寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

阪神災害にこと寄せて

2011年01月17日 22時42分30秒 | 日記・エッセイ・コラム
 1995年1月17日、筆者は静岡県三島市のある有名なうなぎ屋で昼食にウナギを食べていた。広くもない店内はほぼ満席であった。ふと店内が静かになったように感じた。周囲を見ると客の多くがTVを見ていた。筆者もTVを見た。画面の中でアナウンサーが崩れた町中を映している映像の説明をしていた。どこかで大きな地震があってその被害状況を報道しているようだった。しばらく画面を見ていると、大きな地震があり甚大な被害を被ったのは兵庫県の神戸市のようであった。筆者は好物のうな重を食べるのを忘れて画面に見入った。幸い火災発生はその時刻では少ない模様であった。早朝の地震発生ということもあり、炊事時間には間があったのだろうと思った。高速道路が倒壊し、ビルが崩壊したり倒れていたりと被害は相当酷いようだと感じた。店では多くの客が空席待ちをしている状態だったのでうな重を食べ終わって直ぐに店を出た。  その後の報道によると、夜になり火災が諸処で発生し焼死者が多数出ているということだった。後刻その原因を調べた結果、木造住宅が倒壊した結果、電線が接触して漏電状態になり火災発生につながったという。 そこでわが町のことを思い出した。最近筆者の居住している町でも漏電による火災が数件発生した。どのような状況下での漏電かを関係者に聞いた所、次のようなことが明らかになった。この町は、約50年前に開発されて移住してきた人が多く住んでいる。移住してきてからそのまま居住している人たちが多くいる。その人達も高齢化しており、家屋の安全を見直す努力を注げない状態になっている。筆者も経験したことであるが、照明器具を交換しようと思って引っかけシーリングから古い照明器具を外そうとした所、天井側の引っかけ器具が破壊してしまった。それが数カ所で発生したので直ぐに電気工事の方に相談した。50年近く使用しているとプラスチック器具は老化してしまい危険な状態になっていることが分かった。それが何かのきっかけで破損して短絡通電(ショート)してそこから火災発生につながるということである。それとも一つの火災発生の原因と考えられるのは、古い家ではコンセントの数が少なく、接続する電気機器が増えるといわゆるたこ足接続になってしまう。そこが過電流の原因になって火災発生につながることがあるという。それともう一つは、テーブルタップの受け口が多いものがあるが、空きの口があるとそこにホコリが蓄積し、湿気を帯びる。それも火災発生の原因になるという。日常は便利に使用している機具類も時々は点検をして安全を確認しなければいけないと阪神地震にこと寄せて感じた防災の心得を書いた。

蔵書の整理をしました

2011年01月11日 18時59分23秒 | 日記・エッセイ・コラム

 重さで2Fの床が抜けると家族に言われ続けていたので、沢山の解説書や取扱説明書を捨てようと思った。だがこれらはないと困る場合があることに気がついた。書棚を軽くしたい。と考えているとき、PC雑誌に書籍の電子化という記事が出ていた。これだと思って早速スキャナーで頁ごとに取り込み始めた。50頁くらい取り込んで面倒になってしまった。まず時間がもったいない。もっと効率よく出来る方法がないかと探し始めた。

 そこでPC雑誌を探していると、ドキュメントスキャナーというものがあるという。100頁くらいなら4,5分で取り込めるという。これだ!と思って早速注文することにした。ここでまた思考が停止してしまった。書籍をばらさなければならないらしい。雑誌をよく見ると裁断機というものがあるという。A4専用機で2万円程だという。スキャナーと併せて5万円を超える。高いと思ったが。書籍を整理する時間を考えたら、それほど高価ではないと思い注文した。最近は注文品が2,3日で届くので便利になった。開梱してPCに接続、ドライバーの導入など1時間程で使用できるようになった。

 私のPCは i7 というCPUを搭載している。速いのが自慢である。早速、取説1冊(約300頁)を裁断してスキャナー(カラー・200DPI、詳細できれいにスキャンするなら400DPIが良い。スキャン時間は30%ほど多く必要になる)で読み込みを始めた。5分程で取り込みが終わり、PDFファイルとして保存できた。これを開いてみると、かなりきれいで画面上で読めることがわかった。さらに頁ごとに分かれていたり、少し工夫するとキーワード検索も出来るので大変便利である。裁断機は13mm厚さが限度なのでそれ以上の厚さのものは、ばらしておく必要がある。

