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石川光陽『痛恨の昭和』

2008年03月11日 | 写真
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 1988年岩波書店発行

 石川光陽は警視庁のカメラマンで、戦前から戦中・戦後の貴重な写真を残しています。
 戦前は憲兵から、敗戦後はGHQから必死に守り抜いたネガを元に構成された写真集です。
 昨日放送されたTBSテレビの特番「東京大空襲」は、彼を中心に進行されていました。

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 1936年の文京区駒込。このあたりは芸者屋が多く、女性は着物に日本髪姿です。

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 1937年の中央区銀座通り。この年の7月7日、盧溝橋事件が起きて、日本と中国の戦争が本格化し、15年にわたるアジア太平洋戦争が始まります。この写真は街頭で千人針を呼びかける出征兵士です。
 千人の女性にひと針ずつ赤糸で縫い玉を作ってもらい、それを腹に巻き付けていると鉄砲の弾が避けると言われていました。しかし、実際には不衛生でシラミの巣になったとか。

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 1939年10月、空襲に備えての防空演習。軍部は「日本軍は破竹の勢いで連戦連勝だから、防空演習などする必要はない」と言っていました。もっとも、実際の空襲でバケツリレーの消火などまったく役に立ちません。

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 こんなシーンを最近どこかで見た覚えがある人もいるのでは。しかしこれは、北朝鮮のニュースではありません、1940年に明治神宮外苑競技場で行われた、「産業戦士体育祭」のひとコマです。

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 1945年3月10日、B29の大編隊に襲われた東京は下町を中心に、約10万人の人が命を落としました。
 この写真は墨田区本所付近に集められた焼死体の山。石川光陽は、黒こげの死体一人ひとりがどこの誰だかわかったと言います。「もうしわけありません」と詫びながらシャッターを切りました。

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 1946年、敗戦直後の中央区銀座4丁目交差点。日本は進駐軍の占領下に入り、白いヘルメットのMP(ミリタリー・ポリス=アメリカ陸軍の憲兵)によって治安が維持されました。
 MPは犯罪者の取り締まり、浮浪児の確保、そしてこの写真のように交通整理までも行いました。

 この写真集には、1933年から1960年の浅沼稲次郎暗殺までの、東京の風景がおさめられています。

『痛恨の昭和』amazon
岩波書店 発行
定価 2,243円(税込)

【リンク】石川光陽『東京大空襲の全記録』

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