「遺されたネガから」
増山たづ子写真展
(朝日新聞 11月28日)
岐阜県の徳山ダムに沈んだ、旧徳山村の記録を撮り続けた、故増山たづ子さんの写真展を、新宿のコニカミノルタプラザに見に行ってきました。
このカメラなら自分にも撮れると、増山さんがはじめてピッカリコニカを手にしたのは67歳のとき(1977年)。村の水没が決まり、マスコミが取材に訪れたときに、自分もこの村を記録しておこうと思ったのがきっかけです。
その理由を聞くと増山さんは「父ちゃんが帰って来たら見せないかんから」。
増山さんのご主人は、先の戦争に徴兵されてそのまま行方不明。女手ひとつで民宿を経営し二人の子どもを育ててきました。
「おお、全部入るわ、ありがたいねえ」と言いながら、増山さんは背後の山の上から、やがて沈む集落の全景を撮影しました。
(朝日新聞 11月28日)
増山さんの写真には子どもたちがたくさん登場します。子どもたちにとって、故郷の思い出がどう記憶されるのか心配だったのでしょう。
「あたりまえだってことが、どんなに大事かってことだよ」
満開の桜がショベルカーで引き倒されています。
家が焼かれ、そのわきにさらしに包まれた墓石がひっそりと立っています。
作業員たちはどんな思いだったのでしょうか、涙が出ます。
増山さんにとって当たり前のことは、みんな水の底に沈んでしまいました。
増山さんの写真はなんの小細工もありません。ただひたすら自分が見た風景をカメラで切り取っていきました。
しかし、実に見事な構図とシャッターチャンスです。
ピッカリコニカを手にした最初の日、1日で15本のフィルムを撮りきったそうです。
「ダムができて、みんなが幸せになってくれるんなら、それでいい」
ダム、村とひとくくりで報道されがちな出来事の、そこに住む人一人ひとりに焦点を当てた写真は、心にしみるものがあります。
タイトルの多くには、村人の固有名詞が含まれていました。
しかし、ほとんど造る必要はなかったといわれたこの巨大ダムによって、恩恵を授かったのはだれだったのでしょうか。
2006年3月7日、増山さんは水に沈んだ故郷を見ることはなく、88歳でなくなりました。
◆
「京島だより」
保科宗玄写真展
増山さんの写真展と同じギャラリーの別室で開催されていました。
こちらの写真展も、ごく当たり前の風景をごく当たり前にとった写真展で、なかなかいい写真がたくさんありました。
しかし、柱の傷の一つひとつまで再現する解像度と、奥から手前まできっちりとピントの合ったパンフォーカス技術はすごい。
データが不明なので、どのような撮り方をしたのかわかりません。
無限大の遠景から数メートル手前まで、動体を含めてぶれのない写真をとっています。
極端な広角レンズとも思えないし、絞り込んで高感度フィルムを使ったとも思えません。
驚くことに、外も室内もしっかり明かりが回ってる。
大掛かりな機材を持ち込んだように見えないし。
どうやったんだろ。きっと企業秘密なんでしょうね。
しかし、生活感は、増山さんの勝ちかな。それはしょうがないか。
◆
「山羊の肺」
平敷兼七写真展
新宿に出たついでに、西口に回ってニコンサロンで開催中の「山羊の肺」沖縄1968-2005年を見て来ました。
〈リンク〉
沖縄が返還される4年前からつい最近まで、沖縄の娼婦の姿を撮り続けたもの。
観光旅行でも、非観光旅行でも見る機会がおそらくないであろう風景は、あたかも沖縄のはらわたを見るような感覚をおぼえました。
佐野 眞一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』という本があります。何となく恐ろしくてまだ読んでいませんが、オーバーラップしました。
◆
しかし、今日は、社会の底辺を描いた作品に数多く出会うことができて、大変満足な1日でした。
原稿も書き終わったし……。
あ、次がまだ控えてたんだっけ。
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
増山たづ子写真展
(朝日新聞 11月28日)
