寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

今さらですが、ナンプレにはまっています

2015年06月29日 22時38分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

 もう数十年前になると思いますが、パリから列車に乗ってイ

ンターラーケンへ行きそこからグリンデルバルトそしてユング

フラウへ行きました。このことは前に書いたと思いますが。

 途中のバーゼルに着いたときに通勤客と見える人達がどっ

と乗ってきました。席に着くとおもむろに新聞を取り出しました。

しばらく外の景色を見ていてフトその人達を見ると新聞の紙面

に鉛筆を走らせていた。一寸のぞいてみると紙面にはマスメが

書いてあり、その中に数字が所々に書いてあった。そのマスメ

の数字の書いてないところに考えては数字を記入していた。

 何かのクロスワードパズルゲームだと思ってみていると、下

車してしまった。そのためにどんなものかを詳しく知ることが出

来なかった。

 その後旅行中は他のことに忙しかったのでそのことを忘れて

しまった。

 最近になって友人の1人がナンプレにはまっているとメールを

くれた。さっそく書店へ行ってそんな本があるかどうか聞いてみ

るとゲーム本コーナーへ案内してくれた。そこに昔列車内で見

たようなものが250頁ほどのなかの1ページに一題ずつでてい

た。

 新聞の土・日養盤にも出題されていた。解答方法を四でやっ

てみるとなかなか難しいことが分かりました。

 書籍を買ってみると、10級から15段階上の神まで出題され

ていた。それを初めから順々に解いていくと、4級くらいまでは

楽に解けることが分かった。しかし各クラスには時間制限があ

り、時間内に溶ければ合格となるようです。そして1ヶ月、ようや

く2級の問題までは何とか時間内に解けるようになりました。現

在更に上級を目指して1時間だけこのゲームをやっています。

 時間の無駄使いとは思いますが、囲碁と同様になかなか頭を

使うので面白いですよ。


修学旅行も様変わりしましたね

2015年06月22日 21時39分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

  上の孫が中学3年生になり、修学旅行へ行きました。行き先は

京都・大阪・奈良で2泊3日の予定だということでした。

 私の中学3年生の修学旅行は昭和26年という社会がまだ混沌

としていた時代ということでもあり、東京・鎌倉・江ノ島へ2泊3日

でした。でも私にとっては8年ぶりの東京でもあり、楽しい想い出

がたくさん出来ました。

 現今の修学旅行は学校で決めた社会見学というものではなく自

分たちでグループを作ってグループ毎にっじゆうに行動するという

ものになったようです。京都では、観光タクシーを利用して移動す

ると言うことでした。大阪も自由行動でいろんなところへ行ったよう

です。一頃のようにバスガイドさんが目印の旗を持って先頭を歩き

その後を生徒がぞろぞろと行動することがなくなったようです。

 平城京時代に奈良にあった都が京へ線とした理由を機会があっ

たら聞いてみなさいといいましたが、どんな答えを持ってきてくれる

か楽しみです。新しい経験をしてまた成長した姿を見せてくれるで

しょう。

 何はともあれ無事帰宅するよう願っています。
 


父の日に思い出したこと

2015年06月21日 19時08分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は父の日だそうです。日頃忙しい娘が父の日は他にやる

ことがあるので少し早いけどといいながら、私の寿司好きを知っ

ていて寿司をご馳走してくれた。嬉しいことですね。

 私の父は読書好きで時代小説を非常にたくさん読んでいまし

た。仕事は腕の良い飾り職人でした。私の学生時代昭和30年

代後半頃に、帯留めを毎月3~4本造っていた。工賃(収入)は

帯留め1本が当時4万円だったので10数万円の収入があった。

当時の新人公務員の年収が約25万円くらいだったので、相当

の収入があったようですね。

 学生の私は、授業料の他に毎月3千円の小遣いをもらってま

した。当時私は長期休期間に製薬会社の下請け工場で1ヶ月間

朝8時から18時まで更に2時間の残業をして約1万円もらった。

1万円はかなり使い出がありましたよ。何しろ国電(現JR)の初乗

りは10円でした。そして100Km当たり240円でした。そば屋の

もり・かけそばが25円でしたからね。

 話がそれてしまいました。

 父は実直な人で熱心に仕事をしていましたね。製品は主として甥

の卸商店に納めていました。父の製品は非常に人気がありよく売

れたそうです。それで父の仕事は75,6才頃まで続けていました。

 脳梗塞を発病後は私の家で療養しゆっくり休んでくれました。

 父はよく昔話をしてくれました。落語と映画をこよなく愛し、いつも

は母と2人で仕事の夕食を済ませてからナイトショウを見に行きま

した。そんな父を父の晩年の歳になって懐かしく思い出しました。


 


