ギャラリー三昧

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辻が花について

2006年10月22日 | アート・文化

Img_1660 佐々木宗一氏のすばらしい技があふれる作品。

辻が花について

正倉院御物として残されている日本最古の絞り裂は、天平(710~794年)の三纈染(さんしぼりそめ)といわれる臈纈(ろうしぼり)・夾纈・纐纈の内の纐纈染であり、その技法は隋(589~617年)・唐(618~907年)代の中国から伝えられたものと思われる。

古代インドのサリー等に絞りが見られるところから、発祥はインド方面と推定され、インドからペルシャ、エジプトそして中国へと、他の工芸品と共にシルクロードをはるばると東西に往来して、奈良町時代(710~794年)の日本へと伝えられたものであろう。

絞り染めとは元来防染の技法であるが、日本の染色法としては最古のもので、奈良・藤原・鎌倉・室町・桃山・徳川の各時代に、夫々の足跡を残しながら現在に至るまで連綿として続いてきた最も日本的な伝統をもつ染法なのである。

天平時代の纐纈染(こうけちそめ)にみられる図柄は非常に単純なものであり未だ完全な模様とまでは進展していなかったようである。それが室町時代(1338~1573年)に至って、この絞りを主体に多種な模様染を施し、更に桃山文化(1573~1603年)の黄金時代を迎えて、描き絵が加わり又後には刺繍・箔等に彩られて、日本の染織史上まことに高い位置を占める「辻が花」として発展完成をみたのである。従って室町時代には下着として着用されていたこの染物が桃山時代には文化の一面を代表する絢爛たる上着(小袖)とし脚光を浴びることになり、その大らかさ、やわらかさ故に、又元来の素朴な味わいが好まれて高貴な階級から庶民に至るまでの幅広い流行をみたのであった。国宝絵画長谷川信春(後の等伯)筆の肖像画「武田信玄像」(1521~1573年)の着衣が「辻が花」であることは余りにも有名であり、その他多くの肖像画に同様なものがみられるように、当時は武将にまで愛用されていたことも分かりその盛んな流行の一端が忍ばれて興味深い。

「辻が花」の名称の起源については色々の説があるが、文献が非常に少ない為定説となるべきものがない。或いはつつじの花で染めたのでつつじが花が訛ったとも、或いは応仁の乱後京都が荒れ果てた折、今日の染め職人が奈良の木辻でこれを染めたのでその辻が名に残ったとも、一説には植物染料から連想される花又染物の華やかさを花に通わせたものともいわれている。しかし、美しくはかない花のいのちにも似て「辻が花」は最盛期の桃山時代を過ぎてから徐々にその短い生涯を閉じた。この裂のもつ洗の優しい柔らかな風韻は又あわれにももの悲しく、短い生命を包んだ謎と共に「まぼろしの染」として心ひかれる余韻を残しつつ昇華した。これが江戸時代の文化の発達に伴い華麗な慶長小袖にみる絞り・刺繍・揩箔の技法の中で開花し、更には友禅との合併表現に発展、その後めざましい技術の進歩によって、益々美しく完成した模様染一切の元祖となったのである。

外観の美しさもまさることながら、内面的精神的な味わいを、染め物にまで求めた先人達の美意識の高さが「辻が花」において特にしみじみと感じられる。残存する資料とその名称の一致点等不明な点もあるが、ともあれ現在、艶に優しいその名「辻が花」と通称されている。