ひまわり博士のウンチク

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誕生!中国文明

2010年08月15日 | アート・文化
Chugoku1
 
 敗戦記念日の今日、NHKで菅総理の内容のない挨拶を聞いたあと、上野に出かけた。
 それにしても、ひどい挨拶である「哀悼の意を表(ひょう)します」を「あらわします」と読んだ。それ以外にもおかしなことを言ったが、忘れた。
 
 で、「誕生!中国文明」を開催している東京国立博物館は、上野駅からけっこう歩く。路上ライブやジャグリング、パントマイムなどをやっている人だかりの間を抜けて、ようやく門にたどり着いたと思ったら、建物はさらにその奥にある。
 
Chugoku2
 動物紋飾板(紀元前2000年頃)
 中国最初の王朝は紀元前2000年から1600年ぐらいと推測される「夏(か)」であるといわれている。
 その根拠は、河南省で発掘が進められている二里頭遺跡にある。
 しかし、この説には異論もあり、この遺跡が夏王朝とみなして良いものかどうか結論は出ていない。
 
 上の「動物紋飾板」はその二里頭遺跡で発掘された装飾品で、青銅の板にトルコ石がはめこかれた豪華なものである。
 墓に遺体とともに納められていたもので、権威を象徴した装身具であったと考えられている。
 このような装飾品は、王朝の身分の高い人物が用いていたことが想像でき、そこから「夏王朝」誕生の年代が推測されたのである。
 今から4000年前、日本はまだ縄文時代である。
 
Chugoku4
 鼎(てい)(紀元前1000年頃)
 紀元前11世紀の後半に、周は商王朝を滅ぼして西周王朝を樹立した。
 この「鼎」はその頃の時代のもので、祭祀のとき、お供えの肉を煮る容器である。
 当時、金色に輝くきらびやかな祭具であった。
 
Chugoku3
 金のアクセサリー(北宋時代 11~12世紀)
 この時代になると、もの作りの技術が高まりを見せる。極細の金の針金を縒って複雑に絡み合わせ、文様を形づくっている。
 現代でも、中国の細工の技術は目を見はるものがあるが、すでにこの時代からその片鱗があった。
 
 ミュジアムショップでレプリカを販売していた男性に声をかけた。懐かしいものを見つけたからだ。
 かつて、まだ日中国交がなかった頃、晴海で行われた日本最初の物産展にアルバイトで店番をしていたとき、なぜか良く売れていた「爵」という酒器が妙に気になっていた。
 如何にも発掘しましたと言わんばかりに、腐食や泥のついたところまで再現していた。もちろん、飾り物である。
 この日ショップに出ていたものは、当時のものと違ってきれいに磨かれていたが、かたちは同じ、ただし、とてつもなく高価だった。
 当時、300円かそこいらで売られていたものが、5千円以上もする。
 「それ、今持っていたら大変な価値がありますね」
 「そうですね、一つ買っておけば良かった」
 
 しばし昔話をして、しかし結局何も買わずに去った。
 
 想像以上に内容のある展示だった。悠久の4000年に渡る歴史を、3時間ほどで、少しではあるがしのぶことが出来た。
 歴史は何でもない生活道具にも、実に奥深い物語を刻み込む。
 
 (9月5日まで東京国立博物館で開催)
 
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