寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

再会

2016年11月30日 13時18分36秒 | 寓話

「あ。お前、山際じゃないか」

「え。そういうお前は....、えーとそうだ鈴本じゃな

いか。そうだ鈴本だ。なんでお前がここに」

「おれはボランテイアでお手伝いに来たんだ」

「そうか、有難うよ。何しろこの有様だから本当に助かる

よ」

「大変だったな。しかし無事でよかったな。そういえばこ

こは山際の実家のあるところだったな」

「そうなんだけどな、この地震と津波で町が跡形もなく無

くなってしまった」

「ご家族は無事なんだろうな」

「それがな、学校へ行っていた妹は無事だったんだが..」

「そうか悪いことを聞いてしまったな」

 山際と鈴本は東京の大学の同期生だった。山際は大学の

後期試験が終わったので実家へ戻ってきていた。山際は両

親と妹に大学ことや友人のことそこには鈴本のことも含め

て話していた。山際はこの町が好きだった。大学を卒業し

たらこの町で学校に勤めたいと考えて勉強していた。それ

で大学では教育課程を専攻していた。鈴本とは大学の1年

次からバスケットボール部で頑張ってきた仲間だった。

 2011年(平成23年)3月11日14時46分、東北太平洋

沖でマグニチュード9.0問巨大地震が発生した。その地震で

交通路は寸断された。そして数十分後、高さ10メートルを

超える津波が東北地方の太平洋沿岸を襲った。山際の実家

のあった街もこの津波に襲われて甚大な被害を受けた。

 山際は、母校の小学校へ恩師を訪ねていた。そこで地震

が発生し、続いて津波の襲来を知り恩師たちと一緒に学童

を町の高台へ導いて避難誘導した。そのために学童の被害

は一人おなかった。山際の妹は山手に歩こうと学校へ行っ

ていて無事だった。

 山際は学童の誘導が住むとその足で実家へ向かったが、

襲ってきた津波に阻まれて実家へ行けなかった。実家の屋

根が津波に流されているのを見て、山際は津波に飛び込ん

で両親を助けに行こうとしたが周りの人たちに引き留めら

れた。山際はあふれ出てくる涙を懸命にこらえていた。周

囲の人たちも一人残らず言葉を失ってその光景を見てた。

 山際は町の避難所に妹と身をよせた。津波が引いた後す

ぐに妹と二人で両親を探しに行った。津波は20メートルを

超えたと発表されていたが、破壊された家は瓦礫となって

高台の近くまで一面に広がっていた。山際と妹は、どこか

ら手を着けたらいいのかわからず呆然としていた。妹と2人

で見に行った実家のあったと思われるところはコンクリー

トの土台が残っていただけで周囲一帯に何もなかった。

 救援の自衛隊が来て、行方不明者の捜索が始まったがが

れきの山に阻まれて遅々として進まなかった。

 そして今日も瓦礫の山を片付けながら両親はじめ行方不

明者をさがしていたのだ。そこでばったり鈴本に会ったと

いうわけだった。

 鈴本は大学のバスケットクラブの仲間とこの町へボラン

テイアとして気のやってきたのだった。鈴本たちは、この町

へやってきて町の様子を一目見てその有様に体が凍り付い

てしまった。自分たちに何かできることがあるのだろうか

と自信を無くしてしまった。中にはこのまま東京へ帰ろう

と言い出すものも出る始末だった。そのとき避難している

高齢の女性が避難所で配られたお茶とお握りをもってやっ

てきた。

「これは避難所でいただいたものですがどうぞ食べてくだ

さい」

「え。ありがとうございます。おいみんな、避難されてい

る方から差し入れだ。良く味わって食べるんだぞ。お礼を

言ってな」

「おす」

 といって学生たちはおれいをいった。そして鬼木路を食

べ始めた。女性は苦しい心を隠して学生たちをじーっと見

ていた。学生たちの中には突然目に涙を貯めたものが出て

きた。

