ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

震災に誓った「生きる」 前年に障害負い絶望-車いすラグビーの浜野健二さん

2018年01月15日 02時37分35秒 | 障害者の自立

 19歳のとき、交通事故で首の骨を折り、四肢に障害が残った神戸市長田区の浜野健二さん(43)が、2020年の東京パラリンピックに向けて車いすラグビーの普及に力を注いでいる。かつて日本代表にも選ばれた情熱の原点は、事故の翌年に遭遇した阪神・淡路大震災。「死ぬことばかり考えていたけど、絶対生きなあかん」。多くの命が失われたあの日、前を向くことを心に誓った。

 大学入学直後の1994年4月下旬。ピザ店のアルバイト中、ミニバイクで軽トラックと衝突した。「テレビの画面が消えるみたいに」記憶が途絶え、病院の集中治療室で目覚めた。首から下の感覚がなかった。

 手足も上半身も動かせない。「もう、治らへん。サッカーもでけへん」。小学3年からサッカーに夢中だった。中学では神戸市選抜の最終選考に残った。高校では一時競技を離れたが、大学でまた始めようと決めた直後の事故だった。

 病室のカーテンを締め切り、誰とも口をきかない日が続いた。相部屋の患者が次々に退院していく中、「ただ死にたかった」。4カ月後、リハビリ病院に移ってからも常に「死」が頭にあった。

 そして翌年の1月17日。前日の夜に、JR新長田駅北側の自宅から神戸市西区の病院に戻ったばかりだった。その自宅は激震後の猛火で全焼。両親と兄は無事だったが、祖父ががれきの下敷きになった。祖父は火の手が迫る中、間一髪で助け出されたという。

 生まれ育った街は壊滅的な被害を受けた。小学校の同級生が犠牲になったとも聞いた。「たくさんの人が、まだ生きたいのに亡くなった。自分から死にたいなんて、絶対に言うたらあかん」。胸に刻み込んだ。

 寝返りの練習など懸命にリハビリを重ねた。手首の力を使って車いすを動かせるようになり、障害者向けラグビーの存在を知った。「当たってなんぼの、激しいぶつかり合いが面白い。何より、四肢に障害があっても世界を目指せた」。サッカーを始めたころのようにのめり込んだ。

 めきめき頭角を現し、2004~08年には日本代表に選出。パラリンピック出場は逃したが、南アフリカや豪州などの試合で海外選手とも渡り合った。40歳を超えた今も、関西が拠点のチーム「HEAT(ヒート)」で活躍し、昨年末の日本選手権にも出場した。

 車いすラグビーを広く知ってもらう絶好の機会が2年後に訪れる。障害者の自立生活を支援する同市兵庫区の団体で働きながら、競技紹介の催しにも積極的に顔を出す。「東京パラ大会を前に、まちづくりにもっと障害者の声を反映し、ハード面も心の中もバリアフリー化が進んでほしい」。言葉に力がこもった。

障害者スポーツを紹介する催しで、車いすラグビーを実演する浜野健二さん(中央)

【車いすラグビー】四肢に障害のある人たちができる団体スポーツとしてカナダで考案された。4人対4人で対戦し、ボールをパスしたり、ひざの上に置いたりしてゴールまで運ぶ。ぶつかり合う激しさから、かつてはマーダーボール(殺人球技)とも呼ばれた。選手には障害の程度で定められた持ち点があり、4人の合計点が一定以下になるようチーム編成する。パラリンピックでは2000年のシドニー大会から正式競技となり、16年のリオデジャネイロ大会で日本は銅メダルを獲得した。

2018/1/14   神戸新聞NEXT


障害者向け やさしい本 中央区で展示販売

2018年01月15日 02時28分52秒 | 障害者の自立

 ◇かな多用■漫画風

 知的障害や自閉症、読み書きの障害のある人にも読書を楽しんでもらえるよう編集された本の展示販売会「LLブックフェアー」が、大阪市中央区久宝寺町の喫茶店「路地カフェ」で開かれている。「知的障害・自閉症児者のための読書活動を進める会」(吉田くすほみ代表)などの主催で、2月2日まで。

