寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

世界の指揮者「小澤征爾」さんのお元気な姿をTVで見ました

2015年02月27日 12時15分11秒 | どっこい生きているぜ
 2月27日NHK-TVの8時15分からの番組に世界的オーケストラ指揮者である小澤征爾さん(さん付けでお呼びするのは恐縮ですが親しみを込めてこう呼ばせていただきます)が出演されました。小澤征爾さんはあの指揮台に立った姿から平たく言えばもっと堅苦しい方かと思っていました。しかし、出演された小沢さんは気さくで教養の高いおじいさんでした。お話しは大変機知に富んでおり「こんなことをここで言ってもいいのかな」などといいながら思い出話をいろいろ聞かせて下さった。
 小沢さんの音楽への思いの一端を知ることが出来たような気がします。こんな言い方は不遜かもしれないことは承知ですが、敬意と親しみを込めての言葉だとお許し頂きたいと思います。
 若い頃、オーケストラを訊きに行くことなど経済的にとても無理でした。そんな私達のために無料の演奏会がしばしば開かれました。例えば、若かりし日の鈴木秀太郎さんのヨーロッパ留学壮行演奏会が錦糸公園で野外演奏会が行われました。指揮者は上田正さんだったと思います。演奏された曲目は"メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲”でした。また日比谷野外音楽堂でも演奏会がありましたね。ここは上空をヘリコプターが飛んできたりしました。また格安の演奏会もありました。民音とか言う団体の演奏会にも行きました。今でもありありと覚えているのは日本青年館というところで"ハイドンの交響曲第45番「告別」”を演奏している最中に、冬のことだったので暖房を入れてくれました。ラジエイターに熱蒸気が流れはじめると鐘を強く叩くような音がし出しました。指揮者は途中で演奏を中止して音がしなくなるのを待って再開されました。現在のように空調が無い時代のエピソードとして記憶の中に想い出として残っています。これらは1950年代後半の思い出です。それでも生の演奏を聴くことが出来たのは幸せでした。

感動のアルハンブラ宮殿へ(1)

2015年02月26日 12時42分50秒 | どっこい生きているぜ
 次の写真はご存じない方に紹介しようと思ってgoogle earth(グーグルアース)から一例として参照したものです。写真の中には沢山のマークがあります。この写真では動きませんが、それをクリックすると、その場所の写真が表示されます。なかなか楽しいものです。

 アルハンブラ宮殿への道すがら街中の写真を撮影しました。
  
 写真はコロンブスがイラベラ I にアメリカへの航海の報告をしているところと書いてあります。コロンバスの航海は投資の対象として余り期待されていなかったようです。
 アルハンブラ宮殿への入口の前にチョットした広場があり、数件の出店がありました。そこで寄せ木細工を売っていました。箱根にあるようなものです。少しはなれたところに工房(アルコ)があり作業をしていたので見せて貰いました。写真を撮らないでくれというのでありません。
     
 入口近くの建物は人が住んでいるようで見学できませんでした。
 
 建物が途切れたところから宮殿の外の景色が見えました。
   
 丘の斜面に地面と同じ色の建物が沢山建っていました。見るとおり一面木の少ないところですが、シエラネバダ山塊から湧出する水が豊富で居住するにはよいところのようです(土地の人の話)。
 次回は宮殿の中を見て回りましょう。

今更ですがスマホを導入し自宅の情報機器の無線化をしました

2015年02月24日 22時30分28秒 | どっこい生きているぜ
 これまでスマホを所持したいと思っていたが携帯電話とiPod TouchとLTEで間に合わせていました。何しろスマホは使用料が高額(友人達に聞くと使用方法にもよるが毎月8000円ほど掛かる)と言うことでした。それで使用を諦めていたというのが実情です。
 それが最近、N社ではNet使い放題(1600円/月)でスマホ(1000✕24ヶ月)を使えるというので先週スマホ(写真)を導入することにしました。