社会がよい方向に変化するとよいと思いますが(20150620)

2015年06月20日 22時57分34秒 | 日記・エッセイ・コラム

 6月20日付け読売新聞の1面記事を見ると私たちの生活に関

わる基本的な問題が掲載されています。

1番目は、「派遣の期間制限 緩和」改正法案が衆議院を通過し

たと出ています。

 つまり”労働者派遣法改正案”が衆議院で可決されたというの

です。これによっていわゆる派遣社員を長期間雇用できることに

なったということらしいのですね。そこでいろいろな問題が発生し

てくるようです。その問題は専門家にいつか発表してもらいたい

と思いますが、この法律が改正されたことによって派遣社員の

労働条件は改善されるのでしょうか。

 よい方向へ進んでくれると嬉しいのですが、危惧もしています。

2番目は、「遺族年金に男女差 合憲」という記事です。これは遺

族補償年金の授給に関する記事ですね。大阪高等裁判所は諸

般の社会事情を鑑みて男女に差別があるのは憲法の平等を規

定した条文に合致するという判断をしたのです。これは大変な問

題ですね。私流に解釈すると、一定の条件があれば男女差別が

あってもよいということになります。

 私は法律の専門家ではないので難しい解釈は理解できませんが、

憲法に定める規定が社会情勢で別の解釈がされることは困ると感

じました。こんなことが許されると社会でいろいろな問題が発生して

しまうのではないかと危惧してしまうのです。

3番目は、「18才選挙権」公布 来年6月施行という記事です。こ

の改正公職選挙法が国会で議論されている際に、たびたび出て

きた理由に多くの外国では18才に達すると選挙権が与えられる

という説明です。 これも私見ですが、このような説明を平然とす

る政治家を選びたくないということです。私は18才になれば社会

のことを考える必要があり、今の18才の人達はその判断力を持

っている。したがって政治に関心を持ってもらうためにも選挙権を

行使してほしい。とか他にも18才になればいろいろな社会的な義

務と責任が生じる等の説明が出来るのではないだろうか。18才に

達する方々にお願いする。自分たちの将来をしっかり見つめて選

挙に臨んでほしい。

4番目は、世界の「トヨタ」の常務役員J 氏が麻薬取締法容疑で逮

捕されたという記事です。

 常務役員J氏は、日本と氏の本国とで麻薬取締法が異なることを

知らなかったのだろうか。私も外国へ行くときには医師の処方して

くれた医薬品を携行することがあった。その際には必ず医師に健康

状態と医薬品の説明を書いた書類と処方箋をもらっていくことにし

てきた。麻薬の密輸や携帯が発見されると国によっては死刑に処

せられることもあると聞く。報道によるとJ氏に同情的な意見や説明

が多く見られるが、今後容疑に対するJ氏の説明と警察(と裁判所)

の判断がどう発表されるかを注目し、あくまでも公正な判断を期待し

たいと思います。

 


摩文仁の丘を訪ねて(20150619)

