寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

思い出話「エアロフロート機に乗って9」(20140828)

2014年08月28日 22時26分58秒 | 日記・エッセイ・コラム

 去りがたいウィーンを後にしてミュンヘン(ムニッヒ)ヘ向かった。朝ゆっくりしたので10時過ぎの列車に乗った。ウィーンの町並みは直ぐに途切れて田園風景と丘陵・低い山地をが次々と現れては消え、消えては現れるという風に列車はひたすら走った。列車内で気になることが眼に入った。それは犬を連れている旅行者が沢山いることだ。その犬が車内で粗相をするが飼い主は一向に関係ないという素振りをしている。車内で移動する人はそれを避けて歩かなければならず、時には滑って必死に座席にしがみつく人もいた。

 6時間ほど過ぎる頃にようやく車内放送が後数分でミュンヘンに到着すると告げた。窓の外は暮色が濃くなり出していた。ミュンヘン駅に到着し滑らないように気を付けながら車外へ出た。ミュンヘン駅は上野駅の東北・常磐線ホームほどの広さだろうか。改札口はなくぞろぞろとホームを歩いて簡単な食事や買い物が出来る構内広場へでた。

 何しろ初めてのミュンヘンなので例によってインフォメーションを探して予約してあるホテルへの行き方を聞くことにした。インフォメーションの人の話だと歩いて15分くらいだというので地図を買い道筋を赤で示して貰った。

 予約したホテルは市の中心部にあり学会会場のミュンヘン工科大学の近くであることも確認できた。町中は土曜日なので多くの店は閉まっており食べ物を買うことが出来なかった。仕方ないのでホテルのレストラン(というより食堂といった方が良いかもしれない)で夕食を取った。さすがに疲れたので直ぐにベッドに入って寝ることにした。

 翌朝、食堂へ行くと数人の日本人がいた。自己紹介するとその方たちは、東大の教授と大学院生であるという。

 学会は明日からなので、今日は美術館を見て回ることにした。アルテピナコテーク(古い美術品を集めた)というのとノイエピナコテーク(新しい美術品を集めた)というのが直ぐ近くにあった。IAEAでO氏から預かったものを持って先ず後者へ行くことにした。そこは新しい大きな建物であった。その日は日曜日なので入場料は無料だった。館内に入り大きな大理石の階段を上り始めた。中頃まで登ったときにベレー帽を被った日本人らしい人が降りてきたので日本語で挨拶をすると日本語が帰ってきた。もしかしたらと思って「K先生ではありませんか」と尋ねると「そうですが、どちらさんですか」というのでO氏に渡してくれるようにと品物を預かってきましたといって品物を渡すことが出来た。偶然とはこんなことを言うのかもしれないと思った。

 それがK教授と知り合い面白い経験をするキッカケになった。夜の予定を聞かれたので何もないというと、どこかのビヤホールでウエルカム・パーテイがあるはずだから一緒に行きましょうというので約束をした。

 しかしそのビヤホールは見つからなかったのでホッホブロイハウスへ行くことになった。そこは大きなビヤホールで満員であった。


STAP細胞検証実験中間報告(読売新聞)を読んで(20140828)

2014年08月28日 10時42分16秒 | 日記・エッセイ・コラム

 理研のSTAP細胞作成検証実験は、論文著者の1人でもある丹羽仁史氏らによって行われているが、これまでのところ再現できなかったと中間報告を出した。丹羽氏は今年3月時点でSTAP細胞制作手順などを発表しており、その手順で再現できなかったというのは理解に苦しむ。これも捏造だったのだろうか。3月まで実験は継続されると言うが不思議な話である。

 丹羽氏もまた小保方論文に群がった1人なのだろうかと疑問を感じる。

 思えば、1989年常温核融合の可能性が発表され世界中の科学者が飛びついていろいろな条件で追・再実験が行われた。ある研究者は失敗してこのような可能性はないと断言し、また別の研究者は実験に成功したと報告したり大騒動になった。結局それは夢物語になってしまった。がまだその可能性を追求している科学者がいるという。

