寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

日野原重明聖路加国際病院名誉院長逝く

2017年07月19日 09時17分25秒 | 寓話

 7月18日早朝、日野原重明聖路加国際病院名誉院長が105才で

逝去されました。100才を超えても医療の現場で患者の診察を

したり、社会貢献をされていたと言うことです。私が日野原先

生のことを知ったのは、「いのちの器:人生を自分らしく生き

る」(主婦の友社1989.10)という書籍でした。この書籍は

ふと入った書店、書棚の中で目にとまり購入して読みました。

30年近く前のことなので内容は覚えていませんが、その書籍

を勤め先の看護師さんにあげました。そのときその方が、日野

原先生は私たち看護師にとって最も尊敬している方だと話して

くれました。

 今年4月に同病院に入院して手術を受けましたが、医師初め

看護師や受付の方々も素晴らしい対応をしてくれました。日野

原名誉院長の方針が貫かれていると思いました。

 日野原重明聖路加国際病院名誉院長の冥福をお祈りします。

 

 


生態系の変化というほどじゃないけれど

2017年06月01日 11時28分38秒 | 寓話

 我が家の周辺で、わずかな自然の変化が出てきました。

夜中にも鳴いていたカラスの姿が非常に減少しました。

これはもしかすると、ゴミ出しの際にゴミ袋の上の大き

なネットを書けたことによって、餌をあされなくなった

ので移動したのかもしれません。

 カラスが少なくなったので、小鳥が増えてきました。

最近、あまり見られなかったスズメガ増えてきました。

近所をあるいてみるとあちらこちらでスズメの姿を多

くみられるようになりました。

 それから若いウグイスが増えてきました。まだ拙い

鳴き方ですが懸命に練習しています。その他にも姿が

はっきりしない小鳥が林の中を飛び回っています。そ

こへたまにカラスが飛んでくると林の中にこんなにた

くさん小鳥がいたのかと思うほど一斉に逃げ惑います。

中型の鳥もたくさんいます。今が繁殖期なのか激しく

鳴きながら別の鳥を追いかけています。

 このような変化はごくわずかなものですが、何かの

前兆と考えられることもあります。「日本沈没」とい

う映画を思い出しました。


銃剣道の思い出

2017年03月31日 12時02分27秒 | 寓話

 報道に寄りますと、2020年度以降の小中学校の保険体育で

必修の剣道・柔道などに木銃をつかう銃剣道を加えるそうです。

私は小学校(当時は国民学校)2年の時に銃剣術を訓練として

やった経験があります。銃剣術は相手を突くことをひたすら覚

えることが目的でした。これは歩兵が弾丸がなくなっても接近

戦で相手を倒すことができる技です。武術には違いないのです

が、剣道や柔道とは異質のような気がします。そこには精神的

な修養の場面が想定できないからです。専門家はそんなことは

ないというでしょうが、銃剣道の訓練を体験した人なら大きな

危惧を持つこととでしょう。

 将来の平和を祈願するものにとって、なんとなく誰かが社会

を逆方向へ向かうように誘導しているのでしょうか。

 


メイ犬クロとの日々(6)

2017年02月16日 13時11分59秒 | 寓話

冬になるとクロは

私が風呂を焚くそばでうずくまって

静かに寝ている

そんなクロがかわいい

風呂が沸くとクロはいつの間にか

すーっと姿を消してしまう

家族が風呂に入り終わると

クロは何処かから戻ってくる

そして元いた場所にうずくまる

 

