風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

母屋の人たち

2018-07-02 18:29:00 | 昭和つれづれ

        

 疎開先の離れは赤の他人の家で、小高くなった斜面の上の方に母家はあった。

外便所は離れのための粗末なもので、母家のひとたちがそこを使うことはなかった。

大きな農家だった。戦後になって、東京の我が家までその家の主婦が遊びに来たことがあるから

関係は悪くなかったのかと思う。

疎開中にはひもじい思いをした覚えがないから、農家である家主に助けてもらうこともあったに違いない。

残念なことに、その家の家族構成や顔ぶれは忘れている。

 それでも母は戦争が終わったと聞くと、その日にでも東京へ帰りたかったそうだから、

例え周囲が親切であってもそれほど居心地がよくはなかったのかもしれない。

 

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