 著者も原題も忘れてしまったがあるSF小説の中で、”アリゾナの砂漠の中である科学者が悠々と研究実験に取り組んでいることを知ったレポーターがインタービューに出かけた。その家は砂漠の真ん中にあり周辺には電線などエネルギー供給の設備がないのに十分な電気を使用していた。レポーターが電源についてその科学者に尋ねると「ここには小さな核融合反応炉があるのだよ。それで十分なエネルギーを得ている」と言って地下室へ案内してくれた。地下室にはそれらしいものがないのできょろきょろしていると両手にすっぽり入るほどの大きさの箱が置いてあった。その箱から電線が壁の中に通されていた。科学者はそれを指さして「これがその核融合装置だ」といった。レポーターは驚いて口をあんぐり開けてしまった”という話があった。

 このような世界になることを願って小保方氏の再実験に期待したいと思う。


猛暑日も いつしか虫の 音にうつり(20140827)

2014年08月27日 18時57分24秒 | 日記・エッセイ・コラム

 我が町は、暑いあついと言っても夕方から明け方までは海風が吹き寝冷えをしないように気を付けなければならないところである。一昨日からの冷え込みは秋雨前線の北側に入ったからであろう。しかしこのまま秋になってしまうことはないだろう。まだまだ残暑の名残りの日が来ると思っている。しかし自然界は徐々に秋に移っているのは確かである。コオロギが鳴き始め、鈴虫のリーリーリーという長鳴きが聞こえる夜はもう秋に入ったことを私たちに告げているのでだ。この鈴虫の鳴き方は自分のテリトリーを宣言しているものだそうだ。もうすぐリーンリーンという澄んだメスを誘う鳴き声に変わるだろう。昨年はウマオイの鳴き声が聞けなかった。今年はどうだろう。

 もうすぐ二百十日を迎えるが、今のところ台風が発生する様子は北半球の天気図上には見られない。喜ばしいことだ。二百十日というと中学の国語の教科書に作者も不明になってしまったし内容もうろ覚えだが小説が載っていたのを思い出す。たしか阿蘇山の麓の草原で兄弟か友達かの2人が嵐に遭うという内容だったと思う。

 二百十日は関東大震災のあった日でもあり、それを忘れないように防災の日と定めている。またこの日は稲の穂が出て花を咲かす時期に当たり稲作には重要な日でもある。そしてこの頃に台風が来襲することが多いとされる。当節の稲は品種改良の結果もっと早い時期に花を咲かすようになっているという話なので安心ではある。

 日本の時節の設定は農業と関係が深く関わってきたが、当今では少しずれることもある。しかし自然の移ろいは昔と同じように進んでいることにホッとするものでもある。


秋雨前線?が停滞しているのだろうか(20140826)

2014年08月26日 22時06分50秒 | 日記・エッセイ・コラム

826 左の天気図は20140826の天気図です。日本の上空にある前線は秋雨前線の可能性がありますね。

 南にある太平洋高気圧、北にあるオホーツク海高気圧さらに大陸の高気圧はどれもほとんど停滞しているようです。それぞれの高気圧の間で前線がほとんど停滞しています。こういう状況で前線に吹き込む南と北の高気圧からの湿った空気が大量の雨を降らす原因と言うことです。前線の北側に入ると大気はヒンヤリしますが南側に入ると蒸し暑くなります。6月~7月の梅雨前線のときと同じ状態と考えると良いでしょう。南北高気圧の勢力争いが拮抗している証拠です。

 この状態が長く続くと作物に重大な影響が出てきます。つまり日照時間不足になり作物の生育が遅くなるからです。先ず野菜の価格高騰それから稲の結実不良などが発生する場合もありますね。もちろん自然災害の発生にもつながることはTVや新聞報道などでご存じの通りです。お互いに気を付けましょう。

 将来天気をコントロール可能な時代が来たら生活様式がどのように変わるのかなどと考えると楽しいですね。


高濃度放射性物質貯蔵施設を山間地に作るな(20140826)

