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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

相模原障害者殺傷事件の植松聖被告が宮崎勤死刑囚について言及した手紙

2017年08月15日 13時56分40秒 | 障害者の自立

 このところ頻繁に相模原障害者殺傷事件の植松聖被告と手紙のやりとりをしている。障害者19人を殺害するというあの凄惨な凶行に彼を突き動かしたものが、精神的疾病によるものなのか、あるいは極端な排外主義というべきある種の思想と考えるべきなのか、つまり彼は病気なのかそうでないのかという関心からだ。

前回アップした記事では、世間の多くの人たちは彼が精神的に崩壊し会話も成立しない人だと思っているかもしれないが、実際にはそうでもないと書いた(下記参照)。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20170804-00074151/

〔獄中の植松聖被告から届いた手紙〕

 それは最初に植松被告とやり取りし始めた時の感想なのだが、その後少しずつコミュニケーションを交わしている今でも、彼がどういう人間であるのかは、よくわからない。

 最近届いた植松被告からの手紙は、相模原障害者殺傷事件後1年を特集した発売中の月刊『創』9月号を送ったことへの返礼から始まっていた。

《先日は『創』9月号を差し入れていただきまして誠にありがとうございました。

 多くの利権を壊す私の考えは世間に出ることは無いと半ば諦めておりましたので、『創』を読んだ時は手が震えてしまいました。》

 この間、彼は自分の主張を書いた手紙を多くのマスコミに送っていた。その中で手紙の全文を掲載したのは『創』だけだったことに「手が震えてしまいました」というのだ。『創』も決して彼の思考を肯定してはいないし、それを批判的に分析するために掲載したので、そんなふうに言われると複雑な思いだが、これを読んで気になったのは、彼の「私の考えは世間に出ることは無いと半ば諦めておりました」という記述だ。

 植松被告は昨年、「障害者は生きている意味がない」などという妄想を周囲に語り、反発を受けるのを意に会することなく犯行に突き進んだのだが、少なくとも自分の考えが到底受け入れられるものではないという認識は持っていたわけだ。精神的な病いなのかどうか考えるうえで、彼が自分自身をどのくらい客観的に見れているかというのは重要な判断要素なのだが、少なくとも彼は自分の言動が世間の意に反しているという程度の認識は持っているわけだ。

 植松被告の言動を見ると、どうやら精神的疾病により善悪の判断もつかないような状況とは違うようなのだが、では彼の昨年7月26日の津久井やまゆり園での信じがたい凶行をどう考えるべきなのか。彼の主張を優生思想、あるいは障害者を大量虐殺したナチスの思想と同じではないかとは、この間、指摘されていることだが、植松被告自身はその指摘をどう受け止めているのか。

 その私の質問に、彼は8月2日付の手紙でこう答えてきた。

《第二次大戦前のドイツはひどい貧困に苦しんでおり貧富の差がユダヤ人を抹殺することにつながったと思いますが、心ある人間も殺す優生思想と私の主張はまるで違います。

 赤ん坊も老人も含め全ての日本人に一人800万円の借金があります。戦争で人間が殺し合う前に、まず第一に心失者を抹殺するべきです。

 とはいえ、1千兆円の借金も返済できる金額ではなく、戦争をすることでしか帳消しにできないのかもしれません。

 ゴミ屋敷に暮らす者は周囲の迷惑を考えずにゴミを宝と主張します。客観的思考を破棄することで自身を正当化させております。》

 わかったようなわからないような答えだが、私はそのナチスとの違いに言及したくだりの前のこの一節がむしろ気になった。私が『創』とともに拙著『ドキュメント死刑囚』を送ったことへの感想だ。

《同封してもらいました「ドキュメント死刑囚」を拝読させていただきました。宮崎勤に関して執行までに12年かかっているわけですが、1食300円として食費だけで12年間で432万円の血税が奪われております。

 意思疎通がとれない者を認めることが、彼らのような胸クソの悪い化け者を世に生み出す原因の一つだと考えております。》

 執行まで12年というのは彼の誤解で、私と宮崎死刑囚がつきあったのが12年間で、逮捕から数えれば執行まで20年近くになる。その間、血税が無駄に使われるわけだから「彼のような胸クソの悪い化け者」は早く死刑にするべきだという主張のようだ。