 1日がかりで全ての取説と解説書それと数年分の雑誌(約100冊)を電子化することに成功した。電子化した書籍?はDVDとHDDに保存した。こうして書棚は空になった。めでたし、めでたしである。

 その後、どうせやるなら全ての書籍をPDF化してしまおうと始めた。約1000冊の書籍(百科事典、各種の辞書、地図帳、文学作品類、文庫等々)をPDF化した。空き時間にやるので約20日かかった。全てのファイルのメモリー容量を調べると70GBもあった。今それらのPDFファイルをword文書にしている。約1ヶ月間の作業で書棚が空になった。綴じ代を裁断した書籍類は輪ゴムで1冊ずつまとめて希望者に持って行っていただいた。注意することは2カ所以上のストレージに保存することを忘れないことである。


喧嘩・口論

2011年01月10日 23時46分02秒 | 日記・エッセイ・コラム

 筆者には孫が4人いる。小4,2,年長組の3人の男子と13ヶ月の

女の子の4人である。上の2人は、少年サッカーをやっている。その

合間に水泳教室へも行っている。いつもはとても仲がよい。それが

ちょっとしたことで喧嘩になる。しかし、子供達にとってはメンツをか

けた争いなのかもしれない。喧嘩口論の原因などというものは他人

(第三者)から見ると些細なことである場合が多いようだ。そのことに

執着するとそれが何か自分の最も大事なことのように思えてしまう

のである。それでそのことを強く主張したり、目的の物品をしっかり

と握って奪われないようにするのである。このような喧嘩・口論は、

家族内での話ならばすぐ元の仲の良い兄弟に戻る。

 筆者はかって、東海道線で横浜駅へ行き、東横線に乗り換えて

渋谷方向へ通勤していた。ある日、横浜駅で東海道線を降車する

際に1段高い列車の降車口から降りた拍子に目の前に立っていた

30代後半のエリート公務員と思われる男性Aに突き当たってしまっ

た。列車の降車口の前は、通常は2列に並んでいるのにそのときは

隙間がないくらいに群がっていた。列車とホームとの間に段差がな

ければ、問題がなかったと思う。

 A氏は、ホームを階段の方へ歩いている筆者を追いかけてきた。

A氏は筆者の身体に触れないように呼び止めてきた。A氏の言い分

は、筆者が列車を降りるときわざとA氏にぶつかってきた。別に怪我

をしたわけではないが、故意にぶつかったのであるから謝罪しろと

いうのである。

 筆者は故意に突き当ったのでもないし、むしろ降車を邪魔するよう

に立っていた方が悪いのではないかと主張した。その意味で謝罪す

るのはA氏の方だといった。筆者は両手を後ろで組んで話に応じた。

この話はA氏が降車するのを邪魔をしたことについて、筆者は故意

でないにしろ突きあったことについて、お互いに謝罪してそれぞれの

列車に乗るべく分かれた。後刻考えてみると、A氏のあの物言いに、

はからずも感心してしまった。後日会う機会があったら一杯やりながら

話をしたら結構話が弾んだのかもしれない。

 さて、突然思い出してしまったので書いてしまう。卑近な例で申し訳な

いが、筆者の両親の口論を紹介しようと思う。筆者の両親は2歳差の

男女で、ともに明治中期生まれである。明治というと筆者は、文明開化

の時代から近代化への道を邁進しているので、武家社会の格式につ

いて話題に出てくるとは思わなかった。口論の原因は聞き漏らしてしま

ったが、いずれ些細なことであったろうと想像する。話はこうである。もう

口論も終わりにちかづいた頃である。「何よ、あなたの家は御徒士じゃな

いの。私の家は馬乗りだったんだから.....。」

 筆者は、これがどんな意味合いをもつのか理解できなかった。後に時

代小説を多数読むようになって理解できるようになった。幕末とはいえ、

馬に乗ってお城へ登城する武士は、その藩の上級武士であり、御徒士

つまり歩いて登城する武士とは身分が違うので婚姻が成立するのは特

別な場合である。というわけである。口論はそれで話が続かなくなる