 注釈を付けておきます。当時の我が家の風呂は

大きなドラム缶でした。それを大石の台に乗せて

ドラム缶の半分ほどを土で埋めます。焚き口はド

ラム缶の下です。その前に腰掛けて火をたきます。

その脇にクロがいたのです。


自分たちで決めたことを守れなくなった少数の日本人

2017年02月03日 14時46分24秒 | 寓話

 一般の会社員や公務員は、定年になる日まで勤めるという

願望を持っている方が多いと思いますが、高級官僚(国家、

地方を問わず)といわれる人たちは定年まで勤め上げる人は

極く少ないという話を聞いたことがあります。その理由は、

後任人事を早く決めようと言うことが基本にあるからだと言

われています。早く退職して天下り?で就職すると、次々と

2,3年ごとに退職し、そのたびに高額の退職金を手にするこ

とが出来ると言う話しです。もちろんそんなことはないとい

う方もいらっしゃるかもしれませんね。ただそういう方は例

外かもしれません。

 例えば国家公務員が所属する省庁で最も天下り先が多いの

は、昔は文部省だと聞いたことがあります。大学卒業生が就

職難で苦吟しているときでも関係なく天下りをしていたよう

ですね。

 報道によると文科省からの天下りの構造が明らかになるに

したがって、省ぐるみで行われていたとされています。折角

いろんな困難を乗り越えて作った法律をあの手この手でくぐ

り抜けて再就職する。しかも高額な報酬を手にする。またそ

の斡旋をすることによって論外の報酬を手にするものがいる。

文科省と言えば将来の日本を支える子供や若い人たちを育て

る立場にありながら、自分たちは平気で法律の抜け穴を探し

て天下り行為を隠蔽してしまう。こんなことは許されるわけ

がありませんりません。

 関係機関の徹底的な調査と法律違反を立証して、関係者の

然るべき処置をしなければならないでしょうね。この際きち

んとした前例を作ってほしいと思います。


トランプ米大統領の雇用対策案?

2017年01月27日 09時09分18秒 | 寓話

 トランプ米大統領は大統領就任後様々な改革?を矢継ぎ早に

始めましたね。

 息子の友人がアメリカに住んでいますが、最近帰国して我が

家へ顔を出しました。彼の話の中で、彼の親戚の方が胆石で入

院し手術を受けたそうです。驚いたのはその入院治療費です。

病院の事務係に初めに示されたのが日本円にして3000万円だ

ったそうです。自分の収入からしてこんなに支払うのはとても

無理で破産するしかないとか何とか言って減額してくれるよう

に頼んだそうです。そうしたら100万円まで下げてくれたそう

です。それで合意したがそれでも一括で払うのは困難なのでロ

ーンを組んで一生涯かけて払うことにしたそうです。このとき

オバマケアが実施され、それに加入していればずーっと少額の

出費で済んだと言っていました。トランプ氏が大統領に就任し

て初めにやったことがこのオバマケアを廃止するという大統領

令でした。アメリカ社会では原則的には健康保険は自分に合っ

たものを選んで加入すると言うことです。アメリカ人の基本的

な考え方は自分の身は自分で守れと言うことです。これが銃社

会を成立させた原因にもなっているのでしょう。

 雇用対策には各種各様の強圧的ともとれる手段をもって企業

に雇用者数を増加するよう求めています。大統領自身も別の方

法でこようをすやそうとしています。それはアメリカとメキシ

コとの国境に塀を作るというのです。メキシコ経由のアメリカ

への密入国者の数は計り知れないものがあるようです。それら

の密入国の人たちがアメリカ人の効用を奪っているのも事実か

も知れません。それで両国間の国境に塀を作るというのです。

そのための費用は新聞記事のよると、2兆8000億円ということ

です。そしてそれの完成までに4万人の労働者が4年間雇用さ

れるというのです。国境警備員を5000人増加させるという

のです。また不法移民の強制退去も予定されていると言うこと

です。これに変わる被雇用者波はかなりの数になるでしょうね。

ただし不法移民がやっていたような仕事をアメリカ人がやるか

どうかという問題が出てくるでしょうね。数の上だけで話を進

めれば確実に雇用対策としては可能かもしれません。それに国

内外企業が雇用を促進させればかなりの成果になるというので

しょうか。

 


