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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者とアーティストコラボ アート作品制作進む

2015年09月22日 01時37分11秒 | 障害者の自立

 鳥取県内在住のアーティストと障害者が共同でアート作品を制作する取り組みが鳥取市内で進んでいる。イラストレーターのClaraさんと、NPO法人「ひつじの会」の事業所(同市戎町)に通う岡村真由美さん、岡本智絵子さんの3人。20日は下書きしたイラストに次々と色を塗り重ね、完成へ一歩近づいた。

 障害者の芸術作品展「あいサポート・アートとっとり展」が12月以降、県内3会場を巡回。

色鮮やかに塗る(左から)岡本さん、Claraさん、岡村さん。3人は「展示されている自分たちの作品を見たい」と完成へ向けてやる気十分

2015年9月21日     日本海新聞


重症心身障害者をケア 加古川に通所施設開設へ

2015年09月22日 01時31分55秒 | 障害者の自立

 肢体不自由のある子どもらが通えるデイサービス事業所「こころ」が10月1日、兵庫県加古川市加古川町大野にオープンする。東播地域では医療面のケアが欠かせない重症心身障害者が通える施設が不足しているといい、近くの医院と連携して需要に応える。20日に内覧会があり、親子連れ約80人が詰め掛けた。

 同市東神吉町で「放課後等デイサービス」など子ども向けの福祉施設を運営する一般社団法人「こころ」が開設。新施設は、小児神経疾患の専門診療を担っている近くの「あだちこども診療所」と連携することで、緊急時の医療体制を整え、重症者に対応できるという。

 木造平屋約270平方メートルで、国の補助金を活用し、総事業費は約6千万円。放課後デイサービスや特別支援学校を卒業した18歳以上対象の「生活介護」があり、定員は計25人となる。

 内覧会で来場者は屋内を見学したほか、地元の高齢者グループによるハーモニカの演奏を聴いたり、スタッフたちと踊ったりして楽しんだ。加古川養護学校卒業生の女性(19)=高砂市竜山=と訪れた母親は「こういった施設が近くに少なく、遠方に通うのも難しいので、ありがたい」と話し、上田智也理事長(39)は「医療と福祉との連携モデルを築いていきたい」と述べた。

真新しい施設を見学する親子連れら

2015/9/20    神戸新聞 ホーム


「当事者間の調整」という最も困難な課題をクリアした

2015年09月22日 01時22分39秒 | 障害者の自立

兵庫県明石市の「手話言語・障害者コミュニケーション条例」

こんにちは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

兵庫県明石市への視察の続きです。

前編:実は日本には言語が2つある。日本語と、もう一つは…◯◯?!
http://otokitashun.com/blog/daily/8761/

前回の記事の中で長々と、

・手話は言語であること
・歴史上、手話は虐げられ、習得の機会と文化を奪われてきたこと
・近年になって見直しが始まり、2011年には法文の中に明記されたこと
・引き続き「手話言語法」「手話言語条例」の制定がろう者たちの悲願になっていること

などを説明させていただきました。

政治の世界での機微として、なかなか国政でドラスティックに進めることが難しい課題については、地方政治の場で実現が進むというケースがあるのですが、まさにいま全国の自治体で検討されている「手話言語条例」はその一つといえます。

しかしその制定に当たっては、様々な困難や議論に直面します。

その最も大きな争点の一つとなるのが、

「コミュニケーションで困っているのは、ろう者だけではない」
「中途失聴者の字幕保障や盲者の点字など様々な手段があるのに、どうして手話だけ?

というものです。

また

「聴覚障がい者・手話者の中でも『日本手話』を使うネイティブはごくわずか。その極めて少数のために、労力をかけて条例までつくるのはいかがなものか」

というストレートな批判もあります。

実際、手話を「言語」として使う方々がどれだけの人数いるのか、正確な統計は自治体も政府も持っていないというのが現状といえます。

こうした課題を非常に上手い形で解決したのが、兵庫県明石市の通称

「手話言語・障害者コミュニケーション条例」
https://www.city.akashi.lg.jp/fukushi/fu_soumu_ka/syuwa/jyoreisakutei.html

です。

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前述の「どうして手話だけ」という批判に対して、要約筆記・点字・音訳などの普及促進も併記して条例化したものになります。

当事者間の調整が非常に難しかったと思われるこの条例の制定過程について、トータルで携わった担当者の方からじっくりとお話を伺いました。

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やはりいちばん難しかったことの一つは、手話言語条例の制定に強い意欲を示していたろう者・当事者の方々への説明。

当初は

「手話は言語であるが、その他のコミュニケーション方法は手段ではないか」
「その異なる2つを、1つの条例にするという意味がわからない」

と非常に頑なな態度を取られており、何度も何度も足を運んで

「1つの条例ではあるが、きちんと章で分けて別に明示する」
「同じ障がい者という立場で、現状を一緒に改善していくことも重要」

という趣旨を説明したとのこと。

その際には、手話者として初の議員となった元明石市議の家根谷氏が条例案に強く理解を示し、当事者たちとの調整の架け橋となったそうです。

また、一方の中途失聴・難聴者や他の障がい者関係団体は、それほどこの両論併記ともいえる条例案に対して抵抗を感じることもなく、スムーズに理解をしていただけたのが幸運だったともおっしゃっていました。

様々な政策を進めていく中で「当事者の声を聴いて欲しい」という意見は多く届きますが、『当事者』にも様々な立場があり、その関係者間の調整が政治・行政が担う最も困難な作業と言えます。

そんな中で、調整困難を承知の上で手話言語条例にその他の障害者コミュニケーションを含める決断をし、その当事者間調整を成し遂げた明石市は非常に素晴らしい実績を残したといえます。

