寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

想い出話「向井千秋さんのこと」(20130925)

2013年09月25日 12時01分16秒 | 日記・エッセイ・コラム

 宇宙飛行士の向井千秋さんに初めてお会いしたのは、明確な記憶に無いが1989年だったと思う。場所は日本学術会議講堂で開かれた日本の有人宇宙飛行研究会(会議名も少々あやふやである)で講演をしたときであった。私の講演課題は「閉鎖系環境における物質循環システムについて」という全くオリジナルな研究発表であった。

 その会議に向井千秋さんが参加していたのである。その頃、私は骨粗鬆症との関連で骨密度減少とストレスの関係についてラットを使った実験をしていた。それで航空自衛隊航空実験隊の協力を申し込んでいたが、機密上の問題で協力は得られなかった。それで向井千秋さんに宇宙飛行士が宇宙空間へ行ったとき宇宙飛行士にどのくらいストレスがかかるのかを質問した。さらに宇宙飛行士の尿検査などを行っているのかも伺った。そのときは明確な回答は得られなかったが、NASAでは当然ストレスについて研究していると思うとのことであった。初対面の私の不躾な質問にもいやな顔を見せずに簡明にお答えをいただいた。
 向井千秋さんに二回目にお会いしたのは、青森県にある環境科学技術研究所でCELSS研究会(現生態工学会)の研究発表会が開かれたときであった。この研究所は近くにある核廃棄物貯蔵施設と関連したもので、放射能の環境、人体影響を調べることを目的につくられたものである。そこでの研究が原発事故の放射能影響に役立っているのだろうと期待している。この研究所では別に植物の水耕栽培を中心とした食料供給サイクルの研究も実施していた。その様子を視察に来たときにお会いした。向井さんは六ヶ所村役場を表敬訪問し、村長ほか数人(筆者も含む)の方と親しくお話され記念品を贈られた。その後記者会見に臨まれた。私は研究発表会の責任者として両方の行事に同席した。記者会見の時には隣席に座ったが報道写真には写っていなかった(笑)。その後、前記研究発表会で一般人にも開放された特別講演をして下さった。特別講演の様子はデジタルムービーで撮影し研究会事務局(現在は生態工学会)と環境科学技術研究所と私が保管している。
 夜は、研究会主催のささやかな懇親会を開き親しく歓談することが出来た。
 向井千秋さんの印象は、仕事(研究)の話になると真摯な態度で対応して下さるすばらしい方であり、非常に気さくな方だと言う好印象を持った。いまもお元気で活躍されているようで向井千秋さんに続く女性が続々出てくることを期待したい。

 

筋について(20130924)

2013年09月24日 17時39分17秒 | 日記・エッセイ・コラム

筋について(20130924)
 世の中には筋の通らない話が山ほどある。例えば昭和25年8月、日本はソ連と不可侵条約を締結していたにもかかわらず、ソ連軍は突然当時の満州に進撃してきた。その数ヶ月前1945年2月4~11日クリミヤ半島のヤルタでアメリカ、イギリス、ソビエト連邦の3国首脳が会談をした。そこでソ連軍の対日参戦が提案され了承された。その結果に基づいて、終戦間近日本軍が事実上崩壊したのを見極めたソ連軍は怒濤のごとく日本軍に襲いかかった。そして終戦を迎えると、当然のごとく日本から北方領土を奪った。それも北海道の海岸間近の国後島、択捉島が含まれていた。真実のほどは不明であるが、ソ連は北海道の東半分も要求したという。これはアメリカによって拒否されたそうであるが不幸中の幸いというべきなのかも知れない。
 アメリカも沖縄を初め硫黄島を含めた小笠原諸島を占領したが、現在は返還されている。しかし沖縄は現在も自由はあるもののかなり広い面積をアメリカ軍に占有?されている。これらは一般市民にとって理不尽な話であり、どうやっても筋の通らない話と感じられる。こんな国家間の話では無くても極身近なところでも筋の通らない話はいくらでもある。

 大分前に大企業に勤めていた方に聞いた話である。その方の月収はおおよそ額面60万円だとする。そして年間の賞与(ボーナス)は8ヶ月分であるという。私はボーナスを約500万円ももらうのかと驚いた。しかし実際には半分くらいだということであった。何故そうなるのかと聞いたところ、給料は基本となる金額がありそれに加給というものがほぼ同額加算されるという。賞与は月々の基本部分を元にして計算される。そのために半分になってしまうということだった。基本給というのは会社の成績によってもあまり変化させることが出来ないが、加給というのは企業の成績によって増減されることがあるという。
 彼は初めは地方公務員だったので年間ボーナスは給料額面の4ヶ月分ほどもらっていたので、8ヶ月分のボーナスがでるということで驚いたという。しかし実際には半額であったためにまた再び驚いてしまった。彼は筋が通らないと給与係へいき説明を聞いて三度驚いたということだった。
 さて、最近東電の原発事故に関して訳の分からないことが起こっている。これも実際には筋の通らない話じゃ無いかと思う。いろんなことがあるが原発事故の後始末を早急にして欲しいというのが未だに家に帰れない住民は当然ながら、一般市民も同じ思いであろう。しかし、オリンピック東京開催に関連して原発事故の放射能汚染除去を政府主導で勧めるという。そのために膨大な金額の予算を組むという。予算というのは国民の税金であり、公共性の高い企業とは言え、私企業に対して税金を投入することには説明が不足していると思うし、東電の考え方が何も発表されていないことも不満である。東電の役員や社員はこのためにどのくらい何を負担しているのだろうかと疑問も出てくる。そのことを明確に説明する必要があるのでは無いだろうか。国民一人ひとりは、速やかに放射能の対策を進めていくことに否やは無いと思うが、いろんなところで説明が不足していると思う。ここでもやはり筋を通して欲しいものである。