再会

2016年11月30日 13時18分36秒 | 寓話

「あ。お前、山際じゃないか」

「え。そういうお前は....、えーとそうだ鈴本じゃな

いか。そうだ鈴本だ。なんでお前がここに」

「おれはボランテイアでお手伝いに来たんだ」

「そうか、有難うよ。何しろこの有様だから本当に助かる

よ」

「大変だったな。しかし無事でよかったな。そういえばこ

こは山際の実家のあるところだったな」

「そうなんだけどな、この地震と津波で町が跡形もなく無

くなってしまった」

「ご家族は無事なんだろうな」

「それがな、学校へ行っていた妹は無事だったんだが..」

「そうか悪いことを聞いてしまったな」

 山際と鈴本は東京の大学の同期生だった。山際は大学の

後期試験が終わったので実家へ戻ってきていた。山際は両

親と妹に大学ことや友人のことそこには鈴本のことも含め

て話していた。山際はこの町が好きだった。大学を卒業し

たらこの町で学校に勤めたいと考えて勉強していた。それ

で大学では教育課程を専攻していた。鈴本とは大学の1年

次からバスケットボール部で頑張ってきた仲間だった。

 2011年(平成23年)3月11日14時46分、東北太平洋

沖でマグニチュード9.0問巨大地震が発生した。その地震で

交通路は寸断された。そして数十分後、高さ10メートルを

超える津波が東北地方の太平洋沿岸を襲った。山際の実家

のあった街もこの津波に襲われて甚大な被害を受けた。

 山際は、母校の小学校へ恩師を訪ねていた。そこで地震

が発生し、続いて津波の襲来を知り恩師たちと一緒に学童

を町の高台へ導いて避難誘導した。そのために学童の被害

は一人おなかった。山際の妹は山手に歩こうと学校へ行っ

ていて無事だった。

 山際は学童の誘導が住むとその足で実家へ向かったが、

襲ってきた津波に阻まれて実家へ行けなかった。実家の屋

根が津波に流されているのを見て、山際は津波に飛び込ん

で両親を助けに行こうとしたが周りの人たちに引き留めら

れた。山際はあふれ出てくる涙を懸命にこらえていた。周

囲の人たちも一人残らず言葉を失ってその光景を見てた。

 山際は町の避難所に妹と身をよせた。津波が引いた後す

ぐに妹と二人で両親を探しに行った。津波は20メートルを

超えたと発表されていたが、破壊された家は瓦礫となって

高台の近くまで一面に広がっていた。山際と妹は、どこか

ら手を着けたらいいのかわからず呆然としていた。妹と2人

で見に行った実家のあったと思われるところはコンクリー

トの土台が残っていただけで周囲一帯に何もなかった。

 救援の自衛隊が来て、行方不明者の捜索が始まったがが

れきの山に阻まれて遅々として進まなかった。

 そして今日も瓦礫の山を片付けながら両親はじめ行方不

明者をさがしていたのだ。そこでばったり鈴本に会ったと

いうわけだった。

 鈴本は大学のバスケットクラブの仲間とこの町へボラン

テイアとして気のやってきたのだった。鈴本たちは、この町

へやってきて町の様子を一目見てその有様に体が凍り付い

てしまった。自分たちに何かできることがあるのだろうか

と自信を無くしてしまった。中にはこのまま東京へ帰ろう

と言い出すものも出る始末だった。そのとき避難している

高齢の女性が避難所で配られたお茶とお握りをもってやっ

