ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

ソフィ・カルという女

2015年01月11日 | 本と雑誌

 
 先日のブログにポール・オースターの『リヴァイアサン』について記事をアップしたら、その小説の主要な登場人物の1人マリア・ターナーのモデルであるとのコメントをいただいた。マリア・ターナーとして描かれている女性もかなり風変わりであるが、実在のソフィ・カルは超ど級の「ヘン」な女だ。ご紹介いただいた『本当の話』という、自身の行動をそのまま書き綴った本を読んで、これはとんでもない人だと感じた。
 
 紹介いただくまで、ソフィ・カルについての知識はまったくなかった。そもそも彼女と関連の深い作家、ポール・オースターも読み始めたばかりなのだ。
 
 ソフィ・カルは1953年生まれで、10代の終りから、7年間にわたって放浪生活を送り、26歳のときに生まれ育ったパリに戻る。以来〈写真〉という表現手段を媒介にして、人間のアイデンティティにつきまとう“謎”を追及した諸作品を生み出すようになる。(『本当の話』カバー袖より)
 
 放浪中は、ストリッパーやヌードモデル、はては娼婦までやったらしい。
 
 
 
 紹介された『本当の話』を読んでみたいと思い、Amazonで検索したら、版元品切れか絶版らしく、6千円近い値段がつけられていた。四六判ハードカバー200ページ程度の本で、定価の2000円でも高いのに6000円とはなにごとか!
 そこで、わが杉並の中央図書館で検索すると、あった。さすが、都内有数の蔵書数を誇る図書館で、読みたい本はおおかた揃っている。ちなみに、沖縄の作家崎山多美の本も巷では入手しにくいのだが、それもほとんど蔵書しているのだ。
 
 この本は、「ヴェネツィア組曲」「尾行」「本当の話」の3作品で構成されていて、巻末にジャン・ボードリヤールによる「ヴェネツィア組曲」の解説が掲載されている。
 
「ヴェネツィア組曲」は1人の男をただひたすら尾行し、観察し写真におさめる時系列の記録である。尾行の目的が、男との交際を求めるためとか、男から被害を被ったとか、そういうことは何もない。
 しかし、それにしては執拗だ。男が泊まっているホテルを見つけるために、ヴェネツィア中のホテルほとんどすべてに電話をかける。男が骨董品屋に入り、何時間も出てこなくてもただひたすら待つ。明確な目的もないのに、この根気はどこから来ているのか。
 テキストのあいだに何枚もの写真が掲載されていて、中には映画フィルムのようなベタ焼きも含まれている。カメラは実に頻繁にシャッターが切られ、男が女性と腕を組みながら歩いていく姿を、連続写真のようにとらえる。
 ソフィ・カルはスカンタールというアクセサリーをカメラのレンズに装着している。これを使うと被写体にレンズを直接向けることなく写せるというのだ。日本で使ったら絶対にまずい。
 
「尾行」は、探偵を雇ってこんどは逆に自分を尾行させ、写真付の報告書を提出させる。それには実際の行動と異なる個所があるのだが、探偵のそんな手抜きは問題でないのだ。尾行し、尾行されるという行動の中から、主観と客観二重の「生」を見出し、それを写真とテキストの両方で表現する、それが彼女の芸術だ。
 ただ、彼女の行動は危険で、他人のプライバシーを侵し、訴えられることもしばしばだったらしい。
 
 三つ目の作品「本当の話」はこれが本当に“本当の話”なら、こんな女にはあんまり近寄りたくない。これが『リヴァイアサン』のマリア・ターナの実際の姿なのか。
 
「若い娘の夢」
 15歳の頃、あるレストランで「若い娘の夢」という名のデザートを注文したら、写真のようなモノが出てきた。
 

 
「ボーイは微笑を浮かべて、さあどうぞといった。私は涙をこらえ、目をつむった。何年か後、初めて男の裸を目の当たりにしたときのように。」

「離婚」
 こんな写真を撮ってはいけない。「おしっこ二人羽織」である。まあ、カップルが冗談半分でやることはあっても、それを写真に撮ったり、まして本に掲載したりはしないだろう。
 しかもこの写真、プライベートフォトではなく、スタジオでカメラマンにとらせたというから驚きだ。
 

