寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記憶に残っている映画(56)「私は貝になりたい」

2016年10月31日 11時24分02秒 | 寓居人の思い出話

 昔から「沈黙は金なり」ということわざがありますね。

この映画はそんなことに気がついた一人の平凡な兵士の

話です。

 主人公の清水豊松は高知県のある町で妻と二人で理髪

店で生計を立てていた気弱で平凡な理髪師でした。戦争

(太平洋戦争)が激しくなって、この理髪店主にもいわゆ

る赤紙が届きました。

 軍隊で激しい訓練をしていたある日、米軍機が墜落し

て乗組員が山中に放り出されました。そんなとき清水豊

松の中隊に山狩りをして米兵を殺害するように命令が下

った。山中で米兵を発見したが、豊松には命令通り刺殺

することはできなかった。そしてやがて終戦を迎え、豊

松は故郷に帰って平穏な生活を始めました。

 そこへある日、MPがやってきて戦争犯罪者の疑いがあ

るとして豊松を連行していきました。戦争裁判で殺人罪

の判決が下りました。豊松はいくら弁解し殺人をしてい

ないといっても受け入れられなかった。そして刑が執行

されるのを待つ日々獄中でどう考えても殺人罪の判決に

納得できず悶々としていた。そして何もしゃべらなくな

っていった。

 ただ、「私は深い海の底に住む貝になりたい」とつぶ

やいていました。理不尽な判決に従わざるを得ない気弱

で平凡な男のせめてもの抵抗であったのでしょうか。

 この作品は初めドラマとして放映され、何作かリメイ

クが行われました。私はフランキー堺が主演を演じたこ

の作品が好きです。思わず笑ってしまいそうな彼の顔と

獄中での深刻な顔が重なると複雑な気持ちになってし

まいます。


七五三のお参り

2016年10月30日 20時59分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

 孫が七才になり七五三のお宮参りに行くという。私は当

日、朝早く起きて圧力鍋を使って赤飯を作りました。タイ

の焼き物をと思ったが魚屋にタイはなかったのであきらめ

た。それでお笑いになってしまうが鯛焼きを買っておいた。

元々孫は魚をあまり好まないので代用品でもいいと思った。

 孫はわがが家の近くの貸衣装店で着付けをしてもらい、

きれいになって我が家にやってきました。久しぶりに写真

を写した。息子つまり孫のおじさんとも一緒に写真を写し

ました。

 ちょうど同時刻頃に長野県の友人から市場には出荷され

ていない珍しい品種というリンゴが送られてきた。それも

持ってたせてにこやかに帰宅していった。午後に兄達全員

が集まって神社に出かけるという。我が家の系統に七五三

行事はすべて終了した。少々寂しい気もするが、孫達が人

生の区切りを一つ越えることが出来、祖父母である我々も

一安心です。

 これからも子供達が笑顔を見せる平和な社会が築かれて

いくことを願いたい。


クイズのおもしろさ

2016年10月29日 21時18分39秒 | 日記・エッセイ・コラム

 物知り顔に頭を使っていると惚けななどというつもり

はありません。最近頭を使うのは囲碁対戦と新聞の独数

(ナンバースともいう)とクロスワードを解くことを楽

しんでいます。独数は少し解き方が分かってきたので

10分間ほどで解けるようになった。解答の確認は表

計算ソフトを使って行います。埋めた数字の列と行の

合計が45という数字になれば正解になります。

 クロスワードはヒントの言葉が何を意味するかに気

がつけばそれほど難しくはありません。解答を葉書に

書いて投票すると抽選によってご褒美をもらえます。

それも楽しみの一つですよ。 

 もう昔の話になりますが、パリからスイスのインタ

ーラーケンへ向かう列車の中で不思議な光景を目にし

ました。それは通勤客らしい人たちが、列車に乗り込

んでくるなり数字が書かれら表のようなものを見始め

るのですね。それでしきりに考えている様子に何か異

なものを見るような気がしました。それがここでいう

独数というパズルだったのです。あの真剣な様子は何

とも言えませんでした。

 

 

 

 