2014年08月26日 14時35分23秒 | 日記・エッセイ・コラム

 国や自治体が高濃度放射性物質貯蔵施設を山間地に作る計画を検討しているという。何故だろうか。一つは公有地が山間部に多いと言うことかもしれない。山間地は降雨や地震などによって地形が変化することがあったり、それらが原因で建設物にひび割れや変形・破損などが発生すれば内容物が外部に流れ出し、地下水流や河川などに流れ込んで下流域を広く汚染する危険がある。その際の被害はどれほどになるだろうか。そのような危険を侵すのは愚かとしか言いようがない。

 以下蛇足になるが簡単に放射能に関することを書いておこう。

 放射性物質がどれほど長い時間放射能を出し続けるのだろうか。放射性物質は元素の種類によって放射能が半分量になるまでの時間すなわち半減期が異なる。例えばナトリウム24(15時間)、塩素38(37分)、ヨード131(8日)、ストロンチウム90(29年)、コバルト60(5.27年)、セシウム137(30年)、ウラン238(45億年)などである。半減期の短いものは放射能が強いが比較的早く少なくなる。半減期が長いものは放射能が弱いというのが一般的であるが、存在量が大きく影響する。

 生物への影響が少なくなるまでには、おおよそ3~4半減期の経過が必要とされる。しかし、これも存在量が問題である。

 放射性物質が人間の体内に入った場合どれくらいの期間影響を与え続けるのだろうか。元素は体内に入って体外へ排出されるまでの期間(生物学的半減期)が一応判明しているが個人差があることを考慮しなければならないし、体内器官・臓器への影響も考慮しなければならない。つまり影響を受けやすい臓器とそうでない臓器がある。新しいデータは過去のデータと異なる場合もある。

 チェルノブイリ原発事故の際に、ヨーロッパ中の子供たちに放射能のない安定型ヨードを飲ませたという報道があった。これはヨードという元素は甲状腺に集中的に取り込まれることが解っており、安定型ヨードで充満しておけば、放射性ヨードが入り込めないとの考えに基づいた処置であった。チェルノブイリ原発周辺の子供たちに事故後甲状腺の病変が多発したがヨーロッパの他の国ではほとんど影響がなかったという。日本の場合はヨードを投与したという報道はあまり話題にならなかったがどうなっているのだろうか。

 


土砂崩れ被害者に追い打ちをかけるな(20140823)

2014年08月24日 15時28分52秒 | 日記・エッセイ・コラム

 広島県の洪水と土砂崩れによる被害はだんだん大きくなってきました。災害が発生してから丸3日以上が過ぎ生存者を救出する可能性が少しずつ減少しているようです。救出作業を行っている方々、ご苦労様ですが二次災害に気を付けて頑張って下さい。

 さて、昔から火事場泥棒というのがいましたが厳罰に処されていたと聞きます。被災者が避難している留守中の家へ忍び込んで窃盗を働くのは絶対にしないで下さい。自然災害を受けて避難所で疲れと家族や知人・友人の安否を気遣っている方の留守宅に忍び込んで被害者の大切なものを盗むことがいかに卑劣な行為であるかを知ってほしい。

 そういえば、福島県でも原発事故で居住出来なくなった家へ忍び込んで窃盗を働く輩がいたと報道されていましたが日本人の気質に合わない行為です。

 それにつけても、事故や災害があるとそこへ行って何らかのおこぼれに預かろうとする人が絶えないのは何とも悲しいことです。昔からそういう行為は恥ずかしいこととされてきました。

 不愉快なことばかりではないことはもちろんです。警察官・消防士・自衛隊員・家族や親戚の方・友人・ボランテア等々多くの方々が二次災害に気を配りながら懸命に救助活動をしている方々が沢山います。ご苦労様です。陰ながら応援していますので頑張って下さい。

 


思い出話「エアロフロート機に乗って8」(20140821)

2014年08月21日 22時13分04秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ウィーンで思い出すのは、プラータ公園の大観覧車とアントン・カラスのツイターの音色である。私はプラータ公園に行って大観覧車に乗りたいと欲していた。その夢を叶えるために出かけた。大観覧車は東京にあるものよりも大きく頂点に近づくとウィーン中がすべて見渡せるようだった。この観覧車は平和を象徴するものであったという。ウィーンには有名な高架鉄道と地下水路がある。「第三の男」に出てきた話であるが地下水路はゲリラ活動で利用されたという。そう言えばピカソの絵にゲリラ活動とナチとの壮烈な戦いが行われれゲリラ側に勝利が見えてきたことを象徴する場面をヤジロベイで表現したものを見たことがあった。