 
「私たちが別れた直後、わたしはグレッグ(夫)に、この儀式の記念写真をとろうと持ちかけた。そこでブルックリンのスタジオで、カメラの見守る中、わたしはプラスチックのバケツに向かって彼におしっこをさせた。この撮影は、わたしにとって彼の性器に最後にもう一度だけ触れるための口実となった。その晩、わたしは離婚に同意した。」
 
 この本の本編も解説も読み終えたとき、ジャン・ボードリヤールの解説が、天沢退二郎が『紙の鏡』という評論集に掲載した、つげ義春の『ねじ式』について書かれた文章とオーバーラップした。
『ねじ式』では海で重傷を負い此岸から彼岸に迷い込んだ少年が、放浪の末「女医」に象徴される「オンナ」と出会うことで自己を取り戻してモーターボートで此岸に戻る話だ。
 ソフィ・カルは「尾行」という“放浪”を通じて、自己を客観的に見ることを行った。それには写真の持つ役割がとても大きかったと思う。他を映し出すことで自己を連続的に発見していったのだ。
 また、自分を尾行させて探偵に自分を撮らせるという行為には、自分がどこに、どのように存在しているのかを確かめたに違いない。
 それにしても、面倒くさい女である。たいていの男は共に暮らすことを拒否し、やめてしまう、きっと。それにしても、近寄る男が尽きることがないとは、さぞかし魅力的な女性なのだろうか。

読書の森公園

2015年01月10日 | まち歩き

 杉並中央図書館の脇にある「読書の森公園」は、図書館で借りた本をここで読書するというコンセプトで作られた。しかし、残念ながらめったに読書をしている人を見かけない。
 映画やドラマなどでは、美しい女性が公園でさりげなくページ繰っているシーンがあるけれど、実際には、公園は読書に適していない。
 風が吹けばページがめくられ、ぽつりと来れば本が濡れる。冬は寒いし夏は暑い。つまり、そんな危険を冒してまでわざわざ公園で読書をすることはないからだ。
 


 
 中央図書館の建物を背にして立つガンジー像。プレートにはガンジーの言葉が掲げられている。
 
      「七つの大罪」
     汗なしに得た財産
     良心を忘れた快楽
     人格が不足の知識
     道徳心を欠いた商売
     人間性を尊ばない科学
     自己犠牲をともなわない信心
     理念なき政治
 

 
 池に面して立派な四阿がある。子どもが小さい頃に絵本を持ってここで遊ばせたことがあるけれど、すぐに飽きてしまった。
 せっかくの四阿だが、読書をしている人もあまり見かけない。
 区民からこの土地を寄付され、結構な予算を消費して作られた公園である。ちょっとコンセプトを間違えたかな?
 
 

ポール・オースター『リヴァイアサン』

2015年01月09日 | 本と雑誌

 一度は読んでみたいと思いつつ、なかなか機会が見つからなかった。そもそも小説を読む機会がなかなかもてない。次々に送られてくる原稿や、執筆・編集のための参考文献、加えて定期的に送られてくる雑誌やニューズレターなど、「読むという作業」のために時間の多くを奪われてしまうからだ。
 それでも、話題の作家の作品に一度は接しておかなければと思いつつ、昨年暮れにノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノとポール・オースターの代表的な作品を何冊か購入した。『リヴァイアサン』はその1冊である。
 
『リヴァイアサン』といえばホッブスによる国家論のタイトルとして有名だが、もともとは旧約聖書に出てくる巨大な幻獣であり、ホッブスはそれを絶対的権力をもつ国家になぞらえた。では、ポール・オースターがなぜこのタイトルをつけたのかというと、それはよくわからない。作品に登場する人物はいずれも権力とは無縁だし、強いていうならば、この物語の中核をなす登場人物であるベンジャミン・サックスが爆破してまわった自由の女神像に象徴される偽物の自由のことだろうか。 
 