のである。明治時代の人たちには未だ身分格式ということが重要なこと

であったのである。

 さて最近は、喧嘩・口論になると刃物を持ち出したり、いわゆる凶器で

相手を傷つけてしまうことがあり、はては生命を奪ってしまうこともある。

それは兄弟間の喧嘩・口論や親子の間でも、職場の同僚同士や上司

との間でも、全く知らないもの同士でも同じことが起きている。爺臭い話

で申し訳ないが、筆者の子供の頃は、修身という授業があって、親や

年長者に対する礼儀を習ったものである。いや、親の躾でそういうこと

は自然に身についたものであった。近頃は、学校の先生も児童生徒に

対して何かおどおどしているという風評があるし、親も少数しかいない

子供に対して何かおもねっている風が散見される。教師と生徒、親と子は

友人同士ではなく、厳然たる立場の異なるものであるということを忘れて

いるのかもしれない。少子化の影響はこんなところにも現れている。友達

同士の、あるいは兄弟間の喧嘩や口論は、少し乱暴かもしれないが大い

にやった方が良い。しかし終わったら再び仲良く交わることである。こうして

子供は、精神的にも成長するのである。

 最後にいいたいのは、ある特定の者に対して集団で何かを仕掛ける

ことは絶対に止めてほしい。どんな理由があるにしてもその行為は卑怯者

のなせることであるからだ。その対象者が身体的あるいは精神的に差し

障りのある者に対してはなおさらである。


ものの値段

2011年01月07日 11時25分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

ものの値段
 報道によると、調査の結果12月の物価は下落傾向にあるという。どういう人がどこで

何を調べるとこんな結果が出るのだろうか。いつも不思議にに思う。 筆者が学生の頃通

学路の途中に、まんじゅう屋があった。当時ふくふくまんじゅうというのが2個20円だ

ったと思う。ここで実売価格についてはあまり意味がない。筆者らは甘みに飢えていたの

で、なけなしの小遣いで授業帰りに寄って食べたものである。(ちなみにそば屋のもり・

かけが25円、ラーメンが35円であった)。しかし、しばらくすると大きさが小ぶりに

なった。仲間内でこの頃まんじゅうが小さくなったと噂に出るようになった。すると客は

現金なもので店に寄る回数がへる。店は価格を少し高くしてまんじゅうの大きさを元の状

態に戻す。するとまた、客が入るようになる。それほどこのまんじゅうは美味かったので

ある。そしてまたしばらくすると、まんじゅうのサイズが小ぶりになる。2回目になると

客はまた値上げするようだなどと話し合ったものだ。実際に1ヶ月もしないうちに価格が

上がり、サイズは元の状態に戻る。このような値上げは年に1回か2回行われる。店側に

しても苦慮の末やむを得ずこのような方法で価格を上げているのであったろう。この店の

まんじゅうのサイズと価格の変化によって、つまりは社会の物価が上昇していく様が分か

る。
 この店のような方法で実質的に価格を上げるというのは現在でも通用している。例えば、

紙容器に入っている菓子類(テッシュ紙やカップ麺等も)は、内容量が少なくなっている

が容器のサイズは同じになっている。消費者は内容量まで確認することなく容器のサイズ

が同じならそのまま購入してしまう。しばらくすると容器のサイズが小ぶりになったもの

が店頭に並ぶ。前の容器サイズのものは価格が変わっている。前の容器は、大量に作って

あるとか金型を直ぐには変えられないのでそのまま使用するなどの理由でしばらく使用す

るのだろう。まんじゅうの話は、今でも少し形体が変わっているが通用しているらしい。

 そんなことを考えると物価が上昇していないという公式発表はそのまま信じられないよ

うである。

  ものの値段というのはどうも納得がいかないものもある。特に電子機器の分野では性能

などが良くなっているのに価格が下がっている。筆者が購入した液晶TVは当時安くなっ