 これをキッカケで家中の情報端末とプリンター等の、TV等光回線にし、Wi-Fiで接続できるようにしました。試行錯誤する部分もあったので3日間もかかってしまいました。費用はWi-Fi親機、プロバイダ料金と光電話、光テレビ、スマホ使用料とNet安心料などオプション代含めて総計9000円/月ほどで使用できるようになりました。
 スマホ設定作業中に少し問題がありました。スマホはsimフリーだったのでsimの挿入から設定まで全てを自分でしなければなりませんでした。はじめにスマホにsimを挿入するためにケースを開けなければなりませんが、説明書が間違っていたので危うくスマホを破損するところでした。これだけは注意が必要でした。Wi-Fi設定は簡単にできました。親機を買うときに設定して貰い情報機器との接続は情報機器でWi-Fiを検索してwebアクセスキーを入力するだけでした。プリンタなどの接続はPCアクセスキーを入力すれば終了でした。

グラナダにて ナイトツアーに参加しました

2015年02月18日 12時40分21秒 | どっこい生きているぜ
グラナダは落ち着いた静かな町でした。近くに川が流れており、川岸から眺めた夕日は川面に映えて美しい風景でした。昨今で言う絶景に指定されるかもしれません。
 さて、旅行予定に余り余裕が無いので、パエリアを食べてホテルに戻り入浴して一休みしてからナイトツアーに出かけました。ツアーのピックアップサービスはホテル出入り口に22時集合と言うことでした。こんな時刻からツアーなんてと思われるかもしれませんが、ヨーロッパの各都市ではごく普通のことのようです。
 バスに乗って30分ほど市内を巡って、細い道の脇の駐車場へ着きました.2,3分歩くと洞窟のような所へつき中に入りました。天井には鍋やフライパンなどの炊事道具が沢山ぶら下がっていました。年齢不詳のまるまると肥え緑色の衣装をまとった女性が出迎えてくれました。奥の方に同様な女性と若くて細い男性そして白髪の老女?がいました。
 その建物にツアー客全員が入ると入口の扉が閉められ、音楽が鳴りだしました。すると先ほどの太った女性や奥にいた人達が次々と踊り出しました。狭い室内では大きな動きは無く手を上げ下げしているだけのようにしか見えず全く興味を引かれませんでした。この女性達はその後NHKの招きで日本へ来たことがあります。

 見物が終わって出口へ向かうと、かの人達が両側に並びチップを要求していました。客が出さないというとしつこく要求し、サイフを出すとサイフの中に手を突っ込む有様でした。非常に不愉快でした。
 次に行ったところは劇場のような所でした。そこはちゃんとした舞台があり、飲み物とスナックが出てきました。舞台ではそろいの衣装をまとった踊り子達がすばらしいフラメンコを次から次へと見せてくれました。私たちはフラメンコを堪能しました。

 客の中には舞台へ上がって踊り出す人もいて、なんとも楽しい時間を過ごすことができました。その後夜景を見てホテルに戻ったのは午前3時頃でした。今日は一寝入りしてからあこがれのアルハンブラ宮殿を見に行く予定です。

思い出話「島原、雲仙そして有明湾水門

2015年02月14日 21時16分32秒 | 旅行記
 数年前の話で恐縮ですが、有明湾堰堤の水門の開閉問題が話題になったので思い出したことなどを記録しておこうと思いました。はじめに位置関係を見きましょう。長崎県の東部に位置し、有明湾に沿って半島をなしている。下の地図はグーグルマップから引用しました。

 この旅行は長崎の友人を訪問した後で足を伸ばしたものです。雲仙地獄を見て、妙見岳へロープウェイで登り、普賢岳の周囲を半周して島原に出ました。
 島原城へは更に数年前に行ったことがありました。城の広場で薪能を見物して、今回と逆コースで雲仙地獄へ出て長崎市へでました。島原城は1637-1638年に天草四郎率いる軍勢を以て幕府のキリシタン弾圧に抵抗した歴史が残されています。

 さてもう四半世紀前のことになりましたが、1991年6月3日普賢岳が爆発して大火砕流が発生しました。1000℃を越す高温の火砕流が時速100Kmを越す速度で島原市に向かって走り下ったそうです。
 その際に多数の人達が犠牲になりました。写真は大野木場小学校旧校舎の被災跡です。このような災害は数百年?毎に繰り返されると言われています。

