もし、父が生きていれば、103歳になる。
速記者であった父の筆記用具は、役所から支給された黒いシャープペンシルと、ベージュ色の二つ折りにした用紙であった。
父はこの紙のことを、スルガアーハンシと、ンガーのところにアクセントをつけて呼んだ。
これに横書きで速記文字を記した。
父が役所の文書を家に持ちかえることはなかったが、内職と称して、雑誌の座談会の仕事などは家でこなしていた。
もう時効だからよかろうが、風子ばあさんが覚えているのは戦後すぐのことである。
子供だった風子ばあさんは、スルガーハンシというのは、てっきり速記の専用用紙と思いこんでいた。
ごく最近になって、駿河半紙という紙の存在を知った。
そうか、あれは駿河半紙というものだったのか、と懐かしい。
今は、もうほとんど入手困難な和紙らしい。
一枚くらい、父の書いたそれを取っておけばよかったと、今ごろになって残念に思う。
物不足の時代で、あの紙が手に入りやすかったからなのか、シャープペンの滑りが良かったから使用したのかは、わからない。
内職につかったあとの、速記文字のあるスルガーハンシは、天ぷらの敷き紙にしたりして、中々重宝だったものである。
今日は父の18年目の命日である。
速記者であった父の筆記用具は、役所から支給された黒いシャープペンシルと、ベージュ色の二つ折りにした用紙であった。
父はこの紙のことを、スルガアーハンシと、ンガーのところにアクセントをつけて呼んだ。
これに横書きで速記文字を記した。
父が役所の文書を家に持ちかえることはなかったが、内職と称して、雑誌の座談会の仕事などは家でこなしていた。
もう時効だからよかろうが、風子ばあさんが覚えているのは戦後すぐのことである。
子供だった風子ばあさんは、スルガーハンシというのは、てっきり速記の専用用紙と思いこんでいた。
ごく最近になって、駿河半紙という紙の存在を知った。
そうか、あれは駿河半紙というものだったのか、と懐かしい。
今は、もうほとんど入手困難な和紙らしい。
一枚くらい、父の書いたそれを取っておけばよかったと、今ごろになって残念に思う。
物不足の時代で、あの紙が手に入りやすかったからなのか、シャープペンの滑りが良かったから使用したのかは、わからない。
内職につかったあとの、速記文字のあるスルガーハンシは、天ぷらの敷き紙にしたりして、中々重宝だったものである。
今日は父の18年目の命日である。