 障害者殺害を唱える発想と全く同じなのだが、私が気になったというのは、宮崎死刑囚をもっと早く死刑執行すべきだったと主張する彼は、自分自身について一体どう考えているのだろうか、ということだ。彼に死刑が宣告される可能性が高いことは理解できているはずだと思うのだが、それについていったいどう考えているのか。そもそも拙著を送ったのは、彼が死刑を宣告された時にどんな状況に置かれどういう処遇を受けるか知っておいたほうがよいだろうという判断からだったのだが、どうも彼は自分をそれに重ねあわせて考えることをしていないようだ。

 もちろん昨年、犯行前に衆院議長のもとへ届けた手紙で言及していたように、心神喪失による無罪を主張するという発想は持っている可能性はあるのだが、その点についていえば、宮崎死刑囚だって弁護側は一貫してそれを主張していたし、宮崎本人も精神鑑定の本を獄中で読んだりしていたからその知識は持っていた。にもかかわらず裁判ではその認識は一蹴されている。それを思うと、植松被告の宮崎死刑囚に対するこの言及は気になった。彼は死刑について、あるいは死についてどう考えているのか。次はそれを訊いてみたいと思う。

 さて『創』誌上やウェブ上で植松被告の言動を紹介し、あの津久井やまゆり園での凄惨な大量殺りくがいったい何によって起こされたのか解明することが重要だ、と書いてきたことで、この間、多くの人から意見が寄せられている。前回の記事を発表したヤフーニュース個人やブロゴスにもいろいろなコメントがつけられているが、中には、もっと多くの精神科医や他の専門家の意見を紹介してほしい、という声もあった。

 『創』9月号には、精神科医の松本俊彦さんと香山リカさんに、植松被告の最初の手紙を読んでもらってその感想を寄せてもらっている。松本医師は、昨年の厚労省の検証チームのメンバーでもある。その二人の分析は、全文は長いので『創』を読んでいただくとして、ここでその要点のみ紹介しておこう。 

 香山さんも指摘しているが、植松被告の「悪魔的思考」と、社会全体が閉塞する中で「排外主義」が拡大していることとの関係は非常に気になるところだ。アメリカでレイシズムと批判されたトランプ大統領候補が当選を果たしたり、欧州で極右政党が躍進していることなど、排外主義が世界的に拡大しつつあり、日本でもそれはヘイトスピーチとして現れている。果たして植松被告の思考はそれと通底しているのかどうか。もしそれが通底しているとすれば、私たちはどうやってそれに抗すべきなのか。社会に突きつけられた課題は本当に思いと言わざるをえない。

●松本俊彦〔精神科医〕

植松被告の思想はヘイトというより優生思想  

 事件から1年が経過しても、彼の思想には何らのブレはなく、ある意味での一貫性があります。このことから、彼の思想内容は、大麻による薬理学的影響によるものでもなければ、双極性状態(躁状態)によって影響されたものでもないことがわかります。

 彼の思想は、生産性、効率性、社会的負担を判断基準とした、いわば「憂国の士による障害者無用論」と感じました。実際、手紙の中には、出生前診断の意義と限界に言及したともされる箇所もあります。その意味では、昨年の殺傷事件を支える思想は、障害者に対する「憎悪(ヘイト)」というよりも、優生思想であるといえるでしょう。

●香山リカ〔精神科医〕

1年たっても何の答えも出ていない

 1年前の事件ではとくに被告には精神科病院に措置入院歴があり、マスコミがそれを求めたのは当然と言えますが、当時もそしていまこの書状を読んでも、彼の凶行の原因を“なんらかの精神疾患の症状”に求めるのはほとんど不可能ではないか、と思われます。誇大妄想や被害妄想、観念の奔逸、犯行を命じる幻聴の存在などはいずれもほぼ否定されるでしょう。

 では、彼は精神医学の診断ガイドラインではどこにも分類されないので、“正常”と考えられるのでしょうか。もちろんそれはまったく違います。重度・重複障碍者に「不幸の元である確信」を持ち、「意思疎通が取れない人間を安楽死」させよ、と言い切る被告は、私たちの社会の基本である人権の概念を根底から否定する、あえて言うならば“悪魔的思考”の持ち主です。