て18万円だったが、いまでは性能はほとんど変わらないもしかすると良くなっているの

に7万円ほどで買える。また、新機種が発売されるとそれまでの機種はかなり値下げにな

る傾向がある。

 こういったものを含めて物価下落と発表するのかもしれない。しかし、日常生活用品に

ついては、とくに昨年の秋口からの野菜の価格は驚く程値上げされている。筆者は昼の時

間帯にスーパーストアーに買い物に行く機会が週に2回程ある。店内で買い物をしてる方

は、夫婦2人連れの高齢者が多い。その人達の購入状況をそれとなく見ていると、例えば

一玉88円のうどんと2玉入りで172円のものがあるとほとんどの1人は2玉入りのも

のを購入する。購入する店を選ぶのも必ずチラシをもってきていて比較している様子を見

かける。国民年金だけの収入で生活している方は、夫婦2人で12万円程の収入だから日

常生活の居住場所や光熱水費そして健康医療費等を除外すると、2人で1日当たり100

0円くらいの支出しかできない計算になる。つまり1食あたり170円程になってしまう。

 上記のような状況を知ってか知らずにか不明であるが、いわゆる識者の人たちは、新聞

などで消費税の値上げを肯定する発言をしている。政府も今は発表しないが、収入の2倍

以上の支出を予算編成に盛り込んでいるので、こんなことが長く続けられるなど全くおか

しいのであるが、借金をして凌ぐという習慣みたいなことが行われている。近い将来国の

財政は破綻することは明らかであるから、いずれは消費税上げに言及するだろう。若者に

将来の安定を保証できず、高齢者に苦しい生活を余儀なくさせている状況で国家収入を増

やさなければ医療や年金事業が破綻するなどといって消費税を上げようと策定する。その

議論の前に、なぜ、国家支出の減量が出来ないのだろうか。徹底的な人員削減と予算の切

り詰めを行ってから消費税に言及してほしいものである。政府は企業の生き残りをかけた

経費削減方法を是非とも学んでほしい。

 


一病息災

2011年01月04日 14時43分14秒 | 日記・エッセイ・コラム

一病息災
 昔からこの日本には健康管理について一つの考え方(もしかしたら哲学)がある。これは何か一つ持病があるとその病を介して健康に注意するので長生きするということである。筆者も現在一病以上の病をもっている。それらはみんな相互に関連していることが最近理解できたような気がする。若いときには、精力的に徹夜の仕事を続けてきた。疲れを和らげるために過剰の栄養をとる日々が続いた。その結果、20歳代の体重65Kgだったのがたちまち85Kg 以上に増えてしまった。それでも40歳代までは健康に気を遣うこともしなかった。当時受けた人間ドックでブドウ糖負荷検査を受けるようにという通知を受けた。その結果、血糖値の消費が遅いので食事に気をつけ適度の運動をするようにと注意された。しかし、仕事に熱中するあまりそれらの注意を無視する状態が続いてしまった。50代後半になって職場が変わった際に再び人間ドックで検診を受けた。その結果、体験入院が必要であるということが告げられた。筆者は血糖値が高いということがそんなに重大なこととは知らなかった。
 その後、体重減量と繰り返し戦いながら現在に至っている。目標体重まであと10Kg になった。これからもがんばっていくつもりである。
 筆者は学生時代に、A香港57型というインフルエンザに罹患したことがある。高熱が出てまさか死ぬことなどとは考えなかったが、大変なことだとは思った。数日して熱も下がり、講義に出てからワンゲルの部室へいった所、これからアップザイレンの練習をするという。校舎の屋上の脇に立っている煙突の頂上からザイルを使って地上まで降りるというものである。筆者の順番になって煙突の上に立ちザイルを身体につけて降下を始めた。が、途中で身体に悪寒が走り動くことが出来なくなってしまった。先輩や同級生に助けられてほうほうの体で地上へ降りることが出来た。悪寒は止まらず、直ぐ帰路についたが、途中でたまらず電車を降り、タクシーで家に着き直ぐに近くの医者へ行った。