 その学生は東京へ帰ろうといった学生だった。 学生た

ちは町の人たちと話し合いをしたり他のボランテイアとも

協力して瓦礫の山をか続け始めた。そして今日、偶然山際

と出会ったのだった。

「そうかあ、山際の実家はこの町だったんだな」

「そうなんだ。両親に少しは親孝行をしようと思っていた

矢先にこのありさまになってしまった。残念だ」

「俺には何といって慰めたらいいのか言葉がないんだが。

元気を出して頑張ってくれ。俺初めみんなも応援するから」

「うん。ありがとう」

 こうして山際と鈴本たち、瓦礫の山に取り組みだした。

行方不明者たちは次々に発見されたが、山際の両親はまだ

見つからなかった。

 懸命の捜索が来る日も来る日も続けられた。4月になっ

て鈴本たちが東京へ戻る4日前、瓦礫の中から子供を庇っ

たような格好で母親と思われる人が見つかった。続けてま

だ若い女性が見つかった。そしてこれ以上の捜索は不可能

と思われたとき夫婦と思われる高齢者が見つかった。その

2人はしっかりと腕を組んでいた。しかし、山際の両親は

じめたくさんの方々がまだ見つかっていなかった。東京へ

戻る鈴本達にはそれが心残りであった。

 鈴本たちが東京へ戻る日が来た。山際初め町の人たちは、

みんなで鈴本たちに感謝の気持ちを込めて振り返り遠ざか

っていく鈴本たちを手を振って見送った。

 

 


記憶に残っている映画 (60) 「黄金狂時代」

2016年11月28日 21時55分52秒 | 寓居人の思い出話

 チャップリンの映画については「前に独裁者」を記事に

しました。そのほかにも数本の映画を見ています。どれも

喜劇王としてのチャップリンの面目躍如たるものでしたね。

中でも最高の映画作品は今回の「黄金狂時代」かもしれま

せんね。内容については少しだけ書きますが、名場面のい

くつかを紹介したいと思います。

 話は「金鉱探し」つまり”山師”の話から始まります。チ

ャーリーは猛吹雪の中這々のていでたどり着いた避難所の

ようなところで、おたずねものにであう。しばらくして本

物の山師がやってくる。3人は共同生活をし始めたが食う

に困る始末になる。お尋ね者と山師はチャーリーが鶏に見

えるようになる。チャーリー達は履いていた靴まで食べて

しまう。麓に戻ったチャーリーは酒場で恋をする。その酒

場で知り合ったビッグと艱難辛苦の末近郊を発見し大金持

ちになった。

 本編のクライマックスは崖の上の小屋が崖から落ちそう

になりその中にチャーリーがいる。崖はものすごく高く落

下すれば確実にお陀仏だ。

 この作品には、社会の笑いとペーソスそして冒険と貧困

そして大金持ちといういろんなジャンルの生活状態が見事

に表現されています。私の見た「黄金狂時代」は古いヴァ

ージョンで音声もなく画面はざらついていましたが、それ

を上回る価値があったと思います。その後トーキー付きバ

ージョンがでましたが、こちらはアカデミー賞にノミネー

トされました。

 

 

 

 

 

 

 


宮原知子さんの別の演技

2016年11月28日 07時44分19秒 | 日記・エッセイ・コラム

 アイススケートは見ていて楽しいですね。グランプリファイナル

を目指して技を競った試合から解放されたエキジビションでは競技

中とは別の顔を見せてくれました。

 フィギュアで第2位になった宮原知子さんのエキジビション演技

では、とてもかわいらしく女性らしい表情を見せてくれましたね。

感動してしまいました。一流の域に達すると、あのようにできるの

ですね。

 もう一つ、こちらはアイスダンス競技ですが。たまたまTVのスウ

ィッチを入れるとカナダ組の演技が始まるところでした。曲に会わ

せてペアで行う演技は素晴らしかったですね。長々と書いてもあの

すばらしさを表現できないのでこれで終わりにしますが、冬季オリ

ンピックでも今回以上の活躍を期待しています。

 