 物語はかなり複雑である。何人もの男女が入り乱れ絡み合う。主要な登場人物のほとんど全員がそれぞれ性的な関係や恋愛関係を結ぶ。ドロドロのメロドラマ(ノーマン・メイラーの『鹿の園』を彷彿とさせる)を想像するかもしれないが、そんな通俗的な批判など吹き飛んでしまうほど心理描写が精緻だ。いうまでもないが、ポール・オースターはメロドラマを書こうとしたのではなく、人間の感情、思想、心理などの変遷を描く上で、男女関係を抜きには出来ないということなのである。
 
 この物語の語り手である作家のピーター・エアロンは、『ニューヨーク・タイムス』で1人の男の爆死を知る。身元も何もわからないということだったが、その男が親友のベンジャミン・サックス(1945年8月6日生まれ、広島に原爆が投下された日)だと悟る。
 サックス自身も作家であるが、生活できるほどには稼いでいない。
 あるとき山道で迷ったサックスがヒッチハイクをした車の若い運転手が、道をふさいでいた車に乗っていた男のために銃で撃たれる。サックスは若い男を守ろうとして銃撃した男を撲殺してしまう。殺してしまった男はピーターの元妻でサックスとも関係のあったマリア・ターナーの無二の親友リリアン・スターンの夫、ディマジオであったことがわかる。(すでにこのあたりの人間関係がややこしい)
 ディマジオは車のトランクに大金を隠し持っていて、サックスはこの金はリリアンに渡すべきだと考え、彼女のもとを訪れる。
 リリアンは美しい女性で、しかし家事に疎い。サックスはリリアンの魅力に惹かれ、金を一度に渡さず部屋を片付けながら少しずつ(それでも大金だが)毎日渡すことを考える。当初リリアンはサックスを警戒するが、彼女の1人娘がサックスに懐いたことと、リリアンもサックスに心を許すようになり、やがてベッドをともにする。ある日、サックスは家で独りになったとき、これまで覗くことのなかったリリアンの死んだ夫ディマジオの部屋をつぶさに調べた。そこでサックスが目にしたのは、数冊のマルクスの著作と爆弾づくりの参考書だった。
 つまらない理由からリリアンと喧嘩したサックスが家を飛び出したあと、ニューヨークの各所で自由の女神のレプリカが爆破されているというニュースが飛び込んでくる。犯人は「自由の怪人」と呼ばれ、噂は巷を席巻した。
 ピーターは、その「自由の怪人」がサックスではないかと思いはじめる。
 
 変化しさまざまに移り変わる人間の思考や愛情を、サスペンスタッチの緊迫感と、複雑な人間関係を通じて見事に描いた作品である。
 読み終えて、「すごい小説だなあ」とただ感心するばかりであった。
 もう1、2冊読んでみようかと思っている。
 
 四六判346ページで、決して分厚いという部類には入らないが、文字が小さめで9ポイント(13級)1ページあたりに19行×43文字がぎっしりと詰まっている。最近の小説としては文字数が多く、読み応えがある。

「正月」の終わり

2015年01月08日 | 日記
 正月期間は「松の内」と呼ばれる。松飾りを飾っておく期間である。かつては「小正月」の1月15日までだったが、世の中がどんどん忙しくなって、いつまでも正月気分ではいられないということなのだろう、現代では「七草」(7日)まで。
 それにしても早い。もう今年も1週間経ってしまった。1年が早いわけだ。 
 
 今朝は起きてすぐに玄関先の松飾りを外した。外した松飾りは小正月に神社で行われる「どんど」で焼かれる。
 鏡餅は11日の「鏡開き」までそのままにしておく。鏡開きで有名なのは、柔道の講道館。道場に飾られた特大の鏡餅を割ってしるこを作り、寒稽古が終わった後で振る舞われる。
 ちなみに、鏡餅を小さくするのに刃物は使わない。正月の神様は刃物が嫌いなので、素手や小槌を使って割る。割った鏡餅は、しるこや雑煮にして食べる。
 