てきた。

「これは避難所でいただいたものですがどうぞ食べてくだ

さい」

「え。ありがとうございます。おいみんな、避難されてい

る方から差し入れだ。良く味わって食べるんだぞ。お礼を

言ってな」

「おす」

 といって学生たちはおれいをいった。そして鬼木路を食

べ始めた。女性は苦しい心を隠して学生たちをじーっと見

ていた。学生たちの中には突然目に涙を貯めたものが出て

きた。

 その学生は東京へ帰ろうといった学生だった。 学生た

ちは町の人たちと話し合いをしたり他のボランテイアとも

協力して瓦礫の山をか続け始めた。そして今日、偶然山際

と出会ったのだった。

「そうかあ、山際の実家はこの町だったんだな」

「そうなんだ。両親に少しは親孝行をしようと思っていた

矢先にこのありさまになってしまった。残念だ」

「俺には何といって慰めたらいいのか言葉がないんだが。

元気を出して頑張ってくれ。俺初めみんなも応援するから」

「うん。ありがとう」

 こうして山際と鈴本たち、瓦礫の山に取り組みだした。

行方不明者たちは次々に発見されたが、山際の両親はまだ

見つからなかった。

 懸命の捜索が来る日も来る日も続けられた。4月になっ

て鈴本たちが東京へ戻る4日前、瓦礫の中から子供を庇っ

たような格好で母親と思われる人が見つかった。続けてま

だ若い女性が見つかった。そしてこれ以上の捜索は不可能

と思われたとき夫婦と思われる高齢者が見つかった。その

2人はしっかりと腕を組んでいた。しかし、山際の両親は

じめたくさんの方々がまだ見つかっていなかった。東京へ

戻る鈴本達にはそれが心残りであった。

 鈴本たちが東京へ戻る日が来た。山際初め町の人たちは、

みんなで鈴本たちに感謝の気持ちを込めて振り返り遠ざか

っていく鈴本たちを手を振って見送った。

 

 


PC自作でハイレベルメカを

2016年09月30日 07時34分57秒 | 寓話

 わたしの買った初めてのPC は光電管で表示するタイプの

ものでした。その前後にTI社のプログラム電卓を使っていま

した。その後、シャープ製のMZ80(プリンターも付けて約

80万円ぐらいでしたね。しかしそれでも計算能力は抜群で膨

大な計算を短時間でこなしてくれました。その後大型コンピ

ュータを使うようになりましたが、穿孔器でカードに穴をあ

けるのが面倒なのと手元で使えないことが不満でPCに移行し

ました。

 当時はアップル製品ソフトがたくさんあり使い買ってもよ

かったのですが、高額で購入できないありさまでした。しか

し買ってしまいました。確か120万円ほどでした。

 その後はNECのPCを中心に使ってきました。しかし使い勝

手と早さに飽き足らず、30年位前から自作するようになりま

した。今も自作PCを使っています。自作器は自分の必要なス

ペックを入れ替えることができ進化できます。

 PCを自作するのは簡単です。2時間もあれば組み立てること

ができます。今は例えば,PC ・DEPOという店で自作指導もし

てくれます。SSDも大容量のものが廉価で手に入ります。経費

もメーカー製品価格の60%前後で上がります。ソフトは現在使

用中のものの媒体があればそれをインストールすれば済みます。

 というわけでわたしは、自作PCを使っています。

 

 

 