羽生結弦選手のすてきな笑顔

2016年11月26日 23時22分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

 アイススケートの羽生結弦さんのフィギュアスケートの

演技を見ました。しなやかな容姿でリンクを滑り回り、4

回転ジャンプを含めたたくさんのジャンプをこなし、流れ

るような美しいフォームを見て感動しました。

 フィニッシュも曲と同時に形が決まり、素晴らしいの一

言しか出てきませんでした。そしてポーズを終えた後のあ

のすずやかな笑顔がすてきでしたね。

 そして結果は、300点を超える得点を出しもちろん優

勝しました。演技中に時々見せる厳しい顔と好対照でした。

これからも精進してトップの座と持ち続けてほしいと思い

ました。

 女子の宮原選手も頑張りましたね。一度は転倒してしま

い、はっとしましたが転倒に動ぜずよく3位に入りました。

これからの活躍を期待しています。


記憶に残っている映画(59)「日本の一番長い日」

2016年11月25日 11時10分54秒 | 寓居人の思い出話

 「朕 深く世界の大勢と帝国の現状を鑑み 非常の処置を

以て時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる 汝臣民に告ぐ

....」

 年配の方々はほとんど心の中に染みこんでいる昭和天皇の

お言葉です。私はこの玉音放送を新潟県の直江津駅にほど近

いお寺の本堂で60名ほどいた国民学校児童と一緒に聞きまし

た。この部分は、「その日から 子供の戦争・戦後体験記」

(2014年度 自費出版文化大賞入選 日本文学館発行)に

書きました。しかし実際には昭和天皇のお言葉を理解できた

とは言えませんでした。ただ何となく大日本帝国は戦争に負

けたんだという風に感じていましたね。

 この映画は、昭和20年(1945年)8月14日、に行われた

御前会議とそれに続く閣議によって連合国の「ポッタム宣言」

受諾が決定しました。そのときから翌日15日玉音放送が電波

に乗って日本中に知らされるまでの一日間の日本の歴史を決

定づける出来事を克明に表現した映画です。当時、沖縄は連

合国軍の占領下にあり、また東京都の硫黄島もすでに玉砕し

連合国軍の支配下にありました。

 陸軍の血気盛んな将校達は本土決戦を主張し譲りませんで

した。彼らは玉音放送が実行されれば大日本帝国の国体が失

われるとして玉音放送用の原盤をめぐって血眼になって探し

たということです。天皇陛下のお言葉に逆らうことは逆賊と

なることも恐れずに必死だったのですね。私たちにはそんな

ことは全く知る余地もありませんでしたが。

 しかしその努力もむなしく昭和20年8月15日正午、玉音放

送は実行されました。いまになって考えると一般の国民にと

ってはその結果は良かった判断されるでしょう。

 映画を見ていても緊迫感が伝わってきました。実際には、

当日夕方双発の米軍機が直江津付近にもやってきて、「日本

の皆さん、戦争は終わりました」と拡声器の音を最大にして

伝えていました。同時に大量のビラを空中からまいていきま

した。私たちは極度に紙不足に困っていましたので、必死に

集めましたが全部先生方に提出させられました。

 

 


11月の初降雪(20161124)

2016年11月24日 13時18分50秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝は寒かったですね。気象庁サイトの関係図を見ますと

大陸の優勢な高気圧が南下し、日本列島の太平洋側に低気圧

がありこれに向かって寒気が南下したことが原因のようです。

この気温(2℃前後)では雨が雪に変わるそうで、温暖な当

地でも降雪がありました。庭の芝の上に焼く1cmほど積も

りました。いまの時刻にはもうそれも消失しています。

  

  

上の写真は我が家のべランダから見た降雪と積雪の様子です。

下の図は天気図、高解像度構成レーダーナウキャスト図、そ

して衛星写真です。

 11月の降雪は50年以上前にもあったと言うほど珍しいこ

とということです。自然現象は予測できないことは時々起き

ますね。

 

 

 