 正月の行事は15日の「小正月」ですべて終わる。小正月とは、女性のための正月である。暮れから正月にかけて、大掃除や正月の準備、来客の接待などで主婦は大変忙しい、そこで元日の大正月(男の正月)に対し、15日に女性を休ませるための小正月が設けられた。かつては嫁いだ娘が里帰りする日でもあった。男性優位な封建時代の風習である。
 同じ日に行われる「どんど」焼きで書き初めを燃やすと字がうまくなると伝えられ、高く舞い上がる程よいとされていた。(ちょっと危険だが)
 
 さて、今日からはもう、松の内ではないので「あけましておめでとう」という挨拶はしない。しかし、たいていの人が1月中は新年最初に会う人には正月の挨拶をしている。まあ、そこは気持ちということで。
 

園子温監督作品『冷たい熱帯魚』

2015年01月07日 | 映画

 
 昨年秋、CS放送で園子温監督の作品がいっせいに放送されたとき、『愛のむきだし』『ヒミズ』『希望の国』など主な作品が繰り返し放送されたのだけれど、監督を紹介する際かならず代表作の一つとして紹介される『冷たい熱帯魚』は放送されなかった。どうしても観たかったので、最近発売された安いブルーレイを購入した。
 いずれにしろ、オリジナルを観たい場合はDVDかブルーレイで観ることにしている。CS放送は地上波と違って基本的にはオリジナルのままのはずなのだが、作品によっては大幅に手を加えられているものも少なくない。いちばんの理由はR18の映画は手を加えてR15にしなければならないからだ。R15にするために、何もここまでと思うほど大幅にカットされていたり、かえって目立ってしまうほどのぼかしがかけられていたりする。多くはオリジナルのまま放送したからといって何の問題もないと思えるのだが、テレビ局が勝手に自粛して、作品を希薄にしている。
 
 この『冷たい熱帯魚』も劇場公開ではR18+の指定なので、かりにCSで放送されたとしてもオリジナルとはほど遠いものになるだろうと思ってはいた。だが、観てわかった。これは現在のテレビでは放送できない。R18+に指定されるのは、過激な性描写や残虐な表現がある場合ということになっている。『冷たい熱帯魚』にはその両方があって、作品の重要部分はほとんどがそれで構成されている。だから、性描写にはぼかしを入れることが出来ても残虐シーンはどうにもならない。
 では、低俗な作品なのかと言えば、そうではない。
 モチーフは1993年に起きた「埼玉愛犬家連続殺人事件」である。実際の事件はペットショップだが、映画では熱帯魚店になっている。
 小さな熱帯魚店を経営する社本信行(吹越満)は、死別した前妻の娘(梶原ひかり)と現在の妻(神楽坂恵)の3人暮らし。娘はいい加減な性格で家事もろくにしない妻と折り合いが悪く、その理由から父親にも反抗している。社本自身も優柔不断で、妻と娘の確執に直接向き合おうとしない。
 ある日、娘がスーパーで万引きしているのが見つかり、店長は警察に突き出すと怒り心頭だったが、そこに店長と懇意の村田(でんでん)が現れ、とりなしてくれる。
 村田は社本の店とは比べ物にならない大きな熱帯魚店を経営していて、いかにも人が良さそうで親切な人間に見えた。それを機会に、社本家族と村田との交流が始まる。
 やがて村田は社本に、利益の大きい高級魚の取引を持ちかける。しかしそれは、とんでもない詐欺まがいの「ビジネス」だった。
 村田は、金をだまし取った相手を次々に殺害していた。死体は肉と骨にわけ、肉を「唐揚げの大きさ」まで切り刻み、骨は焼いて灰にし、川に流していたのだ。
「透明になっちまったんだから、もうどこにもいない」と言いながら、まるでルーチンワークのように無感情で死体を解体する村田とその妻(黒沢あすか)を見て社本は慄然とする。
 村田は目的のためには妻の体も差し出し、犯罪に協力的だった弁護士までも、思い通りにならなくなると殺害してしまった。すでに30人以上を殺し、いずれも「透明」にしていたのだ。
「証拠がないんだから捕まらない」村田はそううそぶいていた。
 