 診療時間には少し時間があった。そのとき対応してくれた看護婦(当時の呼称)が「あなたと同じように再発した人が数日前に心臓麻痺で亡くなっているのよ.気をつけなくちゃね」といったものである。後で聞くと亡くなったのはかなり高齢の方だったらしい。筆者はその一言で自分も心臓麻痺で死ぬのかと想像した。それ以来、筆者は心臓ノイローゼになってしまい長い期間通学できなくなってしまった。医者は心臓の機能障害はないので全くの健康状態であるという。新学期が始まっても通学できず、両親に随分迷惑をかけてしまった。

 4月も終わりに近くなってワンゲルの友人が、大学へつれて行くから一緒に行こうと誘いに来てくれた。帰りも一緒に帰るというので大学へ行った。ところが帰る時刻になるとその友人は、急に用事が出来たので一人で帰ってくれという。一人で外を歩くのが不安でたまらなかったが、がんばって帰宅することが出来た。翌日からは一種の自己暗示(催眠)を自分に言い聞かせて怖々大学へ行くことが出来るようになった。この友人の行為がなければ、筆者は立ち直るのが遅くなり、大学卒業も覚束なかったかもしれない。

 ノイローゼと昨今流行のうつ病とは違うかもしれないが、そこから抜け出すきっかけというのは案外大したことではないのかもしれない。もちろん医者や医薬に依存することは必要なことであろうと思うが、精神的な脆さが原因ということも考えられる。自己暗示でも、座禅でも、運動でも何でもいいので精神的に強くなることを心がける必要があるのではないだろうか。
 一病息災ということを考えると、身体異常にしても精神的脆さにしてもそのこととどう付き合って生活していくかを考えなければならないだろう。


新年に感じたこと

2011年01月03日 13時26分04秒 | 日記・エッセイ・コラム

新年に感じたこと
 退職して2回目の新年を迎えた。この2年間で最も変わったことといえば、年を追うごとに着信郵便物特に年賀状の数が減少したことである。今年は100通程の年賀状をいただいた。昨年と比較すると60%ほども減少した。そういうこともあろうかと年賀状の購入は100枚にしておいた。今年年賀状を送って下さった方々は古くからお付き合いいただいてきた方々で、これ以上着信が減少することはないだろうと思う。もちろん自然減数が生じれば別であるが。
 卒業生からの賀状は、卒業して3年程で不通になることが多い。それは社会へ出て働くようになれば別の付き合いが増えるためである。そんな中でも毎年賀状をくれる卒業生が30人程(筆者のゼミ卒業生の約15%)はいる。この人達は、多くは結婚し子供が出来、その成長の記録写真を付けてくれる。それもまた楽しみである。
 年賀状に書いてあることについて考察すると、高齢の年金生活者?でも毎年国内・海外旅行に出かける方がいる。そのときの様子を写真付きの賀状にして送って下さる。退職後数年間は年に数回も出かけるが、加齢とともに旅行の回数が減るようである。
 こうしてみると、高齢者はやはり一度に使用する金額はそれほど多くないが定常的なといっては語弊があるが、毎年収入のかなりの割合で生活費以外の消費をする傾向にあるようだ。
 そういう高齢者から、いろんな形で預金をはき出させようとあの手この手を使う人たちがいる。報道や銀行(ATM)の窓口で振り込め詐欺に気をつけるように注意を喚起しているにもかかわらず、いまだに高額の金を振り込んでしまう方がいる。また繰り返しくりかえしリホームの勧誘に乗ってしまったり、高額の物品を買わされてしまうことがあるという。このような理不尽な行為を放置しておく行政、治安関係、そして親戚を含めた周囲の住人も、いわゆる弱者にもっと気を遣う必要があるだろう。筆者の近所の方々も皆さん高齢者になり、自分のことで精一杯になってきているようだ。その証拠に滅多に顔を合わせることもなくなった。自分の保全は自分でというのが基本ではあるが、やはり隣組(古い表現だけれど)のいやご近所の連携が大事であることに間違いはない。
  さて、今年の正月3が日は、筆者の居住地では穏やかな暖かい日が続いた。私事で恐れ入りますが、今年の計画は、第1に健康に留意することである。それから新しいことに挑戦することである。世の中には未知のことがまだまだ沢山あるようですからね。今年も忙しい日を送ることになりそうだ。
 毎回とりとめもないことを書いていますが、懲りずにお読み下されば幸いです。
 末筆ながら、今年も皆様にとって幸多い年になりますよう、そして最近不安定な要素が点滅している世界情勢も安定するようにお祈りします。さらに、日本の政情も良好な方向へ展開することを希望しています。


