こぎんは200年以上も前から、藩政の厳しい掟に抑圧されてきた農民が
苦しい生活の中から必然的な知恵により生み出した素晴らしい遺産です。
津軽地方では綿花は育たず綿布は生産されても年貢用とされ、百姓は着ることを
禁じられ、苧麻を素材とした麻の衣を着ました。この苧麻の布を小巾といい、粗い布目を
うめての保温と激しい農作業にも擦り切れないよう補強するために刺したものを刺しこぎんといい
のちに刺した小巾全てをこぎんと呼ぶようになりました。もともとこぎんは農村の人々の労働着でした。
その後明治になり木綿糸が手に入りやすくなり刺し糸は白い木綿糸に変わり、今みられるような
美しいこぎん刺しになりました。
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基本になる模様は30余あり、地域によって名称が多少違うが
竹の節、テコナ(蝶)、猫のマナゴ(眼)、井戸わく、ウロコ、石畳、馬の轡、田のクロ(蛙)など
津軽弁の余韻を残した身近な生活の中から創意工夫されています。
かちゃらず会さんのこぎん刺しの驚くほど良心的なお値段にも感動してしまいます。
どうぞ足をお運び頂き、じっくりご覧頂ければと思います。
小久慈焼は約200年前江戸時代後期、初代熊谷仁右衛門が相馬より招いた陶工嘉蔵に
その技術を学んだ後、地元久慈で採れる粘土と釉薬で独自の焼き物を作りだしたのが起源。
日用の雑器として用いられ八戸藩にも納めていた。明治に入るとこの地を訪れた柳宗悦によって
民藝として高く評価されました。時代の移ろいと共に生活の様式も変わります。それに合わせて
小久慈焼の形も少しずつ変換して来ましたが原点である地元の粘土と釉を使う事それだけは変えずに
守り続けています。
鉄分の入っていない真っ白な土。人を寄せ付けない白ではなく、人に寄り添うような白です。
そして下の写真の小皿鉢、我が家ではほとんど毎日出番のある優れものです。
サラダに炒め物、お煮しめにと人数分大活躍。鍋の取り鉢にもグッドでした。
はっきりいって肩入れしています。そしてびっくりするようなお値段。。。
アリガトゴザイマース!!