 登場する女優たちはいずれもエロチックだし、映画でここまでやってよいのかと思うほどグロテスクなシーンも多い。はじめのうちは、「こんな映画観るべきではなかった」と後悔しかけた。だが観ていくうちに、まるで日曜大工でもやるように平然と死体を解体する村田夫婦に別なシーンが重なり合った。
 ベトナム戦争で下半身がちぎれたベトナム人の死体をぶら下げ、にこやかな表情で記念写真を撮っているアメリカ兵の姿だ。人間は神経が麻痺してしまうと、殺人でさえも何の抵抗もなくなる。それどころか、一種のトランス状態になり、快感さえ覚えるという。まさに村田は、ベトナム戦争でのアメリカ兵だった(中国での日本兵も同様だった)。
 また、村田にとって女たちは「ビジネス」を円滑に行うための道具でしかない。村田から、女性に対する思いやりや愛情は感じられない。村田の大型熱帯魚店では店員がいずれも女性で、肌を大きく露出した制服を着せられている(同監督による連ドラ『みんなエスパーだよ!』に似たシーンがあった)。そこに吸い寄せられるようにやってきた男たちが、村田の悪逆非道な「ビジネス」の犠牲者になっていく。
 エゴイスト、男女差別主義、金の亡者、殺人者、世の中の悪をすべて集めた村田のような思考を持った人間は、実は、行動に移さないまでも世の中にはけっこういるのかもしれない。何かのきっかけで歯止めがはずれたときに、「埼玉愛犬家連続殺人」のような事件が起きるのだろう。麻痺してしまえば理性は吹き飛び、人は平気で人を殺せる鬼になる。まさに、戦場の兵士たちと同じだ。
 
 村田を演じたでんでんがすごい。鼻歌まじりで人を解体し、まるで魚をばらすように「これ、肝臓」と差し出す演技はそうそう出来るものではない。
 神楽坂恵は園監督の奥さんだが、これでもかというくらい豊満な肉体をさらけ出していた。新藤兼人監督と乙羽信子の場合もそうだが、まあ、映画監督という人種はどうにもよくわからない。

「正午浅草」と書けたら楽だなあ

2015年01月05日 | 日記

木村伊兵衛による永井荷風のポートレート。1954年。
 
 昔の人は実にマメに日記を記した。たいしたものだと思う。
 ブログも言わば日記なのだけれど「ブログネタ」という言葉があるが、ネタが何もないという事態がままある。
 飛ばしたからと言って誰に責められるわけでもないのだが、毎日更新していると、何か強迫観念のようなものが噴出して、意味もなく悩み込んだりする。
 永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、1日分が数文字しか書かれていないページが多数ある。浅草をこよなく愛した荷風の晩年の日記には、「正午浅草」という文字が何日も何日も繰り返し書き続けられている。浅草通いが日課になっていた証拠である。
 最初は「夜浅草」であったり「午後浅草」であったりもした。それが「正午過浅草」となり「正午浅草」が連続するようになる。
 荷風が足しげく通ったのはストリップ劇場のロック座。すっかり常連になり、楽屋に入り込んで踊り子たちと写真を撮ったりしている。
 

浅草ロック座の楽屋で踊り子たちに囲まれた永井荷風。この写真は、さまざまに紹介され有名になった。
 
 僕にはそんな粋な習慣がない。ストリップ劇場も行きつけの飲み屋もない。「終日オフィス」と書いたって面白くも何ともない。
 さてどうしたものか。

追悼 宮城喜久子さん

2015年01月04日 | ニュース
 昨年大晦日に、元ひめゆり学徒の宮城喜久子さんが亡くなった。86歳だった。
 

 「ひめゆり平和祈念資料館」で修学旅行の中学生たちに体験を語る宮城喜久子さん。(『ひめゆりの少女』高文研より)
 
 今朝の新聞で知ったが、テレビなどのニュースでは報道されなかったのではないだろうか。(見逃したのかもしれないが)
 講演会でお話をうかがった他、沖縄でも何度かお会いした。いつも「ひめゆり平和祈念資料館」の野戦病院のレプリカの前で、修学旅行の生徒たちにお話をしていた。一昨年あたりからあまりお見かけしなくなっていたので気になっていたが、体調を崩しておられたのではないだろうか。
 新聞によると、卵巣がんだったそうだ。
 
