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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

声ひろば 2017年8月21日、月曜日

2017年08月22日 09時49分09秒 | 障害者の自立

障害者への偏見なくせ
【小笠原鈴子、55歳、主婦、大豊町】
 昨年起きた相模原殺傷事件の植松被告が「障害者は不幸しか作らない」等といった偏見に、私は反論したい。障害者は不自由さはあっても「不幸ではない」と、私は思っている。
 7月27日の高知新聞によると、全国の知的障害者の家族を対象にしたアンケートで、事件後ネットなどで中傷が多かったという。障害者への偏見がまだまだ少なくないことをうかがわせる。
 私は高校生の時、小学校の教員になりたかった。障害児教育にも関心を持っていた。先生に相談すると、障害児に会わせてくれた。後ろから鼻水を垂らした女の子に抱き付かれたとき、ぞっとした。そんな自分が嫌だった。
 大学で障害児教育について学び、特別支援学校の教員になった。私は学習と教育実践を通して、偏見をもたなくなった。
 重度の心身障害児を担任することが多かった。言葉ではなくても自分の気持ちを伝えてくれた。笑顔がうれしかった。寝たきりであっても命の重みを感じた。苦労はあっても、ご家族の強い愛情を感じた。
 偏見は、昔に比べればずっと減っていると思う。最近では、新聞の連載記事に共感し、重症児のためのデイサービスを立ち上げるため、特定非営利活動法人「みらい予想図」にたくさんの募金が寄せられた。
 当事者やそれぞれの立場の方が、偏見に対する発信をぜひしていただきたい。

2017.08.21      高知新聞


人買いの商品としての「常識」を生きるより、飢え死にしても自分のゲームをプレイする

2017年08月22日 02時37分52秒 | 障害者の自立

去年、ブログのこれから、私のこれからで、やりたいことがあるので今年の3月末で派遣社員をやめると書いた。

その後、母の物忘れがひどくなり、一旦見送った。

半年ほど様子を見ていたが、母の症状は良くなってきており(脳梗塞による一時的な症状だったのかもしれない)、逆に「母の物忘れが本格化する前に、自分がこれからどう生きるか確立する必要がある」と思い、9月末で派遣をやめることにした。

8月はじめに、家族と派遣元に話をした(派遣先の返事待ち)。

精神疾患でレールを外れたあと

さて、「精神疾患は気のせいで、精神障害者は国の足を引っ張っているから、障害年金をもらうな」といった意見をよく見る。

私は出版社に数年勤め、過労でパニック障害になった。
引きこもっていた時期もあるが、2度目の再発後は6年以上働き続けてきた。

パニック障害は障害年金の対象外なので、一度ももらったことがない。
引きこもりの間の生活費は、貯金から出していた(実家に住んでいたが、お金を入れていた)。
実家は貧しいので、金銭的援助を受けたことはない。近年は、給料の3分の1を実家に入れている。

病気と闘いつつ、自力で生きてきた6年間は、私を幸せにはしなかった。

日本では、30代以降でレールを外れたら、非正規雇用の契約社員やパート・アルバイト、または派遣社員として安くても30%以上のマージンを取られる以外の道は少ない。
※フランスのマージン平均は13%

(私個人の問題として、発病以降、全生活のコミットを求められる正社員になるだけの体力がなく、そうした場合の選択肢は、日本では非正規雇用となる)

さらに、精神障害者においては、日本の精神医療は遅れているのか?|外国との歴史比較でも書いたように、「精神病院に何十年も閉じ込められて、病院から『固定資産』と呼ばれる状態」がなかば国策のように行われてきたため、地域の中で自活して生きる道が長い間想定されてこなかった。

自分は「人買いの商品」にすぎない

厚生労働省「平成26年度版 労働経済の分析 第3章第1節 我が国における職業キャリアの現状」によると、会社員の2人に1人は一生同じ会社に勤める。

つまり、日本では「1つの会社に定年まで勤め続ける」というルールのゲームが行われており、そのルールから外れた者に対する救済措置は「元々ない」のだ。

そのことを実感させられる出来事があった。

2015年9月に労働者派遣法が改正され、派遣社員が同一の組織単位で3年以上働くことはできなくなった。
2015年9月時点での契約(3ヶ月など)が切れてから3年間なので、2018年の秋以降に、一度に大量の派遣社員の入れ替わりが起こることになる。

私の派遣先には、数百名の派遣社員がいる。
派遣会社の営業が、「この会社(派遣先)の今の部署では3年以上働くことができないので、その後どうしたいかを、いま派遣さんたちに聞いて回っているんですよ~」と言った。

話を聞いて、派遣会社は「部署AにAさん、部署BにBさん、部署CにCさんという現状だとして、2018年10月以降は、部署AにBさん、部署BにCさん、Aさんはこの会社はもう嫌だというから、部署Cには新しい人、Aさんをどこに派遣するかを検討する」など、計画を立てておきたいのだと思った。

正社員になることなく、同じ会社の中を、たくさんの人がぐるぐると回り続ける。
同じ会社に勤め続けるのに、時給は上がらない。

私は、自分が「人買いの商品」にすぎないことを、はっきりと自覚した。
自らの労働力を自主的に売っているのだと「思い込んでいた」が、実は売られていたのだ。

負けると分かっているのに、なぜ、このゲームをプレイし続けることを選ぶのか

そもそも、私はなぜ派遣社員になったのか。

「障害年金をもらうな」と主張する人は、「働くことこそ至高」とも主張する。

不思議だが、この場合の「働く」とは、100%が「被雇用者として働く」である。
そして、主張する人自身、被雇用者として辛い思いをしながら働いているのに給料は安い。
そのストレスを、自分よりも弱い立場の精神障害者にぶつけている。