 LLは「やさしく読みやすい」というスウェーデン語の略で、写真や、絵、ひらがなをたくさん使い、本の中身を感じ取りやすくする工夫を加えている。

 会場には、料理の作り方やグループホームでの暮らし方などを紹介した、計13冊が並んでいる。そのうちの1冊「はつ恋」は、写真を4コマから5コマならべてオチのある漫画のような構成に仕立て、若い男女が出会って気持ちを通わせるまでを描いている。別の作品「いや」は、漢字を使わず、絵と平易な文章で、満員電車で体を触られたり、町で「モデルにしてあげるからお金を出して」と誘われたような時に、「いや」と言えるようになろうと呼びかける内容だ。言語聴覚士でもある、吉田さんは「読み書きが難しい人に向けた本は、内容がその人の生活に合っている必要があり、LLブックにはその工夫が詰め込まれている」と語る。

 20日には、地域で支え合いながら暮らす盲ろうの人たちのドキュメンタリー映画「もうろうをいきる」の上映会も行う。午前10時半と午後1時半の2回で、参加費800円(事前申し込みの場合は500円)。

 展示会は午前10時~午後5時。映画上映会以外の土日は休み。問い合わせは路地カフェ(06・6762・0323)。

「知的障害や自閉症の人たちにも読書の楽しみを」と話す吉田さん(大阪市中央区の「路地カフェ」で)

「知的障害や自閉症の人たちにも読書の楽しみを」と話す吉田さん(大阪市中央区の「路地カフェ」)

2018年1月14日   読売新聞


頼れるパートナー「盲導犬」の育成と訓練を紹介!「関西盲導犬協会」

2018年01月15日 02時16分52秒 | 障害者の自立

働く犬として身近に目にする機会が多いのが盲導犬。視覚障害者と共に行動し、安全な歩行をサポートする頼れる存在だ。「関西盲導犬協会」は、視覚障害者がいつでも行きたい場所に、安全に行ける社会の実現を目指し1980年に創立。質の高い盲導犬の育成と無償貸与、盲導犬訓練士および歩行指導員の養成などを行う。盲導犬の役割や訓練について聞いた。<※情報は関西ウォーカー(2018年1月5日発売号)より>

視覚障害者をサポートするために訓練された犬/公益財団法人関西盲導犬協会
  • 視覚障害者をサポートするために訓練された犬/公益財団法人関西盲導犬協会

ハーネスと呼ばれる白い胴輪を付け、視覚障害者が安全に歩行できるようサポートするために訓練された犬。

大らかな性格も盲導犬の資質の一つ

盲導犬に求められるのは、人に役割を与えられることに喜びを感じられる性格。なかでもラブラドール・レトリーバーは、高い学習能力や人の歩行をサポートする運動能力など最適な資質を備えている。加えて、盲導犬は時と場合により「待つこと」も仕事。つねに緊張することなく、環境の変化にも動じない大らかな気質も大事な素養の一つだ。

盲導犬の誘導訓練/公益財団法人関西盲導犬協会
  • 盲導犬の誘導訓練/公益財団法人関西盲導犬協会

誘導訓練では左に寄って歩く、段差と交差点を知らせる、障害物回避などの動作をマスター。

子犬のころから始まる育成と訓練で一人前に

盲導犬は生後2か月でパピーウォーカーと呼ばれる飼育家庭に預けられ、1歳から協会の施設で本格的な訓練を受ける。2016年に新たな訓練施設「木香テラス」が完成。世界的にも先駆的でストレスフリーな育成環境として注目を集めている。訓練は、明るく楽しい雰囲気で行うことを心がけ、無理なく訓練に取り組める工夫がされている。

