ひまわり博士のウンチク

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もう4年……

2015年03月11日 | 日記
 4年前。
 遅い昼食を済ませ、さて午後の仕事を始めようかとデスクに向かったときのこと、突然ぐらっと来た。
 「あ、地震……」
 一瞬、たいしたことはない、と思ったのもつかの間、揺れはすぐに激しくなった。
 「大きいぞ!」
 デスクの左の棚に置かれた32型の液晶テレビと、目の前の24インチのパソコンモニターが、今にも倒れ落ちそうにジャンプをはじめた。それを両手で押さえながら、逃げた方がいいだろうか、と頭の中で考えた。
 しかし、建物は古いが鉄筋コンクリートの2階建てで、容易につぶれたり倒れたりはしないだろう、外に出ればかえって危険だと、激しい揺れに耐えながらおさまるのを待った。
 隣のデスクではアシのYが、必死で大型のモニターを押さえ込んでいた。
 
 ガタン! と音がした。小型冷蔵庫の上からウィスキーの瓶が落下したのだ。ところがそれは、適度にゴミが詰まったくず入れの中にすっぽりおさまり、とっておきのウィスキーは無事のようだ。
 揺れがおさまり回りを見まわすと、オフィスで落下したのはウィスキーの瓶だけだった。
 「すごいラッキー」とアシのYが喜んだ。しかしそんなことで喜んではいられない。すぐに階下の居間に降りていった。そこは悲惨な状態になっていた。LPレコードが詰まった棚の中味はすべてが落下してなにも残っていない。その隣のガラスケースの扉が開いて、自分で言うのもナンだが普段は使わない“高級”グラスが散らばったレコードの上に砕け散っていた。
 しかし、よく見ると、壊れたのは著者からプレゼントしてもらったボヘミアンのワイングラスだけで、他は落ちたにもかかわらず無事だった。多分、先に落下したレコードがクッションになって助かったのだろう。ボヘミアングラスは残念だったが、縁がなかったとあきらめた。
 
 東京電力福島第一原子力発電所が放射能漏れを起こしていると報じられたのはその翌日。さらにその翌日、原子炉建屋が爆発した。
 
 毎年秋に生鮭を送ってもらっている福島県浪江町請戸の古賀さんは、家兼作業場が津波で流された上に、福島原発から20キロ圏内にあるため、着の身着のままで避難生活を余儀なくされた。避難先が不明で、古賀さんの家族から連絡があったのは、それから1年以上経ってからだ。古賀さんは心労で体調を崩してしまったと言う。が、その後また連絡が途絶え、近況はわからない。
 
 たとえ津波で流されたとしても、原発事故がなければ復興はもっと早く、古賀さんは今頃海に出ていただろう。
 地震と津波は自然災害だが、原発事故は人災である。津波による被害からの復興を困難にしているのはまぎれもなく原発事故である。それにも関わらず、安倍総理は軽々しく「放射能は完全にブロックされている」などとウソを言い、民意に反して原発再稼働を進める。
 
 阪神淡路大震災で多大な被害を被った神戸が人々の努力でどうにか復興できたのは、そこには原発事故がなかったからに他ならない。
 自然災害であればどんなにひどい被害を被ったとしても、なんとか復興できる。しかし、放射性物質で汚染された地域に人が住めるようになるには数十年数百年かかる。
 避難民の1人は、「有史以来の地域が(原発事故で)消えた」と言った。
 
 放射線量は計測条件によってまったく違う。数十メートルずらしただけで線量計はほとんど反応しなかったり、安全地域のはずが特定の場所だけ高い数値を示すことがある。天候によってもまた然りだ。だから、政府の安全宣言はまったくアテにならない。原発事故の被害を必死で小さく見せようとする。そのために多少危険でも復興したことにしたいのだ。
 福島原発から200キロ離れた東京湾に流れ込む河川の汚染が公表されたのは、ごく最近のことである。江戸川放水路の沙魚釣りなど、とんでもない話である。
 
 テレビのドキュメンタリー番組は、地震と津波に重点が置かれ、放射能汚染については添え物程度に触れるだけだ。なぜか? 確かに多くの犠牲者を出したのは津波だが、放射能汚染は長期間にわたり、いわゆる“因果関係が特定できない”とされる被害者を永続的に出し続ける。
 原発事故に触れたがらない、マスコミの意図を感じざるを得ない。
 
 南海トラフでマグニチュード9の地震が発生する可能性が高いと伝えられる。強引に再稼働を進める安倍総理の精神構造を見たいものだ。


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