年の初めに

2011年01月02日 00時46分39秒 | 日記・エッセイ・コラム

年の初めに
 元旦、お目出度うございます。何が目出度いのか? それか時期を見て議論することにして、本日の出来事を日本の風習から見ていこうと思う。筆者の家から見える日の出は、吾妻山のちょうど中央付近から7時6分頃に見える。
 筆者の部屋は、遮光性のカーテンにしてあるので外の光をある程度遮ってくれる。しかし変なことに寝室のカーテンは、遮光性のものではない。何故かというと筆者の書斎は、筆者の管理下にあるが、寝室の管理は妻が実権を握っているからである。したがって、寝室は日の出の前に室内が明るくなり目が覚める。今日も同様であった。そこで写真を撮った。
 恒例にしたがって、仏壇と神棚にお供えをして参拝した。それから朝食であるが、お雑煮とおせち料理を食べる。これも習慣で例年の通りであった。こうして2011年が始まった。
 今日はBTアダプターでプリンターの無線化を実行することにした。雑誌で見ると非常に簡単にできるようであった。プリンターはEpsonPM-T990、PCは自作の高性能機である。BTアダプターは、プラネックスコミュニケーションズ社製のBT-MicroEDR1Xを2個使用する。まず、付属のCD-ROMからドライバーとユーテリテイをインストールし、アダプターを装着し、ペアリングを行った。一連の操作は簡単に終了し、接続してみた。なんとうまく稼働した。これで筆者のプリンターは無線化出来たわけである。が、T990には無線LUN機能がありそれを利用することにした。4台のPCからルーターを通して使用できる便利さには一利があるからである。別に無線LAN 付きのものを購入する予定であったが不要になった。
 そのうちに郵便配達が通り過ぎたのでポストをみると年賀状が入っていた。約100枚、その中から自分のものを選別した。約80枚になった。年末に年賀状を書く状態になかったので直ぐに書き始めた。IT関係の方にはメールで送ったのだが、再送した。郵便局へ投函に行くと沢山の人が年賀状を出しに来ていた。
 さて風習と習慣についてであるが、風習というのは比較的広い範囲(地域)で社会的に繰り返し行われる事柄であり、習慣というのは個人的あるいは家族内のこと、少し広くしても風習よりは狭い範囲以内で行われることと解釈する。わが家の正月3が日の朝食は雑煮と決まっているが、子供達はほとんど餅を食べない。したがって我が家の習慣は既に近い将来消滅することになる。他方毎年行われる年賀状のやりとりは、範囲を考えてもやはり一種の習慣であろう。
 年末になると、居住地域の清掃が行われる。これは自治会のあるいは町の要請で行われるのだが、未だ風習にはなっていない。自発的に行うようになると風習に近い状態になるのではないだろうか。
 このような習慣や風習を商売にする人たちがいる。正月の飾りを商いにする、節分の豆まき、その豆を売る人、など一年を通して節目ごとの習慣や風習を行うことによって社会が丸く機能していくことが多い。しかしここでも、例えばお祭りの寄付行為をしない人がいたりして(いろんな状態があるので善悪(よしあし)の判断は出来ないが)もめ事になることがある。特に、年齢差が大きいと我が家のように習慣が消滅していく傾向がある。
 それから、年賀状に慣用句として「昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします」というのがある。この一年間一度もあったこともないし、音信もなかった人からこのように書かれると、習慣とはいえ複雑な気持ちになる。気が弱いと何かをしてあげなければいけなかったのかなあなどと考えてしまう。
 最近の社会は、都会人と地方人が複雑に交流する機会が多くなったために習慣や風習も変化していくのだろう。それがよい方へ流れていけばよいのだが。そして、世界のいろんな人種の人たちが同じように交流していけば世界は平和になると考える。しかしそこには最も強力な習慣があるから簡単にはいかないことも想像に難くない。それは宗教の問題である。機会があれば宗教について言及したいと思う。