早朝の地震発生

2016年11月23日 23時59分03秒 | 日記・エッセイ・コラム

 もうすでに報道も少なくなりましたが、福島県沖で震度5

弱(マグニチュード7.4)の地震がありましたね。私はまだ布

団の中にいましたが長く強い揺れが続いたのですぐ起きてTV

を見ました。TVのアナウンサーは津波警報が発令されると、

「すぐ逃げてください」、少しでも高いところへに経てくだ

さい」あるいは「お近くの方を誘ってすぐ逃げてください」

等々画面にフリップを見せながら叫んでいました。

 そのおかげで犠牲者は出ませんでしたね。前回の被害発生

の教訓が生きていたと判断されました。しかし不思議なこと

もTV画面から分かりました。というのは海岸に近い道路をた

くさんの車、トラックや乗用車が走行していたことです。あ

れだけ大きな地震があり津波警報が発令されているのに道路

規制は行われていなかったのでしょうか。もし、もっと大き

な津波が来ていたらかなりの犠牲者発生につながったと思わ

れます。それは交通信号も通常通りに動いていたことに原因

があったのかもしれませんね。このようにちょっとしたミス

が大きな被害につながることがあるのではないでしょうか。

このようなことも今後検討していただきたいと思います。

 ともあれ、実際に被害が出なかったのは幸いでした。


記憶に残っている映画(58)「クレオパトラ」

2016年11月18日 13時12分54秒 | 寓居人の思い出話

 とにかく面白い映画だったですね。ハリウッド映画が

全盛と言っても良い時代に制作された絢爛豪華なセット

は実に見物でした。昔のことになってしまいましたので

書きますが、エリザベス・テイラーの美しさに私は心を

奪われてしまいました。もちろんそれが女優の仕事です

からプロだなあと思いましたよ。

 あらすじを書くのは気が引けますので少しだけにしま

す。ローマのジュリアス・シーザーがエジプトを征服し

女王の姿を探して(アレキサンドリア?)で発見します。

 シーザーはクレオパトラを一目見て恋に落ちてしまい

ました。そのあげくクレオパトラをローマに連れ帰った

りします。それが原因でシーザーはやがて失脚への坂を

下ることになります。恋は盲目と言うことでしょうかね。

王宮のセットや身につけている装飾品など煌びやかでし

たね。

 この映画は、監督のわがままで監督自身が書いた部分

から撮影したために出演者が待機する時間が長くなった

り、せっかく造ったセットを壊したり次に使うときにま

た新しく作ったりとと無駄な資金が使われた。そのため

に映画会社の経営が傾いてしまったと言われています。

そんな裏話を聞くと興味が薄くなってしまいますが、そ

れをカバーして余りあるエリザベス・テイラーの美貌だ

ったのでしょうね。もう一つ難を言えばせっかく語られ

る戦闘シーンが話だけで映像がなかったことです。

 

 


子宮頸がんワクチンのデータ捏造?

2016年11月16日 10時01分58秒 | 日記・エッセイ・コラム

 子宮頸がんワクチン接種による副作用が発生していると

報道されていますね。このワクチンは小学6年生から高校

1年生の女子児童生徒までを対象に定期接種することにな

っています。政府もその効果を認めて2010年から接種費

用の補助を始めました。しかし接種後相次いで副作用と考

えられる症状が報告されるようになり、2013年6月に積

極勧奨を中止することを決めました。しかしそれまでに多

数の若い女性の将来の希望を奪う結果になってしまいまし

た。

 何故このように副作用が発生するのを防ぐことが出来な

かったのでしょうか。

 このワクチンの開発・副作用に関するデータを捏造して

発表したしたと言うことです。何故このようにデータの捏

造が行われるのでしょうかね。大学の教授というのは、社

会で最も信賴される職業の一つに入っているのですね。し

かし研究(実験)データを捏造してまで成果を上げたいと

いう状況を理解することは出来ません。発表されたデータ

はいろいろな意味で一人歩きしていきます。真摯な気持ち

で研究をしている人たちは、その影響を考えたとき杜撰な

データを報告することをためらうと思います。そして再実

験なり再検討をするでしょう。それをしない人は、厳しい

ことを言えば研究者としての資格が疑われても仕方がない

でしょう。

 一流の科学論文誌は、投稿された論文が重要な意味を持

つと判断すると然るべき研究者に再実験を依頼してデータ

の信頼性を確認してから紙上に掲載していたと言われてい

ました。現今は投稿される論文数が多くなりそんなことを

する余裕がなくなってしまったのでしょうか。

 

 

 


世代の移り変わり

2016年11月13日 23時45分10秒 | 日記・エッセイ・コラム

 久しぶりにフィギュアスケートの演技をTVで見ました。

華麗な演技が次々に行われそれぞれ点数で評価されました。

かって世界に敵なしと言われ活躍した浅田真央さんの演技

する順番になりました。期待してみましたが、ジャンプを

消化できず簡易な回転になってしまう場面が続きました。

 浅田さんは年齢も高く体が重いように見えました。順位

はそれでも九位になりました。一方高校生の樋口新葉さん

は初めての出場という圧力にもかかわらずのびのびと演技

をして順位を三位まで押し上げました。年齢は浅田さんの

約半分ですが、その年齢の浅田さんも世界戦で優勝してい

ましたね。じわりと世代交代の影が近づいてきたように感

じました。