「若い人が私たちの体験を引き継いでくれているから、もうまかせてもいいんだけど」と言っていたが、資料館に来るのは日課のようになっていた。
 東京町田市の和光学園で講演したときに、生徒の保護者というには若い、20代と見える女性が質問した。
「お話を聞いていて感じたんですけど、そんなひどいことになるんだったら、どうして断らなかったんですか?」
 あたかも、今になって文句を言うなら最初から断れば良かったのに、とでも言いたそうな怒ったような物言いだった。
 宮城さんのように戦争を全面否定する人への反発からくる、右翼的な考えの人なのかとも思ったが、宮城さんが「断れるような状況じゃなかったのよ」という一言で黙ってしまったから、ただの無知だったようだ。
 しかし、今の若い人たちがいかに戦争の実態を知らないかを象徴するシーンだったので、強く印象に残っている。
 
 敗戦から70年である。戦争体験者はますます少なくなって、20~30代で戦争体験者の話を聞いたことがないという人は60%を超えたそうだ。
 安倍晋三はますますファシスト化し、国民を管理して戦争への道を進もうとしている。
 今朝のTBSテレビで、ドイツがヒトラー政権のもと、どのようにファシズムの道に進んでいったか、映像をまじえて放送していた。ナチスの前段階が今の安倍政権と酷似していることに驚き、ぞっとした。
 
 宮城さんのような戦争体験者はもう数えるほどしかいない。とくに、もともと少なかったひめゆり学徒の生き残りでお話をうかがえる人は限られている。宮城さんの1学年下のひめゆり学徒、東京杉並在住の上江田千代さんも、今は単独では行動できない。
 杉並には「戦争体験者100人の声を聞く会」というのがあるが、そこで話をしてくれる人も、年々少なくなっている。
 若い人のほうから積極的に声を聞く機会を持ってほしいと思う。
 
 宮城喜久子さんのご冥福を祈る。
 

  宮城さんの著書『ひめゆりの少女』(高文研発行 税別1400)

神田明神 初詣

2015年01月03日 | 日記

 
 神田明神に参拝しないと1年が始まらない。
 今年は元日を避けた。近年ますます行列が長くなってきていて、一昨年あたりから秋葉原近くまで列が伸びて、昨年はそれがさらに神社周辺の道路をほぼ1周するほどになった。
 これは、5日の仕事始めも同じだ。昨年は並んでいるうちにアシのYの機嫌が悪くなったので、中止した。
 2日の午後、映画を見た帰りに御茶ノ水まで足を伸ばして神田神社まで出かけた。大混雑を避けたつもりだった。確かに、鳥居の外の行列は短かったのだけれど、境内に入ってからは例年と変わらない、ご覧のような状態で、神殿に到着するのに1時間ほどはかかった。それでもまだタイミングが良かったらしく、帰りの夕方5時頃にはさらに混雑がましていた。
 
 今年は「神田神社遷座400年」だそうだ。5月には「記念 神田祭」がおこなわれる。
 参拝の行列の中で、カップルで来ていた若い女性が彼に向かって「〈かんださい〉やるんだって!」と言っているのが聞こえ、つい吹き出した。〈かんださい〉ではまるで学園祭みたいだ。〈かんだまつり〉と読んでほしい。
 神田祭は毎年5月中旬に行われる。山王祭、深川祭と並んで江戸三大祭の一つである。
 神田神社はかつては大手町にあって、今から400年前、今の千代田区外神田に移った。遷座とは神仏の場所を移すこと。つまり、神様仏様の引っ越しである。
 
 参道に並んだテキ屋の列も、毎年少しずつ雰囲気が変わっていて、今年は何と、外国人のテキ屋がカバブを売っていた。撤退する店も少なくない。三が日には必ず出ていた「やげん堀(七味唐辛子)」の店が、昨年から出ていない。年配の女性がやっていたので、もしかすると体を悪くしたのだろうか。2年続けて出ていないので、もうないだろう。毎年買っていたのでちょっと寂しい。
 