2015年06月18日 22時06分57秒 | 日記・エッセイ・コラム

 少し前のことになりますが沖縄で学会があり久しぶりに那覇へ

行きました。教え子の1人A氏が琉球大学の教授をやっていて、

学会終了後に沖縄本島内を案内してくれました。

 先ず琉球大学海洋学部の海洋生物研究施設(正式名称は忘

れました)へ行きサンゴの養殖をしている人達の話を聞きました。

その後、沖縄本島最北端の辺戸岬へいきました。最先部から北

の方を見ると遙か遠方に与論島の姿を見ることが出来ましたね。

 与論島にもたくさんの想い出があり、その一部は既にこのブロ

グにも書いています。

 次は辺野古を見てそのサンゴの美しさに感激しました。その付

近の広大な土地は東北の県出身の国会議員の所有地だと聞い

てやはりとうか何か不可思議な気がしました。

 琉球大学へ戻ってそこを研究フィールドにしている若い研究者

達といろいろな話をしてその日はホテルへ戻って食事をしながら

しばらく話をして明日を約束して別れました。

 翌日は南の方へ行くことになりました。初めに摩文仁の丘を訪

ねました。ここは米軍が日本軍を制圧した終焉の地でもあります。

摩文仁の丘には日本のいろいろな県から集められ最後まで戦っ

た将兵の記念碑がたくさんありました。そして記念館には、熾烈な

戦闘に耐えてきた沖縄県民の方々の手記がたくさんありました。

それらの中には目を覆うような状況に置かれた県民の話が数多

くありました。戦争とは敵前では自国の国民までも犠牲にするも

のなのでしょうか。

 最近、TV放送で沖縄戦の事実を明らかにするようなフィルムが

放映されました。その中でも沖縄県民の生き残った方の話が放

映されました。圧倒的な火力の前で為すすべもなく絶望的になっ

た兵士(もしかしたら上官?)が故意にしたことなのかもしれませ

んね。しかし絶対におこなってはいけないことだと信ずるものです

が、人間の心の弱さを見た思いがしました。

 これまで沖縄県は、次から次へと苦難の道を歩かされてきまし

たが、今また私が見たあの美しいサンゴの生息地を潰して米軍

基地を作るという問題に当面しています。


 報道によるとロシアは核兵器を増強すると発表したり、南シナ

海の埋め立て地を軍事基地として使用すると発表したり、日本で

も集団的自衛権議論がまたもや憲法改正議論に発展する方向

に動いています。

 このような事実が少しずつ世界を再び力で相手を屈服する道

へ向かい始めるのでしょうか。こんなことを許してはいけないと

思います。

 人間は過去の歴史から重要なことを学ぶことを拒否してしまう

のでしょうか。「歴史は繰り返す」という言葉を人類はじめとする

生物が将来に希望を持って前進するという意味に解釈できるよ

うにしなければならないと思います。

(写真は後ほどまとめて沖縄記として投稿します)

 


在宅医療の不思議

2015年06月14日 23時54分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

 久しぶりに旧友に会った。お互いに現在は一応表面的には

健康の様子を祝して乾杯をした。

 会うとすぐに学生時代の話に花が咲いた。無機化学の教授

のお手伝いで浅間山へサンプリングに行った時の話や、虚偽

のデータを論文に載せて外国の研究者に指摘され、その責任

を助教授や大学院生に採れと迫られて退職した話、研究費配

分のガラス張り化などあっと言う間に時間が過ぎてった。

 しかし、当今の問題は健康・病気の話になるのはやむをえ

ないだろう。

 A君はかなり前から血圧が高くデータ偽装で問題になった

医薬品を服用しているという。B君は糖尿病を患い?かな

り前からインスリン注射を自宅でうち脂っこい物や甘い物を

極端に控えているという。彼はトンカツに目がないので寂し

い思いをしているという。若い頃のようにロースカツ1枚など

といわずにヒレカツを少し食べるようにしたらどうなのかとい

うと、ヒレカツは脂が少ないので美味くないとのたまう。

 糖尿病は初期中期の間は自覚症状がほとんど無いので

慢性化することが多いそうである。それでインスリンの注射を

自分で打つようになる自宅療法になる。

 B君曰く、毎月一回通っていた病院から自宅近くの医院に

治療を移したのだがいろいろ問題が出てきて困っているという。

 医院で注射する場合には、注射針を刺す皮膚の部分を消毒

で綿拭くのが一般的だが医院では消毒綿を支給してくれない

という。前に通院していた病院では少し余分に消毒綿をくれた

のにと。医院にいうと在宅医療費には消毒綿は入っていない

のだそうである。

 彼はネットでいろんなところへ問い合わせをしたが、多くのと

ころではそういう問題は初めて聞いたという返事であった。

 自宅で注射をしなさいと言うのに消毒綿を付けないというのは

おかしいのではないかというのであった。

 私も確かにそれは変だと思う。注射を打つ場合には必ず針を

刺す部分を消毒するのに、在宅医療費に消毒綿を含まないとい

うのは自宅で注射をするときは消毒しないで針を刺しなさいとい

っているようなものではないだろうか。

 C君は次のような話をしてくれた。最近手の指の関節が変形して

きて痛みもあるという。病院や医院で診察を受けると、一応検査を

してから、”明確な原因は不明ですがまあ加齢現象の一つの表れ

でしょう。痛み止めを出しておきますからそれを使ってみて下さい”

