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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「身体完全同一性障害」という病

2018年03月07日 10時57分02秒 | 障害者の自立

「足を切り落としたい…」自ら障害者になることを望む人々の実態

「五体満足」な状態に違和感をもち、自分の身体の一部を切断したい願望にとらわれる「身体完全同一性障害」という病気がある。関連本が出版され、日本でも認知度が上がり、症状を訴える人が出てくるかもしれない。神経内科専門医であり立命館大学教授の美馬達哉氏が解説する。

「身体完全同一性障害」をご存知ですか

珍しい病気や奇妙な症状は人間の個人差と同じで数限りなく存在している。

その中には、ただ珍しいだけではなく、私たちが「正常」や「健康」と信じている価値観を揺さぶるものがある。

自分の手や足が余分で不快な異物と感じられて、それを切り落とすことを心から望む「身体完全同一性障害(BIID)」という病気はその一つだろう。

私は授業の時、この病気の方を取材したドキュメンタリーDVD(メロディ・ギルバート監督『完全(Whole)』サンダンス・チャンネル)を見せて感想を聞くことにしている。

人のために尽くしたいと思う優しい気持ちの学生たちはとくに、自分の体を傷つけて障害者になることを切望するBIIDの人々の姿を見てなんとも言えない表情を示す。

私自身はこうした訴えの患者さんに病院で出会ったことはない。

だが、この病気についても紹介している本が出版されたので、ひょっとしたら日本でも増えてくるのかもしれない(アニル・アナンサスワーミー『私はすでに死んでいる』紀伊國屋書店)。

 切り落とそうと努力する

ドキュメンタリー『完全』には、さまざまな努力をした結果やっと自分の足を切断すること(!)に成功した患者さんたちが何人も登場する。

やっと左足を太ももから切断できたと幸福そうに語るのは、にこやかな高齢男性のバズ氏だ。子どもの頃から左足は自分の身体の一部ではない感じがしていたという。

子ども時代の日記にもその悩みが記録されている。

さらに、子どもの時に描いた自画像も片足の姿だ。

いまでは、片足となっているため、日常生活では肘に取り付け具のある杖(ロフストランドクラッチ)を使っている。

〔PHOTO〕iStock

BIIDの人々は、だいたいは幼少期から特定の身体の部位(たとえば足)が自分の身体の一部ではないという感覚をもっており、切り落とそうと努力する。

切り落とすことの次善の策として不用な方の膝を強く曲げて縛って片足で歩くほうが気分が良いという人もいる。

だが、どんなに病院に頼み込んでも、そんな切断手術を喜んでしてくれる外科医はいない。

それどころか、奇妙な訴えの精神疾患として扱われることも多い。

精神科医を受診しても、足がついていることがストレスであることを除けば、とくに精神的不調や悩みがあるわけではない。

 どうやって切り落とすのか

では、BIIDの人々はどうやって自分の足をお払い箱にするのだろうか。

ドキュメンタリーに登場するバズ氏は、スーパーでドライアイスを大量に買ってきてバケツに詰め込んで、不用な足をバケツに突っ込んで、半日かけて凍らせたという。

痛みはあるようだが、冷たさによって感覚は麻痺するらしい。

凍傷になった頃合いを見計らって救急病院に駆け込んで切断手術を受けたという。

救急医はなんとか治療しようとしたが、自分の意志でわざと凍傷にしたのだし、切断手術してくれなければ同じことを繰り返す、と本人が説明してやっと凍傷の治療ではなく切断手術をした。

また、別の登場人物は、いかにもアメリカらしく銃で自分の足を撃って、暴発の事故に遭ったと説明して、救急病院で切断してもらったという。

いずれにせよ命がけだ。

逆に言えば、奇妙に聞こえるだろうが、「五体満足」な身体であることによって生じる苦しみがそれだけ強いということだ。

〔PHOTO〕iStock

身体イメージが異常になった病

もともと、1970年代に初めて報告されたとき、BIIDは、手や足を切り落とすことで興奮を感じたり、手や足の欠損した障害者だけに魅力を感じたりする性的倒錯の一種だと考えられていた(アポテムノフィリア、四肢欠損性愛)。

だが、現在では人間が脳内でカラダをどう感じているか(身体イメージ)が異常になった病だと考えられている。

それがわかるきっかけになったのは「幻肢」という現象だ。事故や外科治療のために手足を切断された人の一部は、存在しないはずの手足がまだ存在している感覚を持っていたり、存在しない手足に痛みを感じたりする。痛みがある場合には「幻肢痛」と呼ばれる。

こうした幻肢は、実際に存在する身体の障害の状態と脳内の身体イメージとがずれてしまった結果と考えられている。実際の身体と身体イメージの間にずれが、不快や痛みとして感じられるようだ。

おわかりの通り、この幻肢はBIIDとちょうど反対の状態である。

そうした人々の場合は、原因不明だが脳内の身体イメージが四肢欠損の障害者の姿となっているにもかかわらず実際には「正常」な身体を持っているため、そのずれを不快と感じていることになる。

「望ましい身体」という謎

脳内の身体イメージと実際の身体のずれが病を引き起こしているとすれば、その苦しみを取り除くにはそのずれを埋める治療が必要となるだろう。

一つの方法は、脳内のイメージをリハビリテーションのような治療で実際の身体の姿に合わせて作り替えることだ。これは幻肢痛ではすでに試みられている。

もう一つの方法は、実際の身体を脳内の身体イメージに合うように外科手術で改造することだ。

BIIDの人々が求めているのはこちらの解決法である。

 実際にドキュメンタリーに登場する人々は、四肢を切断できたことに満足して、その後は安らいだ生活を送っている。

とはいえ、脳内の身体イメージが「障害者」だから、それに合わせて実際の身体をわざと障害者にしてしまう「治療」には、どんなに当事者である本人が満足していたとしても、多くの人が倫理的な戸惑いを感じてしまう。

だが、身体の改造が真っ当な治療として認められている状態がある。

それは、性的マイノリティやLGBTのような多様性(ダイバーシティ)の一つのタイプである「性同一性障害」だ。

ココロの性とカラダの性が一致しないとき、ココロの性に合うように身体を改造して性別変更することは医学的治療と認められている。

ココロの性つまり脳内の身体の性を転換させようとするのは、もし可能だとしても「洗脳」や人格改造のような人権侵害とも感じられる。

その違いを生み出しているのは、四肢の欠損などの障害は望ましくないという身体のあり方だという価値観の存在だろう。

障害者になりたいと望むBIIDの人々がいることで、そうした価値観が差別的な優越感なのではないかと揺さぶられる。

「望ましい身体」とは何か――これは実に難しい問いなのだ。

2018年3月6日      現代ビジネス


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