 
 神社の裏手には、明神下に住んでいたとされる岡っ引き、銭形平次の碑がある(野村胡堂の小説、もちろんフィクションだ)。右手、玉垣の外にある小さい碑は子分の八五郎。
 

 
 数年前から扇形のお神籤を売っていて、今年初めて「大吉」を引いた。アベノミクスのせいで、今年はさらに景気が悪くなると言われているのだが、少しだけ元気をもらった気がする。
「〈願い事〉 叶うが高望みしないこと」。最初から高望みなど出来ようはずがない。
「〈出会い〉 思わぬ出会いがある」。これは期待しよう。
「〈健康〉 医者の言に従えば治る」。一応そうしているつもりだ。
「〈行動〉 進んで自分の苦手なことにチャレンジしてみましょう」。これが思いのほか難しい。とくにこの年になってしまっては。
「〈金運〉 お金を使った方がむしろ金運が上昇していくでしょう」。迷ったらやめる、ではなく、迷ったら買う、ことにしよう、今年は。
 
 この大吉扇子、商売繁盛のお札とともに、今年1年間事務所に飾っておく。

石井裕也監督作品『バンクーバーの朝日』

2015年01月02日 | 映画


 野球がテーマの映画なので、ぶらりと1人で観に行くつもりでいたら、カミさんも観たいと言う。子どもたちもついてきて結局家族で観に行くことになった。
 宣伝もしていたし評判もよかったので混んでいるかと思ったら、新宿ピカデリーの昼の回はがらがらだった。おかげで見やすい席でゆったり見ることができた。
 
 1900年代の初頭、日本は大変な不景気に見舞われ、とくに農家の次男坊三男坊の多くが新天地を求めて海外に移住した。外国に行けば広い土地を思うままに手に入れることができて、夢が開けるという政府の宣伝もあり、中国の東北地方(満州)、ブラジル、ハワイなどに多くの日本人が移り住んだ。
 この映画はカナダに移住した日本人が、野球を通じて民族の橋渡しに貢献するドラマである。
 しかし、希望を持ってカナダに渡った彼らを待ち受けていたのは、夢や希望などとはまったく正反対の状況だった。当時まだ後進国民と見られていた日本人は、白人から差別を受け、1日10時間働いても給料はカナダ人の半分、それでも懸命に働いた彼らは、カナダ人労働者たちにとっては「仕事を奪う厄介者」だったのだ。
 貧しい中でも若者たちを元気づけようと、野球チームが作られた。そのチームがバンクーバー朝日だ。
 重労働をしながら決して手を抜くことなく野球に取り組むものの、体が大きく力も強い白人のチームにはまったく刃が立たない。1点の得点も得られず万年最下位だった。家族からは遊んでばかりいると嫌みをいわれる始末。
 そんな弱小チームを変えたのは、体の小さい自分たちの弱点を逆に生かした戦法だった。
「やつらは体が大きい分動きが鈍い、そこをつくんだ」
 三塁手の動きが鈍いと見た彼らは、三塁側にバントを試み、見事バントヒットを決めた。今では日本野球の代名詞になっているスモールベースボールの最初だった。そして、バントと相手のエラーで初めて得点を上げた。
 それからは連戦連勝。そしてついに、バンクーバー朝日は優勝争いをするほど強くなり、西海岸リーグのチャンピオンになった。これまでバカにしていた白人たちも一目置くようになり、ファンも増えていった。
 強くなったバンクーバー朝日チームはすっかり人気チームになり、地方巡業に呼ばれるなど順風満帆、のはずだった……。
 1941年、チームがまさに絶頂のとき、日本軍がパールハーバーを攻撃する。カナダで市民権を得たはずの日本人は一転、敵性外国人として財産のすべてを没収され、一人残らず強制収容所送りとなる。
 こうした悲劇はカナダだけでなく、ほとんどの移民先で起きている。日本政府が国策で移住した日本人のことをまったく考えず、まるでヒステリーを起こしたように無謀な戦争に走ったことが原因だ。国民の幸せを考えない日本政府の伝統は、昔も今も変わらない。
 チームは解散し、彼らが再び集まることはなかった。それから60年以上たった2003年、カナダ人と日本人移民社会の橋渡しへの功績が認められ、カナダ野球殿堂入りを果たす。
 しかし、当時のチームメートはほとんどが鬼籍に入ったあとだった。
 映画の最後、エンドロールの途中で1人の上品な老人が登場する。何の説明もないのだが、朝日の生き残りのだろうか。
 