 その絵を見ていたときに、「芸術家というのは死にものぐるいで自分の考え(社会情勢)をカンバスに表現しているのですよ。この絵の本当の意味をナチスに知られたらピカソは殺されていたかもしれなかったんです」と、新宿三越で開催された絵画展を見に行ったときに教えてくれた年配の方の話を思い出した。その方に芸術論を学生に話して欲しいとお願いしたが「私はもう晴れがましいところにでる年ではありませんから」とやんわりと断られた。全く残念であった。

 午後、ドナウ川を見に行った。ドナウ川は滔々と流れる水量豊富な川であり、楽曲に表現されているさざ波とはほど遠いと思った。しかし曲はすばらしいと思っている。観光船に乗車しようと思ったが、地下湖の方に興味がありそちらに行くことにした。

 ウィーン南駅(今はないようである)に戻り電車に乗って出かけた。直ぐに目的地に着いた。地底湖の入り口は暗かったが、中に入ると何とも広い湖であった。遊覧船があるというので乗ることにした。何の変哲も無いような湖であるが大きさと言ったらとんでもないと思った。周辺の地質は石灰岩が多く大理石の産地であったという。 

 ウィーンにはまだまだ見たいところがあるが予定も迫っているために明日はウィーンを後にしてザルツブルグ経由でミュンヘンへ行く。O氏に依頼された書類を顔も知らない日下教授にわたせるのだろうか。

 


思い出話「エアロフロート機に乗って7」(20140819)

2014年08月19日 22時32分44秒 | 日記・エッセイ・コラム

 あこがれの都ウィーンに着いた。何にあこがれていたのかというと、私の好きなクラシック音楽の大作曲家たちが過ごした所だからである。ウィーンと聞いただけで音楽の都と連想するほどであった。ウィーン駅についてインフォメーションに行き比較的良いホテルを紹介してほしいというと、どんな用件でウィーンへ来たのかと問われたので、IAEAの会議に出席するために来たといった。すると新築のホテルがあるのでそこでどうかという。料金も今まで節約してきたので少し余裕があったし、駅からも近いので、そこに決めて歩いてホテルへ行った。到着すると大きなホテルだった。受付に行くと日本人の一行がいたので驚いた。自己紹介していろいろ話を聞くと放医研の御園生所長を団長とする科技庁の人たちで今到着したという話であった。

 その日は近くの町中を散歩して一人で食事をして柄になくお土産を買ったりした。翌朝食堂へ行くと日本人の一行が食事をしながら新聞を見ていて話をしていた。何かありましたかと聞くと、函館空港へソ連の戦闘機が亡命してきたと言うことだった。後日、戦闘機はアメリカ空軍と航空自衛隊で徹底的に解剖されたという。スクランブル発進と上昇速度が抜群だと言われていたが初期の燃料としてアルコールが使用されていたことが判明したと新聞に書いてあった。

 私はメレシェチボ空港で写真を写したのを思い出した。あぶなかったな、蒼のアメリカ人が言うとおりになったいたかもしれなかった。

 その日はソ連の原子力関係に人と会うことになっていたのでどうかと思ったが特に問題が無かった。当時IAEAに放医研のO氏が赴任していたのでいろいろお世話になった。その夜は在ウィーンA大使?(若しかしたらIAEAの日本代表かもしれません)の家でパーテイが開かれるので一緒に行きましょうと誘って下さったので喜んでご一緒した。大きな家に着くと室内からピアノの音が聞こえた。A氏の紹介でウィーンに音楽の勉強に来ている方だそうであった。和食の料理と洋食の料理がたくさん並べられていた。そこでキャビアなるものを初めて食べた。私には好んで食べるほどのものではなかった。