岐阜県の徳山ダムに沈んだ、旧徳山村の記録を撮り続けた、故増山たづ子さんの写真展を、新宿のコニカミノルタプラザに見に行ってきました。
このカメラなら自分にも撮れると、増山さんがはじめてピッカリコニカを手にしたのは67歳のとき(1977年)。村の水没が決まり、マスコミが取材に訪れたときに、自分もこの村を記録しておこうと思ったのがきっかけです。
その理由を聞くと増山さんは「父ちゃんが帰って来たら見せないかんから」。
増山さんのご主人は、先の戦争に徴兵されてそのまま行方不明。女手ひとつで民宿を経営し二人の子どもを育ててきました。
「おお、全部入るわ、ありがたいねえ」と言いながら、増山さんは背後の山の上から、やがて沈む集落の全景を撮影しました。
(朝日新聞 11月28日)
増山さんの写真には子どもたちがたくさん登場します。子どもたちにとって、故郷の思い出がどう記憶されるのか心配だったのでしょう。
「あたりまえだってことが、どんなに大事かってことだよ」
満開の桜がショベルカーで引き倒されています。
家が焼かれ、そのわきにさらしに包まれた墓石がひっそりと立っています。
作業員たちはどんな思いだったのでしょうか、涙が出ます。
増山さんにとって当たり前のことは、みんな水の底に沈んでしまいました。
増山さんの写真はなんの小細工もありません。ただひたすら自分が見た風景をカメラで切り取っていきました。
しかし、実に見事な構図とシャッターチャンスです。
ピッカリコニカを手にした最初の日、1日で15本のフィルムを撮りきったそうです。
「ダムができて、みんなが幸せになってくれるんなら、それでいい」
ダム、村とひとくくりで報道されがちな出来事の、そこに住む人一人ひとりに焦点を当てた写真は、心にしみるものがあります。
タイトルの多くには、村人の固有名詞が含まれていました。
しかし、ほとんど造る必要はなかったといわれたこの巨大ダムによって、恩恵を授かったのはだれだったのでしょうか。
2006年3月7日、増山さんは水に沈んだ故郷を見ることはなく、88歳でなくなりました。
◆
「京島だより」
保科宗玄写真展
増山さんの写真展と同じギャラリーの別室で開催されていました。
こちらの写真展も、ごく当たり前の風景をごく当たり前にとった写真展で、なかなかいい写真がたくさんありました。
しかし、柱の傷の一つひとつまで再現する解像度と、奥から手前まできっちりとピントの合ったパンフォーカス技術はすごい。
データが不明なので、どのような撮り方をしたのかわかりません。
無限大の遠景から数メートル手前まで、動体を含めてぶれのない写真をとっています。
極端な広角レンズとも思えないし、絞り込んで高感度フィルムを使ったとも思えません。
驚くことに、外も室内もしっかり明かりが回ってる。
大掛かりな機材を持ち込んだように見えないし。
どうやったんだろ。きっと企業秘密なんでしょうね。
しかし、生活感は、増山さんの勝ちかな。それはしょうがないか。
◆
「山羊の肺」
平敷兼七写真展
新宿に出たついでに、西口に回ってニコンサロンで開催中の「山羊の肺」沖縄1968-2005年を見て来ました。
〈リンク〉
沖縄が返還される4年前からつい最近まで、沖縄の娼婦の姿を撮り続けたもの。
観光旅行でも、非観光旅行でも見る機会がおそらくないであろう風景は、あたかも沖縄のはらわたを見るような感覚をおぼえました。
佐野 眞一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』という本があります。何となく恐ろしくてまだ読んでいませんが、オーバーラップしました。
◆
しかし、今日は、社会の底辺を描いた作品に数多く出会うことができて、大変満足な1日でした。
原稿も書き終わったし……。
あ、次がまだ控えてたんだっけ。
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コニカミノルタの方もまわっておきたかったのですが、未だです。平敷さんのモノクロ写真は見事でしたね。震えました。
平敷さんのはよほどのめり込まないと撮れません。あんなものすごいのは。