 精神医学の枠内ではとらえきれない、私たちの社会を壊すような“悪魔的思考”やその実行に私たちはどう対処すべきか(あるいは、それは「内心の自由」なのだから対処すべきではないのか)。さらには、それを醸成するようないまの社会の排外主義的な空気をどう払拭すればよいのか。事件発生直後からクローズアップされてきたこれらの問題に、結局、1年後のいまもなんの答えも出ていない。そのことが改めて明らかになった思いがしました。   以上

8/14(月)    月刊「創」


精神障害者の活動伝える NPO発行の新聞100号

2017年08月15日 13時44分59秒 | 障害者の自立

 精神障害者の生活をサポートする事業所「あすなろ」(兵庫県三田市三輪1)が発行する新聞が、100号を迎えた。2009年4月から毎月、同事業所に通うメンバーの活動や考えを伝え続けて8年。理事長の藤田行敏さん(61)=篠山市=は「精神障害者への偏見をなくしたい」と力を込める。

 同事業所は09年、ボランティアらが「精神障害者の居場所をつくりたい」とNPO法人を設立して開所した。現在は15人が通い、野菜づくりに取り組むほか、精神保健福祉士が病気の相談に乗ったり、訪問看護に訪れたりしている。

 障害者たちの普段の姿を伝えようと、新聞は法人の設立当時から発行。A4版6ページで、精神障害者のスタッフやメンバーが執筆し、1300部を、市内外の病院や公共施設など約900カ所で配っている。

 内容は旅行の思い出やニュースの感想、育てる野菜の成長ぶり、と多彩。スタッフの男性(56)=川西市=は「病気を隠したい気持ちもあるけど、知ってもらうことで堂々とできる。今後も考えを伝えて、精神障害を理解してもらいたい」と話していた。

あすなろ新聞100号を手にする藤田行敏理事長=三田市三輪1 

あすなろ新聞100号を手にする藤田行敏理事長

2017/8/14   神戸新聞NEXT


夫の事故死 社会変化の礎に 視覚障害者転落事件から1年

2017年08月15日 13時01分46秒 | 障害者の自立

 東京都港区の東京メトロ銀座線青山一丁目駅のホームから、盲導犬を連れた会社員の品田直人さん(当時55)が転落し、亡くなった事故から1年になる。妻の直美さん(53)は「家族にとって主人の死は深い悲しみだが、社会が変わる礎になってほしい」と話した。

 「ご主人がホームから落ちた」。昨年8月15日夕、直美さんの携帯電話に品田さんの職場から連絡が入った。この日は品田さんの55回目の誕生日で、いつものように好物のアイスケーキを買った直後だった。ツイッターを検索すると、次々と駅の様子が投稿されていた。「ただ事じゃない」と病院に向かった。

 2人はクリスチャンで幼なじみ。北海道で知り合った。大人になって再会し、結婚。19~24歳の男女4人の子どもに恵まれた。

 品田さんは宣教活動のためフィリピンで家族と暮らしていたが、40歳のころ、次第に視野が狭まり、色の識別が難しくなる病気になっていることが分かった。

 それでも気持ちは前向きだった。帰国後、北海道で幼稚園長を務めた。園児には「一人ひとりが大切な存在なんだよ」と繰り返し、卒業文集には「やさしいこころをわすれないでくださいね」と記した。「1人でも行動できるようになりたい」と2011年、盲導犬と暮らす道を選んだ。

 その後、障害者の自立を支援する会社に入社。昨年3月、東京に転勤して家族で移り住み、障害者に英語やビジネスマナーなどを教えていた。

 ホームから転落したのは職場の最寄り駅だ。盲導犬ワッフル号とは2年以上のつきあいで、新しい環境にも慣れていたはずだった。事故後、東京メトロから直美さんに「説明したい」と連絡があり、同社の会議室に行くと問いかけられた。「映像をご覧になりますか」