激動の時代を見てこられた三笠宮さま

2016年10月28日 15時04分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

 明治、大正、昭和という激動の時代を見てこられた

三笠宮さまのご逝去を悼みます。

 明治時代は欧米の学問・技術・文化そして軍事力に

追いつけ追い越せという現代日本の基礎を気づく重要

な時代でしたね。

 大正時代は、国内事件がたくさんあったようですね。

政党政治が確立する過程で、民衆や軍部とのせめぎ合

いが明確になっていきました。もちろん私はまだ産ま

れていませんでしたよ。

 外国でも軍が政治に介入し出しましたね。宮様も兵

役に参加し軍隊の行動に疑問を持ったといわれていま

す。それが後の時代に平和と自由を提唱する時代を作

るのに役に立ったのでしょうか。この時代は日本の軍

拡に対して欧米諸国が危機感を持つようになったよう

です。それで繰り返し軍縮会議が開かれましたね。

 大正時代を締めくくるようにそして日本の将来を暗

示するように関東大地震が発生しました。

 昭和時代は、軍の台頭が激しくなりました。中国へ

軍を送るようになりいろいろな事件が連続して発生し

ました。そして特定政党(思想)を規制するために、恐

怖の特別高等警察(いわゆる特高)が現れました。

 内閣に不満を持った軍が、蜂起して軍備対する予算

の増額を要求しクーデターを起こしました。ドイツで

はナチス党が第1党になり民族主義が姿を現しました。

 私が生を受けた年、クーデターが勃発しました。こ

の時期世界的な不況に見舞われ、とくに日本の農村の

疲弊は娘をうらなければならない状態になったといい

ます。 

 そして日本軍の中国侵略とそれに続いて太平洋戦争

へ突入してきました。この戦争は3年9ヶ月の長きに

渡り資源と食料若者がいなくなるという状態に陥り日

本は力尽きて敗戦を迎えました。

 敗戦後の日本のめざましい復興は世界が真似の出来

ないものでした。

 現在の世界は各所で紛争が発生し、北朝鮮による核

開発の目的は何でしょうか。いろいろな不幸な出来事

を体験しながらそれが教訓にすることが出来ない現状

を三笠宮さまはどう思ったでしょうか。1900年代

の混沌とした時代を抜け出して真の自由と平和を願っ

ていらしたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 


津波被害を防ぐために

2016年10月27日 11時23分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

 2011年以前の地震による津波情報は、せいぜい数センチ

メートルから数十センチメートルとの予想が多かったような

気がします。一般的にもその程度の認識があったことと思い

ます。しかし、2004年に発生したインドネシアの地震によ

る津波の様子を映像で見た記憶を持っている方は多いと思い

ますが、凄かったですね。またそれより前のチリ地震の津波

被害も記憶に残っていたことでしょう。

 そして2011年3月11日の地震による津波発生は、多くの人

にとって予想外だったのでしょうね。地震の大きさから津波の

大きさも予想できたと思いますが、素早く避難することをしな

かったばかりでなく児童を校庭に集合させて、それからどうし

ようかと教員が相談をしていた。その間に町の広報車が津波の

襲来を知らせていた。その数分間が被害を拡大させてしまった

のでしょう。当時の報道を記憶していますが、何故素早く裏山

に逃げなかったのだろうか、普段の訓練は役に立たなかったの

だろうかなど、疑問が残されました。でも幼い命が判断ミスに

よって多数失われたことには残念で仕方がありません。遠くに

いる私でさえ表現しようもない怒りを感じたものです。裁判に

よって避難時の判断および行動の正・誤をあるいは責任の所在

を決めるようなもものではないと思いますがね。

 人間は経験したことをなかなか教訓として役立たせることが

出来ないのですね。素早く状況を収集して判断をすることはそれ

ほど難しいことなのかもしれませんが、そういった頭脳の訓練も

必要なのかもしれません。

 東南海、東海沖そして関東沖の大陸プレートが重なっている地

域(私宅もその中に入っています)では巨大地震が発生すること

が予想されています。行動の訓練とともに情報を収集し判断する

訓練もしておかなければと思いました。


小学1年生の会話?

