。》
《 そして立法府の無力化が更に進むのではないか、という懸念が3つ目のです。》
《 つまり哲理なき現状維持です。》

辞書を引くと、「哲理」とは「人生・世界の本質にわたる深い道理。哲学上の道理」のことだそうだ。

私の担当している21歳の子どもの家は母子家庭であるが、自民党の総裁選をテレビでみていて、岸田文雄はなにもしそうもないから、首相に一番良いねとみんなで話していたという。

本当に、岸田は「なにもしない人」だろうか。

保坂はつぎのように指摘する。

《 しかし、岸田文雄首相は憲法に反する『敵基地攻撃能力』の保有について『あらゆる選択肢を検討する』と否定せず、自民党の公約で軍事費の大幅増を掲げました。・・・・・・専守防衛から敵地侵攻へ転じることは、まさに地続きの戦前への逆戻りです》

《 敵を想定しその敵地を侵攻するという狂気は、一度始めると際限がなくなるのです。》

今回の選挙公約で、自民党は、防衛費をこれまでのGNP比1%から2%以上にするとしている。また、相手領域内でミサイルを抑止する能力をもつとしている。これまでのタガを自民は はずした。

岸田文雄は安倍政権で外務大臣を4年を越えて務めた。そのあと、自民党の政調会長として安倍政権を支え、安倍晋三から政権を禅譲されると思っていたら、去年、菅義偉・二階俊博コンビに総裁の座を奪われた。今回、安倍・麻生・甘利コンビのもと、総裁の座を奪い返した、正真正銘の安倍路線の継承者である。

保坂は安倍の政治スタイルを「行政独裁」だと言う。

安倍晋三は首相の座を「立法の長」と言う。これは欧米民主主義の三権分立の伝統を破るもので、「立法府」は みんな等しく国民の代表であるから 平等である。首相が「立法の長」でなく、「議長」が国会の議論をしきり、「立法府」が法を制定していく。首相はあくまで行政府を指示・監視する「行政の長」である。

《 行政独裁に歯止めをかけるのは、政策を立案して行政にぶつける政党の役割です。自らの哲学をもって政府の基本姿勢を根本から問い続ける。》

《 国民が困っているなら、困らないようにする政策はこうだ、と議論すべきで、いくらばらまくよというのは政治ではないし、有権者を侮辱しているとしか思えません。》

選挙中の岸田は驚くほど多弁であった。何も考えていない、哲理がないから、平気で「新しい資本主義」と言えるのだ。一方、社会保障制度には何の言及もない。実体のない「賃上げ」をいうだけである。政府が企業に税制優遇すれば、賃上げが起きるというのは、子どもだましにすぎない。

岸田は、本当に、石川健治のいう『民主的「皇帝」』になりうるのか。それが喜劇で終わるのだろうか。保坂のいうように、それは、ほかの国からみれば喜劇でも、日本人にとって悲劇になるかもしれない。戦前の世界のように、ファシズム(熱狂)は、哲理なくとも、黙って忍び寄ることができるのだ。

[関連ブログ]

民主的「皇帝」は現代日本に現れるだろうか


佐藤優の「優」はなんと読むのか、「ゆう」「すぐる」「まさる」?

2021-11-05 13:49:02 | 思想

私の「ひきこもり」の息子が池上彰・佐藤優の『真説日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960』(講談社現代新書)が面白いと言う。300円はらって電子書籍で、一晩中読んだと言う。

ひぇー、そんなのものかと私は思った。

佐藤優の『神学部とは何か』(新教出版社)は面白かった。しかし、彼の他の著作は私には面白くなかった。

『神学部とは何か』には、彼の学生時代の同志社大学神学部の穏やかで幸せな日々が伺えるからである。当時、神学部は学生らによってロックアウトされていたのである。いわゆる学園闘争の名残りである。にもかかわらず、教職者と普通に交流ができているのだ。ロックアウトらしいところは、キリスト教のシンボルの魚を壁に落書きし、ときたま、哲学科の学生たちと言い争うのだ。ロックアウトと言いながら学生の部室みたいものがあっただけであろう。

しかし、そのことより、息子との会話を通じて佐藤優の「優」は、なんと読むのか気になった。「優」は「ゆう」なのか「すぐる」なのか。早速、ウィキペディアで調べた。「まさる」が正解なのだ。

「ゆう」は優しい響きがある。女の子にも男の子にもつけておかしくない。「すぐる」は「すぐれた作品」「すぐれたアート」と秀でたと感じで、「ゆう」についで、名前としてありうる。しかし、「まさる」とは思わなかった。「まさる」は「勝る」ともかく。「優劣」のように他人と比較するときに使う言葉である。ひぇー。

ウィキペディアでは、佐藤優の肩書が「作家」になっている。これは本人の意思なのか。たしかに「もの書き」であるが、私からみると、「宗教研究家」「哲学者」「現代史研究家」であるように思える。知識人の業界に属していないから、素人扱いをしていないか、と不愉快に思った。