 直美さんはしばらく考えた。見たくない気持ちと、何があったか知りたい気持ちと。通常、映像の開示はしておらず、特別な対応になるという。「お願いします」と告げた。

 パソコンの画面で説明を受けながら、普段と当日の動きを順番に見せてもらった。品田さんは普段、ホームに電車が到着すると左手を前に出して車両を探しながら前進し、電車に触れて乗り込んでいた。ところが事故の日は、向かい側のホームに電車が入って来た直後、いつもの動作で車両を探しながら線路の方に向かって歩き出し――。

 「音が反響し、自分側の電車が来たと勘違いしたのかもしれない」と直美さんは考えている。ワッフル号はホーム上に残されていた。

 花束やお見舞いの手紙が知らない人からも届いた。国や鉄道各社はホームドアの設置を進めるという。「主人が一番大事にしていた『ありがとう』という言葉をみなさんに伝えたい」。13日、品田さんとの思い出がつまった北海道で、納骨を終えた。(力丸祥子)

■駅ホームからの転落事故

 駅ホームからの転落事故と対策 国土交通省によると、視覚障害者がホームから転落する事故は2014年度に80件、15年度に94件、16年度に69件。品田さんの事故後も、大阪や埼玉で死亡事故が起きている。ホームドアの設置は全国約9500駅のうち686駅(16年度末)にとどまっている。国交省は昨年末、1日10万人以上が利用する260駅のうち、ホームドアが設置可能な駅は原則20年度末までに設置するよう目標を掲げた。昨年度末時点で84駅が設置済み、20年度末で合わせて148駅で完了見込みだが、それでも6割弱だ。

写真・図版              写真・図版    

   品田直人さんとワッフル号                               品田直人さんの思い出を語る妻の直美さん  

 2017年8月14日   朝日新聞


ぴーなっつ(3) 社会が障害をつくる

2017年08月15日 10時22分12秒 | 障害者の自立

 学生時代に八木勝自さんから「今度(茨城県)土浦市で会議があるから、一緒に来て」と言われたのが初めての介護でした。

 待ち合わせの富山駅に行くと、そこには八木さんと脳性まひ障害者の福田文恵さんが待っていて、初めて車いすを押すことになりました。車いすのままホームへ行くため、階段では他の乗客に手伝ってもらい、何とか電車に乗り込みました。エスカレーターの昇り降りも車いすのままで行けと言われ、「車いすって何でもできるんだなあ」と思った記憶があります。

 土浦の会議とは、脳性まひ者自身による障害者解放運動団体「全国青い芝の会」の全国集会でした。障害児のわが子を殺した母親への減刑運動に対して「障害児に人権はないのか」という活動から、全国的に注目されるようになりました。

 大会は、障害者の人権確立のための意見交換などがなされ、その激しさには圧倒されました。障害者と一緒に行動することで見えてくる差別。学校、就職、住む所…、私たちが当たり前に選択できる部分で障害があること。障害者は、その人自身に障害があるのではなく、社会が障害をつくっているのだと気付かされました。

 その後、全国青い芝の会初の女性会長となった福田さんの介護人として、月に一度は全国各地へ会議や行動のために出かけていました。「介護人に頭はいらない。私たちの手足となって動いてくれればそれでいい」と、「青い芝」の人たちに言われ、初めはひどいことを言うなと思いました。ですが、そう言わないと障害者の意見は無視され、結局健常者が主動し、社会は変わらないのだと分かってきました。

 「障害者の手足となるのが介護」と、ぴーなっつのスタッフに伝えている一番大きなことは、全国青い芝の会から教えられたことです。

写真

全国青い芝の会の全国集会に訪れた福田文恵さん(左)と筆者 (代表 川添夏来)

2017年8月14日   中日新聞


ユニバーサルマップ作り 住みやすい街、市民の手で 情報収集、きめ細かく

2017年08月15日 10時10分04秒 | 障害者の自立

「障害者の外出に」市内の会社発案

 飲食店などのバリアフリー環境を紹介した「ユニバーサルマップ」の作製が大東市で進んでいる。障害者の外出に役立ててもらおうと、福祉製品の製造などを手がける「川村義肢」(同市御領)が発案。地元大学生らの協力も得ながら店舗数の多い鉄道駅周辺の情報を収集し、完成したマップを障害者団体などに配布している。

 スロープの幅を測る「ユニバーサルマップ」の調査メンバーたち
 
毎日新聞   2017年8月14日