というそうである。

 高齢者はそれでなくとも社会に迷惑をかけないように少しくらいの

痛みは我慢しているのです。痛みに耐えられなくなったので医師に

相談するのに加齢で済まされては実も蓋もないことになってしまう。

というのです。

 この話を読んで下さった高齢者の方もキッと同じような思いをして

いるのではないでしょうか。

 ここに例を挙げたような話・不満はとくに高齢者には多く発生する

ようです。でも高齢者は出来るだけ我慢をし医療費がかさむのを申

し訳ないと思っているのです。

 数年か10年先には病院のベット数を減少する方向で検討してい

るいうことです。その分を在宅医療でまかなうというのならば、在宅

医療における衛生面にももっと配慮してほしいと思った。

 

 


鎌倉古我邸(フレンチレストラン)で少し贅沢をしました

2015年06月13日 07時02分56秒 | グルメ

 6月初めのさる日元同僚2人と鎌倉にある古我邸というフレンチ

レストランで食事をしました。

 この店は2015年4月17日に開店したばかりの新しい店です。

構えは旧華族が別荘として使っていたということで、床も木造の

少し懐古趣味的な様相でした。

 食べログではいろんなことが書いてありましたが、接客も笑顔を

絶やさず非常に好感を持てました。

 料理は地元で生産された野菜や魚とほろほろ鳥のソテーそれと

フォアグラも添えられていました。料理の味は提供価格にしては、

美味しかったです。

 店員の人は、もう一度書きますが親切で写真も進んで写してくれ

ました。

 食事の前に少し散歩をしようと思いましたが沢山の人で賑わって

いました。同行の鎌倉は3人とも久しぶりのことで、私の行った数十

年前とはずいぶん様変わりしていました。八幡宮への参道は現在

新たに桜並木にすべく工事中でした。小町通りは週日にも関わらず

行き交う人で混雑していました。

 食事の後で銭洗い弁天へ行ってみました。静かな鎌倉の面影を残

し、山方ではしきりとウグイスの美声と谷渡りのキョキョキョコという

音が聞こえてきました。

 弁天様では束ねた高額紙幣をザルに入れて水にさらす様がすこし

哀れを誘いました。あの辺は静かな住宅街でしたが、各種各様の店

を出して商っている様子には少しがっかりもしました。

 それでも久しぶりの鎌倉散策と思いがけない食事に楽しいひととき

を過ごしました。

 

 

 

 

 

 


少子化対策と高齢者増加対策について

2015年06月13日 00時47分36秒 | 日記・エッセイ・コラム

 高齢者が増加することは数十年前から統計的に明らかになっ

ていた。人口の年代別構成図というのを何回も見せられた記憶

がある。その形からいわゆる団塊の世代ということが話題にな

った。当然その世代の人達が結婚して子どもが生まれるとその

一つも団塊の世代になる。しかし社会の景気変動によって子ど

もを産めないような状態になると、少子化ということになってしま

う。少子化の原因は、女性の生涯出産数の減少にあるという。こ

れは女性だけの問題ではない。結婚して通常の家庭生活を送る

ことが出来れば夫婦の生涯出産数の減少という問題は発生しな

いはずである。

 政府はかってゆとりのある生活をなどという政策を打ち出したこ

とがあるが、社会は経済優先主義に走ってしまった。その結果、

生産コストをいかに安い賃金に押さえるかが優先された。

 賃金が低くなれば、夫婦で働かなければならず子どもを産む機

会が減少することになってしまった。そして社会は少子化へと進ん

でしまった。そういうような社会の中で、妊婦に対する優しさが失わ

れてきたという報道が見られる。

 このような事々が今の少子化を招いたとみるのは間違っている

だろうか。

 社会が一丸となって若い世代が安心して結婚し、子どもを産める

ような社会を作っていくべきである。
 
 そして2025年には、団塊世代の人達が75才に達するという。

75才というのはいわゆる後期高齢者ということであり、今の社会か

らは何となく肩身の狭い思いを強いられているような気がする。

 高齢者になると、長い年月社会の発展のために動かしてきた身体

が不具合になることがある。それは若い世代の人達には想像できな

いほどのこともあるだろう。更にその状態が進めば自分の力だけで

は身体を動かすことが出来なくなってくる。そのために介護施設が

必要になってくる。

 政府は、「まち・ひと・しごと創生基本方針2015」のなかの一つに、

軽度から重度までの介護施設を地方に分散していくという。そうして

介護を必要とする人は多くの場合は高齢者であろうが、その人達の

地方移住に取り組むという。このような話を昔聞いたことがある。い

わゆる「姥捨て山」のはなしである。この話の中では殿様(為政者)