ウィキペディアによれば、佐藤優は私の12歳下である。

彼は、埼玉県立の高校時代に、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ポーランドとソ連(ロシア)に一人旅している。そればかり、高校で社会主義青年同盟(社青同)に入っている。その行動力にびっくりする。

私など思いつかないことばかりだ。私は、田舎の高校にいて、新聞部に入り、絵画クラブを創り、生徒会の会長も務めたが、みんなで遊ぶことばかりに熱中していた。埼玉県と異なり、男女共学で、フォークダンスにも私は熱中していた。マッチョぶるのは、高校に下駄やゴム草履で通い、テストのとき白紙答案を提出するぐらいだった。

私の息子が、池上彰・佐藤優の『真説日本左翼史』を面白がるのは、左翼の選択肢がいまよりずっと広かった時代1945-1960年を描いているからだ。私の学生時代、1965-1970年も選択肢が広かった。社会党が存在した。共産党と新左翼のいがみあいがあったが、私の周りでは共存していた。毛沢東の文化大革命がちょっとオカシイという話しを私がはじめて聞いたのは、数学科の革マル派の院生と共産同の学生が将棋を指しているときの会話である。

左翼とは、人の上に人がいることの否定である。権威主義への反対である。百花繚乱のように色々な考えが咲きほこるのが、あたりまえであった。

左翼の選択肢が狭まったいまの若い人たちが可哀そうである。


本当に私たちは自由で誰にも抑圧されていないのか

2021-11-03 22:42:41 | 政治時評

世の中になぜ暴力があるのだろうか。それは暴力で人を従わせることができるという考えがあるからだ。たしかに、人は脅しに弱いところがある。それでも、脅かされていると思いたくなくて、従う理由を求める。理由にならない理由でも、無理して受け入れる。

いま、社会はどのような状況なのだろうか。暴力がなくて平和が保たれているのだろうか。それでも、暴力の存在に目をつぶって、従う理由を信じて、逆らわないだけであろうか。

いじめや家庭内暴力は厳然とある。それらは例外なのか。生活に困窮して死ぬ人がいるのは、何かの手違いなのか。

日本には、政党として、日本維新の会があり、かたや、れいわ新撰組がある。名前だけを聞くと、まるで、喜劇のようである。みんな、政治をお芝居かのように思いたいのだろうか。

いろいろな政党があり、それらが選挙に参加すること自体は、暴力でものごとを決めることが肯定されないために、良いことである。

しかし、90年前に、ナチスが国政選挙に参加し、形式的には、合法的に独裁制をしいた。その裏には暴力が使われていた。

ドイツだけでなく、そのころ、日本でも、帝国議会と憲法があったにもかかわらず、暴力が社会に横行していた。昭和維新と改革が叫ばれていた時代である。そのなかで議会は自ら議論することを放棄し、政権の翼賛機構となることを選んだ。

ナチスのドイツは1939年に開戦をフランス・イギリスに告げ、第2次世界大戦がはじまった。大日本帝国は1941年に開戦をアメリカに告げ、太平洋戦争がはじまった。ドイツも日本も、その開戦を告げる数年前に、日本は10年ほど前に、周りの国々に軍事進攻をして、他国の人びとを従わせようとしていた。

戦争は、暴力の最大の形態である。すべての人に暴力を振るうだけでなく、すべての人を暴力に参加させようとする。

現在、目に見える暴力が機動隊によって振るわれるのは、沖縄だけである。沖縄以外では、政府と国民の間に意見の相違がないのだろうか。暴力がなくても、従うようになっているのだろうか。

   ☆    ☆    ☆    ☆

日本維新の会の選挙公約に、「解雇ルールを明確化するなど規制改革で労働市場の流動化・活性化も促す」がある。解雇は雇う者の暴力ではないか。「労働市場」というが、雇われて働く者は、商品なのか、人間でないのか。

同じく選挙公約に「世界平和に責任が果たせる国に向け、防衛費のGDP1%枠を撤廃し、テロやサイバー・宇宙空間への防衛体制を強化する」という。防衛力は強化するということは、暴力を振るいたいということではないか。どうして、それが世界平和に責任を果たすのだろうか。また、その分だけ、社会保障費を圧迫しないのか。

また、公約の「廃炉技術の伝承と使用済み核燃料の有毒性低減のため、小型高速炉など次世代の原子炉の研究開発を強化・継続」も意味不明である。「高速炉」は原子炉を稼働してできたプルトニウムをもう一度燃やす炉のことである。プルトニウムに高速の中性子をぶつけないと燃えないから「高速炉」というのである。「廃炉技術」とは何の関係もない。プルトニウムは再処理して取り出さないかぎり、長い時間をかけて自然崩壊するので、放射性物質としての危険性は低い。危険のある原子炉の再稼働をおし進めるのも暴力である。

