今日の朝日新聞『(耕論)ばらまかない分配とは』では、3人の女性が論じていた。ライターの和田静香だけが、「分配」という言葉に違和感を訴えていた。
《 「分配」ってなに?・・・上からの施しのよう・・・でも元は税金でしょう。「再分配」だと少し印象は変わりますが。》
正確にいうと、今回の「分配」とは、政府が借金して選挙民にお金を配ると言う話しである。
もともとは、自民党の今回の選挙公約「経済には成長と分配が必要。成長に向けた大胆な危機管理投資・成長投資とともに分配によって所得を増やし、消費マインドを改善、日本経済を新たな成長軌道に乗せる」にある。
この「成長と分配」や「分配によって所得を増やし」が意味不明なのだ。
国税庁関係の論者はこれまで、安倍政権下でも、税制は「再分配」制度であると言ってきた。「再分配」とは、奪われた労働の成果を、雇われびとが、国を通して、奪い返すという意味である。
朝日新聞の表題の「ばらまく分配」とは一時的な給付金のことである。選挙の「買収」行為と同じことを、選挙に勝ったら行うと約束しているのである。
リベラルを自称する人も、「分配」は、社会保障なのか福祉なのか、それとも、「買収」なのかを真剣に考えないといけない。「社会保障」や「福祉」は持続的制度でないとおかしい。
「社会保障」は、運や不運に振り回される私たちを守るための社会制度である。新型コロナで仕事を失った人びとに、生きていくための生活費をとりあえず出すことである。宿泊・飲食業で雇われている人びとは、もともと賃金が極端に低い。非正規である。新型コロナ禍で、彼らに失業保険が支払われたのか。なぜ、彼らに支給がいかず、全国民への一律の新型コロナ給付金になったのか。
「福祉」は、理由を問わず、他よりも貧困に苦しんでいる人びとが、ひとなみの生活が送れるよう、支援する社会制度である。なぜ、新型コロナで生活費にこと欠く人びとを生活保護制度で救えなく、一律の国民給付金となったのか。
新型コロナ禍では、国会がそもそも開かれなかった。なぜ、臨時国会が開かれなかったのか。
自民党、公明党に今回投票したひとは自分を恥じるべきである。
和田静香はつぎのように書く。
《 コロナ対策で昨年、1人10万円が配られました。目の前で苦しんでいる人がいるとき、お金は必要です。でも「お金を配りま~す」だけでは再分配でありません。安心して暮らせる仕組みづくりを含めて再分配だと思います。》
《 公営住宅の整備や国が家賃を保障制度など、「死活問題」から抜け出せる一過性でない分配が必要です。》
ところで、「再分配」とは、金持ちから税をとって、奪われた賃金を雇用者に返すことである。金持ちが株式会社を資産隠しに利用している、この「資本主義社会」では、法人の利益にもしっかり課税して、「再分配」の資源にまわさないといけない。
「社会主義」社会になると、そのまえに、雇われた人びとが自分の給与を決めるのである。経営者や政府が決めるのではない。それでも、「社会保障」や「福祉」は必要だし、自然環境を守るために、集合型公営住宅が必要である。