は自分の間違っていたことに気づいて政策を改めたという話である。

 極端な話ではあるが、現在でも衰退傾向にある地方(地方という

言葉をどう規定するかは不明であるが)が更に衰退傾向を早めるの

ではないだろうか。

 政府はいろんなことを考えて政策を決めていることとは思うが、そ

の政策を実施した場合にどんな結果が生じるかを十分に検討して

ほしいと願う。

 このような話はなんとなく揚げ足をとるようで自分に対して嫌悪を

感じることもあるのはどうしてだろうか。

 


国民番号制を危惧する

2015年06月09日 23時51分53秒 | 日記・エッセイ・コラム

 近頃の報道によると厚生労働省管轄の国民年金のデータ125万件が

流出したという。当該役所のデータ管理の杜撰さに驚くばかりである。

職員が未知のメールを開くという初歩的なミスをしてしまったという。

 これは日本人のいろいろなことに対する危機感が薄いというか無いと

いうか困ったことである。

 日本では古くから「人の噂も75日」という諺があるが、どんなに酷い被

害に遭ってもすぐ忘れてしまう。困ったものである。

 諸外国の執拗とも思える戦争被害意識は終戦後70年経っても決して

忘れることがないではないか。また忘れることのないように未だに戦勝祝

賀会をやるという精神を見倣う必要があるのではないだろうか。

 データに流出による影響がどのように現れるのか心配するのは筆者だけ

ではないだろう。某情報専門家氏は官公庁・大企業を狙ったサイバー攻撃

と考えられるので、個人的な被害はそれほど心配ないだろう等と発言する。

 データは一度流出したらどのようなルートを通ってどんな人のわたるか分

からない。そしてデータを入手した人がどんな使い方をするか全く予想がつ

かないのが当然である。

 総てのデータを改訂するといっても膨大な費用(予算)と時間が必要になる。

そういったことを心配する余裕はないのではないか。

 政府は、これを機会に国民番号制度を企画するかもしれない。これはサイ

バー攻撃対策を絶対の物にするまでは実行しないでほしい。その上でデータ

を取り扱う部署の職員には徹底的なサイバー攻撃対策を教育してほしい。そ

して抜き打ち検査をして誤った操作をした職員はデータ部門から外すくらいの

規律をつくってほしい。

 サイバー攻撃に対しては、一刻の猶予もないことを徹底して教育してほしい。

 これは国民の悲痛な叫びでもある事を忘れないでほしい。

 

 


雨の日にママとお出かけしました

2015年06月06日 22時09分52秒 | 日記・エッセイ・コラム

今年もいよいよ梅雨入りですね

昨日までの気温の高さが懐かしい

気のする今日の涼しさです

窓を開けると肌寒く締め切るとうっとうしい

毎年のことですが梅雨がやってきました

孫の女の子が小さな赤い傘をもって

玄関で長靴を履こうとしています

ママが娘のわきにしゃがんで

手伝おうかどうしようか迷っています

女の子はやっと長靴を履くことが出来ました

ママもおそろいの赤い傘をもって

長靴を履いて玄関のドアを開けました

女の子はママの手を引っ張って

早くお外へ出ようとかけ出そうとしましたが

ゆっくり行きましょうねとママがいいました

お外は細い雨がゆっくり落ちています

中にはかすかな空気の流れに乗って

踊っている小さな小さな粉のような粒の

霧が女の子の周りで踊っています

女の子は何か歌を歌いだしました

ママも一緒に歌い出しました

ふたりは顔を見合わせてにっこり微笑みました

前の方から幼稚園の先生が自転車に乗って

女の子に近づいてきました

先生は女の子にママと一緒にお出かけいいわね

といって手を振ってバイバイしました

女の子も可愛い手を振ってバイバイをしました

ママと女の子の後ろ姿はとても幸せそうでした