食べたいというのは人間の本能である。
あられもない寝姿、排泄、本能のままの姿態は、いずれも誰かに見られたくないものである。
食欲だって、空腹に耐えかねて、がつがつ食べる姿などは人さまに見られたくない姿である。
だから、人間は、おちょぼ口をして食べるマナーとやらを考え、テーブルセッテングをして、
バックミュージックで咀嚼の音を消すのかもしれない。
もう20年ほど前に亡くなった年上の友人がいる。
我が家にも何度か訪ねてくれたし、グループで食事の機会もあった。
そんなとき、彼女は一度も箸をとらなかった。
私はアレルギーがあるから……お水ちょうだい、といつも水だけ飲んで、にこにこ楽しそうにしていた。
さりげなく美しい振る舞いだった。今になって思うに、あれは老いて食べる行為を、
若い仲間に見せたくなかったのではなかろうか。
センスの良くてモダンな彼女だったから、あれも究極のお洒落だったのかもしれない。
風子もあのころの彼女の齢になった。
でも、真似できないなあ。
あれも食べたい、これも食べたい、すすめられれば、人さまの皿にまで手をのばす。
明日は若い仲間が、海辺に牡蠣を食べに行くという。
遠慮した方がいいのになあと思いながら、本心は行きたい。