猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

政治を軽視する日本人たちに怒れ!

2023-12-11 00:22:54 | 政治時評

2日前の朝日新聞《耕論》のタイトルは『政治って遠い存在?』だった。私はこれに不満である。3人の話し手の熱意が記事からなぜか伝わってこない。

いっぽう、約50年前に死んだユダヤ系政治哲学者ハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』(みすず書房)のなかで、政治というものへの軽視に、激しく怒っている。

「政治問題にユダヤ人がかかわらなかったことは千年の長きにわたっており、この無経験が離散(ディアスポラ)時代のユダヤ人の一切の伝統を支配してきた。……。100年間の同化の時代に彼らはあらゆる形の社会の拒絶や先入見に対して極端なまで敏感になったにもかかわらず、この同じ無経験が、彼らを政治的反ユダヤ主義の危険に対して盲目にした。」

英語版の『全体主義の起源』では「無経験」が“ignorance”となっている。みすず書房はドイツ語版の翻訳で、ハンナ・アーレントはどう書いたか、私には、わからないが、政治への軽視をアーレントは激しく怒っていると思う。英語版では、アーレントは次のように簡潔に書いている。

「THE Jews' political ignorance, which fitted them so well for their special role and for taking roots in the state's sphere of business, and their prejudices against the people and in favor of authority, which blinded them to the political dangers of antisemitism, caused them to be oversensitive toward all forms of social discrimination.」

私も、「日本人の政治への軽視」に怒っている。3人の話し手にもっと怒って欲しかった。

政治とは国家権力を対象としている。国の行政部門は大きな権力をもっており、一部の人間集団に握られたとき、国は私たちへの巨大な抑圧者となる。

国は警察力をもっている。50年以上も前、学生のとき、日比谷公園での集会の様子を見に行ったら、突然、公園の入り口で、理由もなく、機動隊の一人に腹を殴られた。集会は東京都の許可をとったものなのにだ。

日本では、裁判なしに、証拠隠滅の恐れありで1年間拘束されることがよくある。裁判官は国の警察や検察に遠慮しがちである。昨年には、禁じられた製品を北朝鮮へ輸出した疑いで町工場の社長や幹部社員が長期拘束され、その間に取締役の一人が病死した。事件そのものは結局不起訴になった。日本の輸出規制はアメリカと比べ恣意性があり、私も、会社員のとき、他の社員から愚痴を聞いたことがある。

国は軍事力をもっている。この軍事力は国民の税金で賄われている。どこが敵国かを、国が決めている。私は、中国と戦争できるための軍備増強に反対である。

そう、国は国民から税金をも取り立てている。だれからどれだけ税金を取り立てるかを国が決めている。そして、どのように使うかを、国が決めている。

物価があがって国民が苦しんでいることを理由に、来年お金をばらまくことを国が決めたが、国民が困っているのは食料品が2割から3割上がったことである。食料品にかかる消費税をなくせば、貧しい人々が助かるのに、国はそうしない。貧しい人々を議員は代表していない。

日本国は憲法上、国民主権である。しかし、国民が政治を軽視すれば、一部の人間集団が国家権力を握ってしまう。

戦後の長きにわたって自民党が、多数派として、政治を握ってきた。教育行政、労働行政、福祉行政を自民党が握ってきた。自民党はろくでもないヤカラである。

私は、教育において、愛国教育は不要だと思う。それより、他人と対等で楽しい人間関係をどうすれば築けるか、social skillsの教育を重視すべきである。

私は会社務めを長きにわたってしてきたが、会社の人事部は、いかに社員を安いお金でたくさんの成果を出させるかに精力を注ぎ込んでいる。こちらは仕事に集中して疲れ果ているときに、そうである。社長や取締役はもっと悪人である。社内の権力争いに自分の精力をそそぎこんでいる。どこの会社も経営陣は品がなくバカである。この状態に陥っているのは、働く者の身分の不安定のため、経営陣と個人と個人では言い争えないからだ。近年、派遣労働や委託労働など、法で充分に保護されていない労働形態が増えている。

福祉行政でいつも疑問に思うのは、国が福祉行政を地方自治体に丸投げしておきながら、その財源を公平に十分に地方自治体に供給していないことである。そして、「ふるさと納税」という怪しげなものを導入し、不正の温床になるものを国が導入した。

東京オリンピックや大阪万博などはお金の無駄遣いで国が関わってはいけないことである。官房機密費で東京オリンピックを引っ張ってくるなんて異常である。

選挙で選択肢がないから、投票に行かないという日本人も、無責任である。選択肢がないという状況が生まれるのは、小選挙区制のせいだと私は思う。中選挙区のときのほうが、選挙に活気があった。

政治は利害の調整である。地域によって、利害が共通しているわけではない。仕事の種類や生活様式によって、利害は異なる。経営者と労働者は利害が異なる。農業従事者と製造業労働者と小売業者(商店主)とは利害が異なる。日本全体を1つの選挙区として、各政治家がどのような利害を代表するか率直に述べて立候補すべきである。私の利害を取り上げている候補者に私は投票できる。

政治家の2世、3世が、東京生まれ東京育ちにもかかわらず、地方の小選挙区で当選して、政界のトップを争う現在の政治は異常である。

いったん当選すれば、自民党議員は自民党内の争いに加わる。誰かを代表して政治に加わるのではなく、個人の権力欲のために、政治の争いに加わる。それは、現在、国の権力を握っているのは政治家であるからだ。決して、役人ではない。

すると、投票に行かないということもトンデモナイことが、投票だけで十分でない。デモもあるし、なんなら、総理大臣に卵をぶっつけたって良い。国に対する怒りを表現すべきである。

安倍晋三が殺されたことで、安倍の悪事が、いま、ぽろぽろと明らかになってきている。政治を軽視する国民より、安倍を殺した犯人のほうが人間としてましである。



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