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行政からのヒアリングの後には、条例制定の立役者であり、現在は市議会議員として障害者政策を推し進める家屋谷議員ともご挨拶・意見交換をすることができました(その内容はまたいずれ)。

東京都はかつて、教育特区申請により都内に日本で初めて、日本語と手話のバイリンガル教育を行うろう教育学校を設立した自治体ですが、現状ではすでに条例を制定した神奈川県・鳥取県の後塵を拝しています。

パラリンピックを迎える東京都においても、手話だけでなく障害者すべてのコミュニケーション手段を内包する条例制定し、そして更なる情報バリアフリー環境の整備を促進していくべきではないでしょうか。

明石市で得てきた知見を活かしながら、早速本定例会で提案をしていきたいと思います。



時代に挑む 50周年を迎える太陽の家

2015年09月22日 01時10分58秒 | 障害者の自立

 「保護より機会を」―故・中村裕博士の提唱により産声を上げた別府市亀川地区の「太陽の家」が10月5日、創立50周年を迎える。障害者の就労など困難だと思われていた時代に、働く場所を提供し、共生への道を切り開いてきた。半世紀がたとうとする今、バリアフリーは国民生活に浸透し、障害者を取り巻く環境は大きく変わった。関係者は「太陽の家の存在抜きでは考えられない」と口をそろえる。太陽の家が果たしてきた役割や障害者の社会参加、これからの支援の在り方を取材した。

 「太陽の家なら仕事があるぞ」。教官のこのひと言が広島市出身の田部辰朗さん(64)の人生を大きく変えた。職業訓練所に通っていた16歳の時だ。1歳でポリオ(小児まひ)を発症し、下半身に障害があった。障害者は病院か施設、家にいるしかないと思っていた。「自立したい。自分の居場所が見つかるかも」。迷わず門をたたいた。
 太陽の家は整形外科医だった中村博士が全国に先駆け設立した身体障害者が働く工場だ。田部さんが入所した当初、開所から1年半が過ぎていた。レンコン畑に囲まれたかまぼこ形の建物などでは、自分と同じ約100人の障害者が竹細工や義肢装具などを作っていた。
 「みんな車いすに乗って元気に動き回っていた。こんな世界があるのかと衝撃を受けました」
 先輩たちに学びながら仕事を覚えた。パイプ椅子ややぐらごたつの製造などに携わり、汗まみれで働いた。中村博士は頻繁に作業場を訪れ、「障害者だって自立できる」「納税者になれ」と熱っぽく語っていた。
 「ここに来るまで、自分に何らかの可能性があるとは思ってもいなかった。社員になり、収入は上がり、車やマイホームを持てた。定時制高校にも通えた。夢がすべてかないました」
 田部さんは定年まで太陽の家で働いた。退職後は点字ボランティアを始めるなど、充実した日々を送っている。毎月、別府市内の自宅に届く太陽の家の広報紙「太陽通信」を眺めながら、つぶやいた。
 「今の自分があるのは太陽の家のおかげ。太陽の家に育てられたようなもんですよ」
 中村博士をそばで支え続けた夫人の廣子さん(76)は「主人は毎日、口に出すのは太陽の家のことばかり。恋人のようでした。一緒にいるのが少なく、とにかく忙しい人だった。障害者を世に出したいと必死でした」と振り返った。

中村裕博士
 1927年、別府市生まれ。九州大学医学専門部卒。国立別府病院(現国立病院機構別府医療センター)に勤務していた時に太陽の家を創設した。障害者スポーツの振興に尽力し、64年の東京パラリンピックでは選手団長を務めた。大分国際車いすマラソンの生みの親でもある。吉川英治文化賞や大分合同新聞文化賞など数々の賞を受賞。肝臓を患い、84年に死去。享年57。

義肢装具科の作業の様子=1968年(社会福祉法人太陽の家提供)

※この記事は、9月21日大分合同新聞朝刊1ページに掲載されています。



障がい者就労の必要性をアピール

2015年09月22日 00時56分49秒 | 障害者の自立
先進的な障がい者就労支援センター

東京都墨田区で2012年3月に開設された『すみだ障害者就労支援総合センター』は、区の総合コーディネート力、ネットワーク力に加え民間法人の専門性、機動力を活かした障がい者就労支援への体制づくりを標榜。

身体、知的、精神という3障がいを対象に障がい者の就労に関する総合相談、就労移行支援、就労障がい者生活支援の3事業を一環して行うと共に、手話通訳等派遣事務所を併設し聴覚障がい者や言語機能障がい者への生活支援事業も併せて行っている。こうした施設は、東京23区でも初めてだそうだ。

当事者、企業、市民へアピール

2015年10月8日(木)から10月10日(土)には同センターが主催する「すみだ障がい者就労支援フェア2015」を開催。会場は墨田区役所1階のすみだリバーサイドホール。時間は9時~16時まで。

障がい者雇用を考える企業へ

同施設のギャラリーでは障がい者が働く姿を展示した就職者パネル展や企業就労を希望する当事者、また障がい者雇用を検討している企業双方に向けた就職相談会を行う。

その他10月8日、9日の13時~16時までミニシアターでビデオ上映会を開く。定員50名で入退出は自由。上映されるのは「笑顔に逢いたい~障がいを乗り越える情熱の絆」ほか障がい者雇用を考えるヒントとなる4本。

またミニシアターで10月10日の14時~15時30分まで講演会「障がい者が消費者トラブルにあわないために」を行う。講演会は事前申し込みが必要。先着30名。希望者は9月24日(木)9時から電話かFAXで受け付け。

2015年9月20日      障害者雇用インフォメーション