 
 この映画の舞台はカナダのバンクーバーだが、実際の撮影は栃木県足利市にオープンセットが作られ、ほとんどそこで撮られている。
 カナダはもとより、外国にも1940年代の日本人街は残っていない。それに、当時の日本人街はそこから一歩も出ることなく生活できるほど広い。さらにその先には広大なバンクーバーの街が広がっていて、それをリアルに描いても位置関係などがわかりにくくなるというのが理由だ。
 それにしても、時代考証が実に細かい。窓際に置かれた目覚まし時計や湯沸かしポットもそうだが、製材所で作られる木材はツーバイフォー工法に使われる板が忠実に用意されている。
 バンクーバー朝日のチームメイトが使っているグローブや、キャッチャーのプロテクターも当時のかたちだ。それは当たり前か。
 さらには、ピッチャーが投げる球種はストレートのみ。野球で最初の変化球はカーブ。しかし当時はアメリカでもカーブを投げるピッチャーはめったにいなかった。
 日本ではアメリカ留学中にカーブを覚えた新橋アスレチック倶楽部の平岡ヒロシ(*名前は漢字1文字。gooブログでは表示できず)が最初といわれ、それを体験したバッターが、「キリシタンバテレンの魔法だ」と言って怖れおののいたという。
 投げて打ち、ひたすら点を取り合う当時の野球で、バント戦法は奇策中の奇策、現代野球のようにバント処理の技術などない。面白いように決まったのだ。
 
 妻夫木聡は、チームのキャストの中で唯一野球体験がなかったそうだ。「僕が一生懸命走っているのに、それを見てみんな笑うんですよ」と言っていたが、確かに、笑ってしまった。

あけましておめでとうございます

2015年01月01日 | 日記


 例年のごとく、天沼八幡に初詣に行く。今年はちょっと遅めに出かけたので、行列は短くなっていた。
 去年の注連縄や守り札などを焼く炎が高く上がっていて、端の方に大きなだるまが置かれていた。見ると両目が描かれていたので、もしかすると衆議院選の選挙事務所から持ってきたものだろうか、と思った。
 だとすると、石原伸晃の事務所か?
 いや、地元の神社でだるまを焼くとも思えないから、誰か願いが成就した人間が持ってきたのだろう。そうなら、アベノミクスのせいで不景気なご時勢に羨ましい限りだ。
 だるまの後ろ側を見ると、お尻に火がついて焦げていた。成就したあとが問題のようだ、このだるまの主は。
 
 紅白歌合戦は基本的に観ない主義だ。興味がないし、あれほど保守的な番組はないと思っている。
 プロの歌手同士を紅白に分けて勝負させるなど、意味があるのだろうか。
 かつて、ミラノ座でオールナイト・ジャムセッションをやっていたころは毎年そっちに行っていたし、なくなってからは映画を観ていた。
 今年は遅れている原稿に手を付けるつもりで、夕方から書斎にこもったけれど、なんとなく落ち着かなくてあまり筆が進まなかった。
 先日購入した、ポール・オースターの『リヴァイアサン』を読みはじめるが、それも集中できずに数十ページ進んだところで閉じてしまった。
 結局、テレビのクイズ番組を観てムダに時間を過ごす。
 
 いたずらににネット書店を漁っていたら、読みたいと思っていたのに品切れになっていたパトリック・モディアノの『失われた時のカフェで』をAmazonでも楽天でもないマイナーなネット書店で見つけ、注文する。ポイントが使えて自己負担額は半分になった。
 ついでに、フォークナーの『響きと怒り』(講談社文庫)、ポール・オースター『闇の中の男』、それに先日観た映画「ゲノムハザード」の原作本の中古をで見つけたので買っておくことにした。
 仕事がたまっているのに、読む時間があるのだろうか。