 現在(旅行時)の普賢岳は頂上直ぐ下から雲煙が上がっていました。

 島原市は湧水が豊富で至る所に水場があります。そこでは年配の女性が話に花を咲かせながら洗濯をしたりその他の洗い物をしたりしている姿が見られます。
 島原から有明湾沿いに北上すると有明干拓地が見えてきます。ここは漁業者と農業者との間で利権騒動が発生し、政府も苦慮しいているようですね。干拓地を閉めきる堤防と水門を見に行きました。


 膨大な経費をかけて作った堰堤をそのまま放置してあります。これを災害と言ってはいけないだろうが人工災害と言うことが出来るかもしれませんね。早く解決して欲しいものです。

マラガからグラナダへ

2015年02月13日 09時51分16秒 | 旅行記
 私が行ってみたいところの一つにアルハンブラ宮殿がある。アルハンブラの思い出という素的な曲を思い出しながらアルハンブラ宮殿を思ったものであった。スペイン南部のシエラネバダ山地の一部を開いて作られたこの城は、その昔北方民族や東方民族そしてアフリカ民族に侵略され、それらの民族の影響を受けた建築物としても有名である。異文化の交差地域に建つこの城はスペインへ行く機会があったら是非行きたいと思っていた。其の機会が得られたことは幸運であった。マラガとの位置関係を地図で確認するとマラガの東南東に位置することが分かった。。

 マラガをバスに乗ってマラガに向かった。途中バスの運転手の脇に陣取ってカメラを構えた。スペインはここまで通ってきた地域の景観から乾燥性の農業国という印象が強くなった。

 グラナダへの途中でもオリーブやブドウの木が沢山植えられていた。牛の大きなフィギュアが高いところに飾られていた。牧場もあるのだろうかそれともステーキハウスの看板だったのだろうか。約3時間ほどのバス旅行でグラナダへ到着した。
 ホテルにチェックインして夕食を食べに外へ出た。案内書に書いてあるパエリアを食べようと思った。同行の人達とレストランについて早速パエリアを注文した。パエリアは3人以上でないと注文できないということであった。サングリアを飲み話をしながら待っていた。ほどなく、大きな皿に山盛りの魚介類が入ったチャーハンのようなものが出てきた。これがパエリアというものかと皆で食べた。中国料理のチャーハンとは違う味で美味しかった。残さずに食べてしまい、席を立とうとしたら、ステーキやその他の料理が出てきた。皆は満腹になっていたが全て食べ、最後のデザートもものすごく甘かったが完食してしまった。誰もがパエリアの後にステーキやその他の海鮮料理が出てくるとは思わなかった。ぶらぶらと散歩しながらホテルに戻り、一休みすることにした。今夜はホテルお薦めのナイトツアーに参加しようと皆の間で話がまとまった。

月日の過ぎるのが早く感じます

2015年02月11日 13時04分39秒 | どっこい生きているぜ
 この頃、特に時間が早く過ぎてしまうと感じています。
 ブログ記事を最後に書いたのが2月4日でしたがもう一週間が
過ぎているのに気がつきました。この一週間に何があったの
だろうかと考えると、病院と掛かりつけ医師を受診したり、結構忙
しかったようです。
 病院では眼科の検診でしたが異常なしと言うことで半年間無事に
過ごすことが出来たと感謝しています。内科の方も前回と変化なし
と言われひとまず安心しています。
 先週木曜日に雪がちらつきましたが、積もることも無く雨に変わ
りました。写真の中でゴミのように白く見えるのが雪です。

 土曜日は町の囲碁会に行き、日曜日に近くにある市の囲碁クラブ
との交流戦があり出場しました。成績は二勝二敗の五分でした。久
しぶりに全体で勝ち越しましたが、私の記憶にある中では3年ぶりの
勝ち越しだったと思います。
 月曜日と火曜日は寒かったですね。エアコンが不調のためにとう
とうセラミックヒーターを持ち出しました。エアコンを買い換える
予定ですがなかなか価格が下がりません。ネットの価格まで下がっ
たら買うことにしています。Panasonic CS-EX284CかCS-GX284Cと
いう型落ちのを狙っています。店の人は2万円は下がり8.2万円にな
ると行っています。工事費は込みですから約4万円は安くなるよう
です。ちなみに285という本年型は15万円ほどで売っていました。
 春になってしまうと家人は笑っていますが、私は寒さより暑さに
弱いのでそれでもよいと思っています。
 新しいSF長編小説執筆に挑戦を始めました。半年後かもう少し掛
かるかもしれませんがご期待下さい。その間にも短編SF小説は書い
ていきます。最近恋愛小説執筆の依頼がありましたが、書くかどう
か迷っています。