 私はパーテイというものに初めて出席したのでかなり硬くなっていたようであった。A氏の奥様が話しに誘って下さり少しずつ寛ぐことが出来楽しい一夜を過ごすことが出来た。

 3日目は予定がないのでシェーンブルグ宮殿、博物館、美術館を見に行こうと思って食堂へ行った。すると御園生氏に私の予定を聞かれたので観光巡りをするというと氏も休みなのでご一緒したいというのでお供することになった。お偉いさんという意識があり初め緊張したがなかなか気さくな方で、いろんなことをうかがうことが出来、楽しい1日だった。シェーンブルグ宮殿は一部アパートメントになっていて一般の方が賃借で住んでいると言うことだった。しかし広々した庭園を毎朝散歩したら良いなーと羨ましくなった。この庭園はパリのベルサイユ宮殿のミニチュアのように作られているという話も聞くことが出来た。ベルサイユ宮殿はこの旅の最後の1週間を過ごすパリへ行ったら必ずいこうと思った。

 その後技術博物館を見学して、ウィーンへ行ったら必ず食べるようにと言われた“ザッハトルテ”の店へ行った。店の室内も外のテラスも若い女性で溢れていた。私たちは何か場違いの所へ来てしまったような気分になった。ウィーナーコヒーとザッハトルテを食べたが、これがものすごい甘さで甘党の私もさすがに残さずに食べるのが大変であった。ウィーナーコーヒーは上に乗っているクリームが邪魔になって飲みにくかった。

 明日は楽聖たちの面影を訪ねることにして寝ることにした。

 


記録的豪雨について(20140818)

2014年08月18日 11時27分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今年は広い地域で歴史に残るほどの大量も降雨量を記録した。前線が北陸ー中部関東北部に停滞しそこへ太平洋高気圧から湿った熱い空気が流れ込み大量の雨を降らせているそうである。TV映像で見る洪水のすごさは目を覆うほどである。この前線はもしかして秋雨前線なのだろうか。太平洋高気圧の強さが中途半端なのが原因かもしれない。この洪水によって多数の方が被害を受けたり、家屋の浸水、流失、土砂崩れによる崩壊、田畑の冠水と土砂に埋まるという非常に大きな被害を受けた。災害地の皆様には心からお見舞い申し上げます。

 20年ほど前になるが梅雨前線が9月になるまで本州上空に停滞し作物の日照時間不足という現象が飽きたことがあった。その年は野菜や米などを大量に輸入する必要に迫られた。

 自然現象をコントロール出来るようになるにはまだまだ未来の話であるが。自然現象による災害を防ぐ方法を講じても、その基準が過去の経験を基準にしているのでそれを上回ることが起きると防ぎようがない。これは前の巨大地震による津波の例でも同様であった。その地域の過去の記録を基準にするのも必要であるが、その地域の周辺の地形からこの位の降雨量ではこの位の水量になるそのエネルギーの大きさはこれほどになるということを計算して対策を立てる必要があるだろう。

 例えば素人の単純計算で、河川のある平地面積と周辺山地面積の比率が1対3であるとすればその地域一帯に500mmの降雨があれば少なくとも平地の水量は2000mmになる。周辺部から平地への境界がどれほどの広さがあるかによって水量はさらに増加することを計算しなければならない。地域の比率が増えればそれだけ水量が増加する。もちろん経験値は必要なものであるとは思う。しかしもっと科学的に考えることも必要なのではないだろうか。そろそろどんぶり勘定の対策から脱却する必要に迫られていると考える。


ツクツクボウシが鳴き始めました(20140818)

2014年08月18日 11時11分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も暑くなりそうである。朝食を終えてお茶を飲んでいると、8時半頃ツクツクボウシ鳴いているのが聞こえた。暑いと言ってももう秋の気配が近づいていることを実感できる。

そういえば近頃、庭やアプローチに蝉の亡骸が落ちている。アブラゼミだったり、ヒグラシだったり小型のジージーゼミだったりいろいろである。あの喧しくなく音がいつの間にか聞こえなくなっていた。

 庭には沢山のヤマユリの花が咲き始めた。季節は少しずつ移っているんだなと感じる。