記憶に残っている映画(45)「赤いダイヤ」

2016年08月26日 13時18分27秒 | 寓話

 私が大学を卒業して数年後のことでした。何かの飲み会で

事務部にいた一人の男が金儲けの話をしていたのを何気なく

聞いていました。彼の話はとても面白く興味を持って聞いて

いました。

 話は次のようなものでした。株をやっていた頃、彼は友人

と2人で小さなアパートを借りて電話1本を引き、布団と簡

単な台所道具だけを持ち込んだ6畳一間の部屋で取引をした

そうです。彼自身が言ったことですが、彼らは血眼の形相で

株取引に熱中していました。社会は経済成長期でオリンピッ

ク景気もあり面白いように儲けたと言っていました。2人で

2千万円を手にしたとき、相場からさっと手を引いたそうで

す。

 その金で家を買い結婚もして務めるようになり、趣味に打

ち込むようになったといいます。

 ちょうどその頃、「赤いダイヤ」という映画が封切られま

した。私は先の彼の話を思い出してこの映画を見に行きました。

一種のコメデイでしたがナカナカ面白い映画でした。「赤いダ

イヤ」とは小豆のことだったのですね。ダイヤに例えられるほ

ど小豆は貴重品だったのです。北海道十勝地方で生産される小

豆は品質が良く、味が良いというので高値で売買されていたの

です。つまり商品相場師の活躍が激しくやられていたのですね。

当時の私は、ようやく株取引に興味を持ったころのことですか

ら、商品取引などというものをまったく知りませんでした。こ

の映画を見て小豆が金儲けの対象になることを知ったというわ

けです。

 主演の藤田まこと、三田佳子が印象的でしたね。相場師たち

のあの手この手を使った戦いは壮絶なものでした。

 先の彼は「株で儲けようとするなら、それなりの努力をしな

ければやらないほうがよい。遊び半分なきでやれば多くはそん

をしてしょっくをうけることになりますよ」といっていました。

先にこのブログに書いた「がめついやつ」とかこの映画を見てあ

るいは原作本を読んでから株や相場をある覚悟をもってやれとい

うことのようです。何事も中途半端にやると怪我をしますよとい

うことのようです。

 


異次元世界からの招待(7)

2016年07月10日 22時57分42秒 | 寓話

 佐々木は約束の時刻よりも少し早めにファミレスに

到着した。店内は昼休みが終わる時刻だというのにま

だ混み合っていた。入り口のところに立って待ってい

ると店員がやってきた。

「いらっしゃいませ。お一人様でご来店ですか」

「連れがもうやってくると思います。だから二人です。

少し込み入った話をしたいので静かな席をお願いで

きると助かりますが」

「かしこまりました。ただいまご用意致します。少々

お待ちくださいませ」

「よろしくお願いします」

 ドアの外を見ると、馬場がこっちへ向かって歩いて

いた。彼は佐々木の姿をドア越しに見つけると手を上

げて合図した。そのとき店員が

「席の用意が出来ましたのでごあんないご案内いしたし

ます」

「ああ、有難う。ちょうど連れが来たようです」

「どうぞことらの席です」

 といって奥まった角の席へ案内した。

 佐々木たちが座席に着くと、

「メニュはこちらにあります。ご注文が決まりましたら、

このボタンを押してください」

「はい。ありがとう」

 店員が去ると、馬場がすぐはなしだした。

「一帯どうしたんだい。お前らしくないな。何か厄

介事か」

「そうだな、厄介事というのとは違うんだ。俺自身

が少し戸惑っているのだ」

「そんな顔をしているな。それはお前一人で処理で

きそうにないことなのか」

「というより俺にも何がなんだ何だかよくりか理解

できていないんだ」

「少し具体的なことを話してみろよ。何か力になれ

るかもしれない」

「そうだな。じゃ、ちょっと聞いてくれ。ことがこ

とだけに絶対に他言無用だ.それだけは守ってくれ」

「お前と俺の間だ。お前が他言無用と言えば絶対間

違いはない」

「おれのからだにおきていることについてはまえに

はなしいsたな。それで精神科の山下助教授の診察

を受けることで出来た。そんなある日、北舘主任教

授に呼ばれた」

「ほう、その話は初めてだな」

「うん。北舘主任教授の話は、政府のある調査会議

に出席してある事実の調査をすることだそうだ。ど

んな調査かというと、最近と言ってもここ十年ほど

前からのことらしいのだが国内で数十人、あるいは

数百人の行方不明者が出ているというのだ」

「それって、また例の国の誘拐拉致が始まったと言う

ことか」

「それは何とも言えないが、その件も含めてのことら

しい。さらにこのようなことは他の国でも発生して

いるらしい。それで近い将来とうじしゃこくとのご

うどうかいぎをもつようになるかもしれないという

ことだ」

「何か雲を掴むような話だな」

 店員がやってきて

「ご注文がおきまりでしたら承りますが」

 といった。佐々木と馬場は食事のことを忘れてい

たことに気がついた。

「そうだっけ。しょくじのことをわすれていた。えー

と私は定番のハンバーグ定食をおんwがいします。

きみはどうする」

「そうだな、俺も同じものでいこう」

「かしこまりました」

 と言って店員が厨房の方へ行った。佐々木たちは

しばらく無言を続けた。