マラガにて

2015年02月04日 10時45分58秒 | 旅行記
 Hotel Melia Del Solへようやく到着しました。客室数数百というとても大きなホテルでした。夕食を食べて部屋で休んでいると日本の旅行社の方から電話があり、闘牛を見に行くツアーとホテルホールでフラメンコを見るイベントがあるがどうしますかというのです。私は少し疲れていたので牛の血を見るのは気が進まないのでフラメンコを見にホールへ行きますと変事をして地階ホールへ行った。そこでは入れ替わり立ち替わりいろいろなグループがフラメンコを踊っていた。足裁きと手の動きがすばらしく疲れを忘れて見とれていました。
 

 

 翌朝、ホテルの庭に出てみました。庭の両側に七階建ての客室棟があり、中央に二階建てのエントランスホールの建物がありました。
 中庭にはヤシの木があり大きな池もありました。

 
 
 
 
 
 ホテルから100メートルくらい歩くと地中海の海岸にでます。海岸を散歩している家族連れがいました。
 
 今日から4日間、ホテルの陸側丘の上にある会場で国際航空宇宙学会が開催されそれに参加しました。私の発表論文は、"The Basic Health Care System for The Crew Lunar Base " という表題でした。この論文はロシアの現役宇宙飛行士に賞賛され、”Acta Astronautica ”という専門学会誌に掲載を推薦されました。
 この学会のバンクエットで魚介類の切り身を5cm角ほどのパンにのせた“寿司”のようなものを食べました。サングリアという飲み物も美味しかったです。
 学会会場の入り口には、歓迎のためにバンドがいて演奏をしていました。
 
 街中には白い壁と赤い瓦屋根の家が建ち並んでいました。
 4日間の学会が終了した後で、アルハンブラ宮殿を見に行くことにしました。以下次回へ。

人が人を殺すことのない世界を作ろう

2015年02月02日 23時47分28秒 | 日記・エッセイ・コラム
 イスラム国?に拘束されていた日本人ジャーナリストが殺害されたというニュースが報道によって日本中に衝撃が走ったと伝えている。
 政府によって危険地域に指定された所への旅行等は中止するように勧告が出されたいたのに、よほどの理由があって出かけたのだろうと推察される。
人は何故人を殺すのだろうか。若い頃日本語書名「幼年期の終わり」というSF 小説を読んだことがある。記憶が薄れてきたがおおよそのあらすじは次のようなものであった。
”地球ではいろんな理由で国と国との間で、あるいは個人の間で争いごとが続いていた。あるときは貧富の差が原因で殺し合いになったり、またあるときは宗教の価値観の違いが原因で戦争になったり、あるいは理由もなしに殺し合いになったりということが頻発していた。そんなある日、宇宙人がやってきて地球の惨状を見かねて理由の無い殺しを禁止する警告を出した。その結果人類は殺し合を止めざるをえなくなった。少し行き過ぎなのは例えば闘牛も牛を殺すことは中止しなければならなかった。しかし自分たちが生きていくための食用とする動物を殺すのはやむをえないというものだった。”
 私は勤めをしていたときに若い人達に「地球上から戦争を無くすことができるか」というテーマで議論して貰ったことがある。
 議論の結論はなかなか出なかったが、彼らの結論は戦争を無くせないなんてあまりにも悲しい。したがって私たちは戦争を無くす努力をしていかなければならないというものであった。
筆者はこの結論で満足したように思った。実際にはエネルギー問題、食糧問題などがよい方に解決されなければならない。その上で全ての人が教育によって精神的に成長していく必要がある。
 宗教は人々の心の安寧を促すために発生したのだと思うが、うまく機能していないのではないかと思う。日本人は必要なときに助けを求める多神教の人が多いが、そのために他の宗教を攻撃することはほとんど無い。
 人が人を殺すことのない世界にするように私たちは小さなことからでもよいので努力しようではありませんか。