2016年10月26日 17時20分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

 さる日、電車に乗ったら小学生の集団と同じ車両に乗って

しまいました。小学生は座席に座っていましたが、私の姿を

見るとどうぞといって席を譲ってくれました。私は遠慮しま

したが、お年寄りは子供のいうことを聞くものですという言

葉に、苦笑しながらありがとうといって座ることにしました。

私のために2人の小学生をたせてしまったことに気が引けま

したが、嬉しかったですね。またお年寄りなどという言葉に

抵抗もありましたが、外連味のない言葉に素直になりました。

 子どの同市の話をそれとなく聞いていると、1年生だとい

う女子児童が"俺、オレ"といっているのに気がつきました。

男子児童が、”Aちゃん、いつもオレっていっていると大きく

なったら男の子になってしまうよ”といいました。すると件の

女子児童は、”オレは本当は男に生まれてくれば良かったと思

っているんだからそれでもいいよ”と返しました。

 そこでふと考えてしまいました。男が自分は女だったら良か

ったとか逆のこともあるでしょう。そんなことを考えるのは何

歳くらいでどんな理由があるのだろうか。上述の例はその後の

話しで話題の女子児童には男の兄が4人もいることが分かりま

した。それで俺、オレといっているのだろうと思いました。し

かし何で男に生まれてくれば良かったなどと考えたのだろうか。

それも兄たちの仕草を見て板からだろうか。昔ある女性が、下

品な言葉で申し訳ありませんが、男性が立って用を足している

姿を見て羨ましいと思ったと話していたことがありました。異

性に憧れるのは案外そんなことかもしれませんね。あるいは異

性(自分がありたいと思っている)が持っている可能性に期待し

ていりのかもしれません。

 蛇足ですが、私は異性でありたいと思ったことはありませんよ。

 

 