公約の「憲法改正に正面から挑み」もびっくりする。天皇制の廃止ではなく、「教育の無償化と統治機構改革」である。教育の無償化は憲法の問題ではなく、行政上の問題である。現在、私立高校、私立大学にも政府が援助している。問題は、政府がお金を出すことで、ひきかえに、教育の自由を奪っていることである。政府は、ひきかえに、政権の考え方を子どもや若者に教育することを、教師に強要しているのである。

日本維新の会のいう「統治機構の改革」とは何なのか。憲法を変えてまで「統治機構の改革」とな何なのか。政治の効率化とは、話し合いを否定することになる。それは暴力につながらないのか。民主主義の否定とならないのか。

日本に、政党として、日本維新の会とれいわ新撰組があるのは、みんなが、政治に「お笑い」を求めてか、それとも、政治に「熱狂」を求めてか、どちらだろう。「お笑い」ならば良いのだが、「熱狂」なら、明示的暴力の時代の訪れのサインである。人はそれをファシズムと呼ぶ。

[補遺]

日本維新の会のサイトで調べると、「統治機構の改革」はつぎのことをいうようだ。

《憲法を改正し、首相公選制、一院制(衆参統合)、憲法裁判所を実現する。地方課題については地方自治体が国家の意思決定に関与できる新しい仕組みを創設する。》

憲法裁判所なくても、憲法を変えなくても、裁判所が、法令が憲法に沿っているかどうか、判断できる。単に現行の裁判所が判断にビビッているだけで、日本が米軍の占領下にあったとき、アメリカとの関係に及ぶことは、高度に政治的判断として裁判所が避けたことが、現在、慣習として固定化しているだけである。

問題は、「首相公選制」、「一院制」、「地方課題については地方自治体が国家の意思決定に関与できる仕組み」である。どうも統治の効率化を狙って、政府権力の強化を狙っているようだが、それは国民への抑圧を招くようになる。

また、国会が国民の代表として機能していれば、「地方自治体が国家の意思決定に関与できる仕組み」など必要ないはずである。地方自治体の問題は、住民へのサービスを国の代わりに行なっているのに、その財源を国が支給する交付金の原則が明確化されておらず、政権の思惑で支給額が左右されることにある。公平な支給額のルールを国会で議論し、決めることが大事で、憲法改正を行うというのは、安易すぎる。

日本維新の会は、何か自民党にご機嫌伺いをしているのではないか。


枝野幸男を党首から他党が引きずり下ろすのは正当か、テレビが外から政争を煽っていいのか

2021-11-02 21:44:27 | 政治時評

BS TBSの『報道1930』もBSフジの『プライムニュース』も政争を煽っている。

むかし、金融エコノミストたちは、経済的波乱を起こるのを楽しみに待っていた。経済的波乱が起きると、危機を煽ると自分のメディアの出番が出てくるからだ。それだけでなく、株価が上下すると、投資家はふだんにない望外の利益にありつける。

テレビが政争を煽って何か利益があるのではないだろうか。

政争と論争とは異なる。政争はルールなしの権力争いである。論争は「真理」は何か、「正義」は何かの争いであり、もしかしたら、「真理」「正義」は不可知、あるいは、存在しないのかもしれないから、相手を負かすのではなく、歩み寄り、以前より、マシな相互理解に達する過程である。

NPOで困っている子ども、若者に支援の手を差し伸べる仕事をしていると、政争を煽っているテレビにはついていけない。

左翼とは平等を求める立場である。人の上に人がいる社会構造を否定する立場である。民主主義の基本は、宇野重規が言うように、「平等」だと思う。

立憲民主党はリベラルを旗印に議員を集めたが、日本に必要なのは、多くの人々を集める開かれた左翼政党だと思う。リベラルな左翼政党があって悪いことはない。

立憲民主党が共産党と野党共闘を組んだことを、自民党、公明党、維新が非難する権利もないし、立憲民主党の解体を狙う悪意があるのだと思う。これを面白がって、テレビが政争を煽るのに、私は不愉快である。

リベラルは、単なる多様性の肯定ではなく、困難な立場にいる少数派を守ることである。だからといって、リベラルが少数派の金持ちを守る必要がない。少数派の金持ちは、社会で優遇されており、権力をもち、人の上にいる。何も困っていない。

富裕層の課税強化をいう政党、雇われる人たちの権利を擁護する政党、貧困に苦しんでいる人たちを守る政党が私には必要である。

選挙は自分たちを代表する議員を選びたいのであって、リベラルな左翼政党がなくなれば、私の選択肢がなくなる。政党解体を煽るようなTBSテレビやフジテレビのあり方に怒りが静かにこみ上げてくる。

[補足]

いま、テレビ朝日の『報道ステーション』は「連合が立憲民主党の最大支持母体」と言っていたが、これはウソである。多くの労働組合が企業の第2人事部となり、連合は安倍元首相と協力関係をもった。連合は、新潟県では自民党と組んで、原発の再稼働をはかってきた。いっぽう、新潟では、連合なしで、立憲民主党が勝てるようになった。立憲民主党は「労使協調」の連合からの自立をはかってきた。連合は立憲民主党の最大支持母体ではない。