パピーウォーカーと過ごす時間は欠かせない経験/公益財団法人関西盲導犬協会
  • パピーウォーカーと過ごす時間は欠かせない経験/公益財団法人関西盲導犬協会

パピーウォーカーと過ごす時間は、将来、盲導犬になる子犬にとって欠かせない経験となる。

家庭の雰囲気に近い「木香テラス」/公益財団法人関西盲導犬協会
  • 家庭の雰囲気に近い「木香テラス」/公益財団法人関西盲導犬協会

家庭の雰囲気に近い「木香テラス」で、犬たちは人との生活習慣を培いながら訓練を行う。

約1年の訓練を経て盲導犬になるのは約3割だが、ほかにも繁殖犬、協会PR犬などさまざまな場所で活躍する。視覚障害者にとって盲導犬は命綱だが、犬と一緒にいることで生活にリズムが生まれ、外出に積極的になるといった効果も。いわば人生を共に歩むパートナーでもあるのだ。

盲導犬の引退は10歳/公益財団法人関西盲導犬協会
  • 盲導犬の引退は10歳/公益財団法人関西盲導犬協会

盲導犬は10歳で引退し、ボランティア宅で暮らす。

訓練士の楠 紗代子さん/公益財団法人関西盲導犬協会
  • 訓練士の楠 紗代子さん/公益財団法人関西盲導犬協会

■公益財団法人関西盲導犬協会<住所:亀岡市曽我部町犬飼未ケ谷18-2 電話:0771-24-0323 時間:9:00~18:00 ※毎月第3日曜に見学会あり(要予約) 休み:なし 駐車場:約20台(無料) 交通:JR亀岡駅よりタクシーで15分、京都縦貫道亀岡ICより車で10分>

【関西ウォーカー編集部】


災害時の支援手順確認 豊中で200人参加し訓練

2018年01月15日 02時10分28秒 | 障害者の自立

 豊中市社会福祉協議会は13日、豊中市北桜塚の大門公園などで「災害支援訓練」を実施した。職員や市民ら約200人が参加し、災害時の被災者支援の手順を確認した。

 平成7年1月17日に発生した阪神大震災を受け、同協議会は、1人暮らしの高齢者や障害者を手助けする市内の約40グループによる災害支援ネットワークを構築。東日本大震災や熊本地震の被災地でもノウハウを広めてきた。

 訓練は府内で大地震が発生したとの想定で行われ、参加者らはまずテントを組み立てて災害ボランティアセンターを立ち上げた。続いて被災者をサポートするボランティアのための総合受付・登録班を設置。担当を決める「マッチング」班では、支援要請の内容ごとにボランティアを振り分け、福祉避難所への送迎や簡易ベッド組み立て、炊きだしなどに取り組んだ。

 参加した人たちは「緊急時にすぐに動けるよう、市民の協力態勢を整えておくことが大切」などと話していた。

産経ニュース


発達障害の息子のために出来ないことはない

2018年01月15日 02時07分00秒 | 障害者の自立

発達障害の息子のために出来ないことはない

 

 

「スリー、ツー、ワン。イグニッション、リストオフ!」

リビングルームはロケットエンジンの轟音でいっぱいです。
部屋の隅においてあるボール紙の宇宙船が揺れ動いています。

私の5歳の息子のチャックは発達障害です。

ロケット打ち上げの轟音を口に出して、宇宙服のヘルメットをかぶり、NASAのパッチが付いたオレンジ色のジャンプスーツを着ています。

息子の声は真剣です。

「最初は月です。次は火星です。」

私はうれしくなります。
この息子のまねごとをみると、私が息子をこの冒険に連れ出せたことがわかるからです。

息子のこの宇宙冒険は、私の心を満たしてくれます。
この気持ちに適当な言葉が見当たりません。
誇り、安心、変な喜び、ごちゃごちゃになっています。

息子はこれまで、どうやって遊んでいいかわかりませんでした。
今していることは、本当に予想もできなかったことなのです。

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息子は話すことはありませんでした。
表情を理解することもできません。クレヨンの持ち方もわかりません。
エアコンから出る音への対処方法もわかりません。
私たちがふだん簡単にしていることも、療育で学ぶ必要がありました。