記憶に残っている映画(55)「晩春」

2016年10月24日 23時22分46秒 | 寓居人の思い出話

 笠 智衆という俳優が好きでした。そして自分も年取ったら

彼のようになりたいと思っていました。しかし現実はなかなか

旨く考えたとおりにはいかないものですね。時間の経つままに

世の中のことには深入りしない。これが難しいものだというこ

とを知りました。

 映画の物語は、妻を早くに亡くしたある大学教授の話です。

主役の笠智衆演じる曾宮周吉には一人娘紀子がいて周吉の世話

をしています。周吉はあるとき娘の今期が過ぎようとしている

ことに気がついた。その理由が自分が一人でやっていけること

を示さなかったことにあり、自分のことは何とでもなるから、

紀子は結婚相手を見つけて結婚するように説得します。しかし

娘はなんとかかんとか言い逃れをする。周吉は知人に相手探し

を依頼するが相手が再婚であることにショックを受けてしまう。

あるとき二人で旅行をする。旅行の最中に自分も再婚を考えて

いると虚言を呈して、紀子に結婚することを承諾させる。やが

て娘が結婚して家を出ていった晩、一人きりになったことに衝

撃をお受けて涙を流す周吉がいた。この映画の中の旅行先の旅

館で親子が枕を並べて同じ部屋で眠るシーンがあります。その

とき月の光が床の間の壺を一瞬写します。これがどんな意味を

持つのかという論争とまでいかないがいろんな意見が出されま

した。

 昔はこんな話しがいろんなところにあったようです。それほ

ど肉親のつながりがしっかりしていたのかもしれませんね。

 最近、報道で自分の子供を折檻して死に追いやってしまうと

いう事件が多く伝えられることが多くなったように思います。

例えば喧嘩をしても1体1でやるということでなく、もちろん

それもない方が良いと思うのですが、メールの返事をすぐよこ

さなかったなどという自分勝手な理由で集団で暴行することが

あるようです。それもどれほど暴行したらどんな結果になるか

を知らないで最後までやってしまうようです。私の子供の頃に

は年長の子が喧嘩を監視していてある程度で止めさせることが

普通でした。

 その原因は少子化にあるのかもしれませんね。昔は一家に子

供が少なくとも5人はいましたから兄弟で喧嘩をするときには

たいていの場合は親か年長の兄姉が止めなさいといえばそこで

終わるものでした。その後すぐ仲良く一緒に遊んだものです。

 変な方へ話がそれてしまいましたが、娘が結婚するときに父

親は炊いて涙するのはどうしてでしょうかね。


桜の葉は早くも落ちました

2016年10月22日 07時05分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

 桜の木の葉が全部落ちてしまいました。これまでも観察と

いうほどのことではないのですが、桜の葉が散るのは9月に

入るとはじまるようですね。翌年春に華やかな花を付けるた

めにいち早く準備に入るのでしょうかね。

 近くの公園のイチョウの木から風が吹くと黄色いギンナン

の実がたくさん落ちてきます。近頃は誰も拾わないので木の

下はギンナンが濠を埋めてしまうことがあります。モッタイ

ナイとも言えずにいます。

 そういえば、先日(1週間ほど前のことですが)玄関へのア

プローチのところに小さな蝉の亡骸が落ちていました。丁度

カメラ足す真穂を持っていなかったので、カメラを取り、戻

ってきてみると丁度やってきた訪問者に踏まれてしまいまし

た。体長3cmほどで長三角形、頭部分の幅12mmほど、羽

は透明でした。踏まれた蝉は粉々になってしまいましたので、

乾燥していたのですね。 


アメリカユリの花が咲いていました

2016年10月21日 22時12分14秒 | 日記・エッセイ・コラム

 もう昔の話しですが、かごしまけん沖永良部島や与論島で

鍾乳洞に関わる調査をしていた期間がありました。鍾乳洞は

ここが入り口ですよということは観光化されたもの以外は思

わぬところにぽっかりと穴が空いていることがあります。例

えば、畑の中に岩が固まっていてその近くに直径60~80cm

位の穴が空いています。その穴が入り口になっているのです。

2メートルも落ちると、高さ数メートルの穴が空いている。

それが鍾乳洞なのです。そういう鍾乳洞は名前もついていま

せん。鍾乳洞を調べていると、中で2階建てになっているこ

とや二股三股に分かれていて先で合流することもあります。

今年来た台風で甚大な被害を出した岩手県岩泉町にも一般人

は入れない大きな小乳洞があります。安家洞という名前がつ

いていますが、日本では有数の規模といわれています。安家

洞の近くには竜先導という観光化された鍾乳洞があります。

この洞窟には大きな滝や垂直に深さ100メートルほどもある

池というか澄んだ水に満たされています。

 さて沖永良部島で面白い花を見たことがありました。木の高

さは2~3メートルほどで緑色をしていました。花は20cmほ

どの長さのユリの花そっくりな形をしていました。私たちが宿

泊していた民宿で花の名前を訊くと、アメリカユリという名前

だと教えてくれました。洞窟調査が終了したのでその花のこと

を忘れていました。それが本日散歩している時にアメリカユリ

を見つけました。

写真の花がそれです。アメリカユリというのは本当の名前かどう

か分かりませんが、印象に残る花ですね。


記憶に残っている映画(54) 「キューポラのある町」

2016年10月21日 16時26分14秒 | 寓居人の思い出話

 一説によると川口(埼玉県川口市)は室町時代より前から

鍛冶屋が存在していたそうです。それが明治時代になって

富国強兵政策に乗じて鋳物産業として大きく発展しました。

 「キューポラ」というのは溶鉱炉のことだそうですが、そ

こで事実関係は明確ではありませんが、多数の朝鮮人が働い

ていたようです。私はこの映画を見た当時は朝鮮人というと

関東大地震が発生した折にいろいろな事件があったと親に聞

かされていたことしかしりませんでした。

 この映画は一人の女子中学生の成長過程でのいろいろな体

験を筋立てにしています。親の失職、アルバイト、進学問題

等々を次々と経験していきます。中でも鋳物工場で働いてい

た朝鮮人の北朝鮮への帰国問題が大きく話題になりました。

 主役の吉永小百合がかわいかったですね。その父親役が東

野英治郎だったから鳶鷹などと言われましたね。私も中学校

時代は貧困の中で育ったために少しでしたが共感を覚えたこ

とでした。

 映画を作る時にはその時代の社会情勢をかなり深く調べて

いることが分かります。しかし十分な説明もなく映画に取り

込むと社会から批判されることもあるのですね。