私の中にも、「被雇用者として『普通の人と同じように』働くことこそ至高」と考える「常識」が、ずっとずっと最近まで、そして今も住んでいる。

その時点で、精神障害者にストレスをぶつける人も、私も、思考が停止しているのだ。

長時間労働でつらいとか、要求は厳しすぎるのに給料は安いとか、レールを外れたからマージンを取られ続けて生きていくしかないとか、自分がこのルールで負け続けることが分かっているのに、なぜこのゲームをプレイし続けようと思うのか。

自分で、新しいルールとゲームを考えて、その中で生きていこうとしないのか。

知らないから、自分の頭で考えられない

去年、「ブログのこれから~」を書いてから、実際に自分でルールを作って生きている人はどんな人がいるのかを調べ続けている。

そして思うことは、実は、この世の中にはたくさんの選択肢があったのだ。
私は、知らなかった、または、自分の中の「常識」に縛られて選べなかっただけで。

20代の若いはてなブロガーで、プロブロガーになることを選び、サロンやら情報商材やらを売って叩かれている人たちがいる。
この人たちも、自由に生きたいのに他に選択肢を知らないから、プロブロガーになったのかもしれない。

だから本当は、叩くのではなく、それ以外の選択肢を紹介できるのが一番よいのだ。

「常識」に適応できて、自らがうまく生きていくことができる人は、そのままでいればよい。

「常識」に適応できない人、何らかの事情ではみ出してしまった人が、自分らしく生きられるルールとゲームを考えられるような情報提供を、このブログでしていきたい。

……今日は辞める理由をさらっと書くだけのつもりが、なんか知らないけど、最近書くのを避けていた過激な文章になってしまいました。はにゃ~
ここ1ヶ月くらい体調が悪くて、ここで気力が尽きたので、やりたいことはまた次に書きます。
もしかしたら9月末までブログを書けないかもしれないけど、遅くても11月くらいからはいろいろやっていきたいので、気長に待っててくださいにゃ~寄稿したので読んでくださいにゃ~

2017年08月20日   BLOGOS


ホームドア設置、61駅見通しなく

2017年08月22日 02時22分25秒 | 障害者の自立

 昨年(さくねん)8月(がつ)に東京都内(とうきょうとない)の地下鉄(ちかてつ)の駅(えき)で盲導犬(もうどうけん)を連(つ)れていた視覚障害者(しかくしょうがいしゃ)の男性(だんせい)がホームから転落(てんらく)し、死亡(しぼう)した事故(じこ)から1年(ねん)がたちました。事故(じこ)を受(う)け、国土交通省(こくどこうつうしょう)と鉄道会社(てつどうがいしゃ)が話(はな)し合(あ)い、1日(にち)10万人以上(まんにんいじょう)が利用(りよう)する駅(えき)には2020年度(ねんど)までにホームドア(転落防止(てんらくぼうし)の仕切(しき)り)を設置(せっち)しようと決(き)めましたが、21年度以降(ねんどいこう)も61駅(えき)では設置(せっち)の見通(みとお)しが立(た)っていません。

  車(しゃ)両(りょう)によって扉(とびら)の位置(いち)が異(こと)なることなどが理由(りゆう)といいます。鉄道会社(てつどうがいしゃ)は利用客(りようきゃく)にも、障害者(しょうがいしゃ)への声掛(こえか)けや案内(あんない)などの協力(きょうりょく)を呼(よ)びかけています。
 
2011年1月に視覚障害者が転落して亡くなったJR目白駅にはホームドアが設置された
 
毎日小学生新聞   2017年8月21日

支局長からの手紙  暮らすこと働くこと /和歌山

2017年08月22日 02時08分40秒 | 障害者の自立

 「若者が働きづらく、暮らしにくい県」。そんなイメージがすっかり定着しつつあります。ですが本当にそうでしょうか?

 和歌山について、そんな疑問を投げかける冊子を手にしました。「わかやまで暮らすこと働くこと--それぞれの“自分らしさ”」と題した冊子は、和歌山市内の市民グループ「ワーク・カフェ」がこの春発行しました。8人と1組の夫婦に、仕事や家庭、結婚や子育て、将来への思いを聞いています。

 仕事や生活について思いを語り合う参加者=和歌山市万町の本屋プラグで
 
毎日新聞   2017年8月21日 

スタートのこつ伝授 400リレー北京「銅」高平さん パラ選手に屋島で教室

2017年08月22日 01時53分01秒 | 障害者の自立

 陸上北京五輪400メートルリレー銅メダリストの高平慎士さんを招いた障害者スポーツ教室が20日、高松市屋島中町の屋島レクザムフィールドで行われた。参加した県内の中学生から社会人のパラ陸上選手約20人は、トップ選手の技術やアスリートとしての心構えなどを学んだ。

 教室は県と県障害者スポーツ協会が主催。2020年の東京パラリンピックや、18年に同競技場で開催される日本パラ陸上選手権に向け、県内選手の競技力向上を図るため、今回初めて開催された。

 教室では高平さんが手本を示しながら走り方やスタートのこつを伝授。「(走る姿勢が)前や後ろに倒れるとスピードが鈍る。姿勢をキープすることが大切」「(スタートの時は)一番力が入る足の位置を見つけて」などと助言。選手たちは教わったことをすぐさま実践し、技術習得へ汗を流した。

 県立盲学校の高橋大智さんは「スタートの仕方など教わったことを意識して練習し、東京パラ五輪に向けて頑張りたい」と気持ちを新たにした様子。高平さんは「楽しむ気持ちや周囲への感謝を忘れず、夢や目標を立てて、そこにたどり着けるように頑張ってほしい」と激励していた。

選手と競走する高平さん(中央)=屋島レクザムフィールド
選手と競走する高平さん(中央)
 
2017/08/21  四国新聞