今は息子は明るくて、かわいくて、よく笑って、アメフトも大好きです。
水たまりで泥だらけになって遊び、笑顔を見せてくれます。
妹と一緒になって、くもやおたまじゃくしを見ています。

私が発達障害についてもっとよくわかっていれば、もっと早く発達障害であることがわかったはずです。
幼いときからその兆候はありました。
発話の遅れ、体をゆらすこと、うれしいときに手をパタパタさせて跳ね回ることなどです。

息子は太陽系のすべての星の名前を言うことができます。名前がわからないものは、どんな星かを教えてくれます。
お昼ごはんに何を食べたいかを話すことよりも、隕石、小惑星、彗星の違いを話してくれます。

息子が3歳のとき、発達の遅れが出ていたときに、小児科の医師からは診断をすることをすすめられました。

私は恐ろしくて、絶望的になりました。
しかし、そう思う私は間違いです。

それまで、息子とハグができることはあまりありませんでした。
会話ができることもありませんでした。

私は息子を愛してきました。しかし理解できていませんでした。もっと理解したいと思いました。

診断を受けました。
私は息子に問題があることはわかっていました。
助けになることを知ることが、私にとって診断の目的でした。

私は医師たちから、息子の将来がなくなるようなことを聞きました。
とても嫌なことでした。
私は目を閉じて、息を吸いました。
そして、覚悟を決めました。

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翌年から、私は発達障害に関わるすべての本を読みました。
すべての専門用語も学びました。

私は、ふだん私たちが行っているすべてのことについて、絵をつけたストーリーにして教えることを学びました。

歯磨き粉のチューブを手に取りましょう。
チューブのフタを開けましょう。
歯ブラシにつけましょう。

息子は、他の発達障害の人の多くと同じように、あまり眠ることがありません。
夜は2,3時間しか眠りません。
もっと寝かせようとしても、星を見に家を出ていってしまうようなこともあります。

私はスーパーに買い物に出かけても、息子が悪い子どもと思われるよりも、私が悪い母と思われることを選びました。
ひどいことを言われても、気にしないふりをすることを学びました。

私はふだんは面白くて幸せな息子がパニックになって、壁に頭をぶつけたりしはじめると、私は抱きかかえて防ぎます。息子が傷つくよりも、私の体が痛むことを選びます。

私は息子のためにやれないことはない、ということを学びました。

息子は毎朝、私のひじにキスをしてくれます。
キスをしてくれないときでも、私のことを好きなのはよくわかっています。

息子は私が好きな本を呼んでやっていると、指で私の髪をさわります。
私のくちびるの上にも指を乗せて、私が話しているくちびるの動きを感じています。
私の手のひらに好きな星座を描いたりもします。

前に、ある子どもが私に、冗談でひどいことを言ったときのことです。

息子は手を上げて「やめろ!」と叫びました。
息子は私を指差して「王女様だ!」と言ってくれました。

そんな息子のために、私はできないことはないと思います。

私は息子のために、ずっと学び続けます。

リビングルームにいる宇宙飛行士を見ていると、発達障害の子どもとわかるうなり声をあげて、窓からの光にまぶしい顔をしています。

私が一番学びたいのは、息子が快適でいられるようにするためにどうすればよいか、息子に教える方法です。

息子は人とは違った考え方をしているので、人とは違った行動をとります。
私もこれを変えたいとは思いません。
他の人と同じようにさせることは、私がしたいことではありません。

息子のそうした、人とは違う行動を、私が知っておかなければならないことを、息子には伝えています。
そうすることで、息子が人と違った行動をしたときに、私はサポートすることができるからです。

私はこの宇宙飛行士と歩んでいきます。

(出典・画像:米The News&Observer

自分の子のためには、私にできないことはない。

子どもは、そう思わせてくれる本当に宝のような、こちらこそ感謝する存在だと私も思っています。

(チャーリー)