2夜続けてお月見としゃれ込みました(20130918)

2013年09月18日 23時38分03秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜に続いて今夜も月が煌々と下界を照らしている。今夜は13夜(月齢12.6)、月が昇り始めた17時過ぎに見たときは右下の方が何となくぼやけていたのと時刻を考えると満月では無いと思って家に帰って調べるとやはり前記の通りであった。あまりの明るさに1等星?しか見ることが出来なかったが今朝の3時頃には沢山の星が輝いていた。こんなに星が見えたのは久しぶりだったので感動した(年甲斐も無く?)。ベランダからの望天なので南側半分しか見えなかったが、いろいろな星座を見ることが出来た。たまにはこんな星空を見るのも楽しいものですね。

 若い頃、調査で行った鹿児島県の離島(与論島、沖永良部島等)や小笠原諸島の母島や父島の海岸で学生達と砂浜に寝転んで星を見ながらいろんなことを議論したことを思い出してしまった。沢山の流れ星を見たり遠い銀河のことを考えると人間の小ささが身にしみて感じられた。

 当時は研究に追われるように仕事、実験に多忙を極めていた。だから1年のうち延べ5週間ほどの調査旅行は自分を見直すいい機会であった。妻にはその間苦労をかけたので申し訳ないと思いながら、そんな時を利用して好きな星を眺めていると新しい力そしてアイデアが湧いてきたこともしばしばあった。私の研究分野と異なる研究をしている人たちから、公費で旅行が出来ていいですねなどと皮肉をいわれたこともしばしばあった。そんな時あのすばらしい星空を見せてあげたいと思ったものだ。そして調査の厳しさも味合わせてあげたいと思った。真夏の日中45℃の炎天下で鑿(のみ)とハンマーで石灰岩を削り取っていく作業は、塩をなめ水を飲み汗を滝のように流しながらの作業だったからだ。若い学生達は、苦情の一つもいわずによく付いてきてくれたと感謝している。そういう苦労の後で見る満天の星だから心の中に強烈な印象として残っているのであった。

 しかしそんな理由を付けなくてもいいじゃ無いですか、たまには星空を見ましょうよ。

 


台風一過(20130917)

2013年09月17日 12時06分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

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  今朝は屋根を叩き雨戸をならす雨の音も無く久しぶりに朝寝をしてしまった。カーテンを開けると真っ青な空が広がっていた。大げさに言えば日本晴れという快晴である。これぞ台風一過の晴天という景色だろう。晴天を見ると心も晴れ晴れしますね。と言って喜んでばかりいることは出来ない。台風のために被害を受け亡くなった方々にお見舞いとお悔やみを申し上げます。

   報道で見ると京都の桂川が氾濫したり、鴨川も溢れて市内へ濁流が流れ込んだりした。

 私の家は南斜面の高台にあるので洪水に遭うことは無い。しかし一昨日から昨日昼にかけて降った雨の量は相当なものであった。

 この台風によるわが家の被害は、南東角の2階からの雨水の立ち上がり間が外れ、取り込んでなかった鉢植えが数個倒れただけであった。わが家に関してはやれやれであった。写真はわが家の2階ベランダから写したものである。逆光になってしまったので、雨で洗われた樹木の色が見えないのは残念である。


台風18号の中心付近が当地を通過する予想です(20130916)

2013年09月16日 07時51分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

 きょう9月16日、台風18号が近畿以東で猛威を振るっている。とくに雨が記録的に降っている。そのために洪水が発生する危険水域が各地に出ている。

 1820130916当地は,3日前の記録的な大雨が乾かないうちに18号台風の接近である。3年前と同じコースをたどっている台風は当地付近を中心が通る予想である。そのためかゴーッという強風が雨戸に雨をたたきつけている。当地は、とくに台風進路の右側になるようで東南の強風が風音を立てている。電線がうなりを上げ雨戸をたたく雨が不安の中にもっこ地良いのは何故だろうか。3年前の台風では屋根がめくり上がり1部が、飛んでしまったのを思い出す。(上の図は気象庁の進路予想図を拝借しました)

 8時のニュース速報で台風18号は、愛知県の豊橋市付近に上陸したそうです。このまま予想通りに進むと、当地付近は台風の進路の右側になる最もいやなコースとなります。戸締まりをしっかりやって通過するのを待つことにします。

 

 


男の手料理?といえるかな「アジの天ぷらを揚げる」

2013年09月16日 07時04分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、近くのスーパーへ買い物に行った。野菜や肉などを買って魚売り場に来た。秋鮭が美味しそうだったのでそれを買い、生魚を並べてある台の上を見ると天ぷら用に開いてあるアジを売っていた。6枚で280円だった。それを買って帰った。今晩の主菜に天ぷらを作ることにした。

 アジだけではさびしいので,付け合わせにジャガイモ中1個、たまねぎ中1個、サツマイモ中3分の1、ナス1個を揚げることにした。サツマイモ分が多かったが、私の好物なのであえて加えた。油温を初め200℃にして材料を入れ表面をサッと固めておく。1分ほど後に油温を160℃に下げて3分ほど揚げる。こうすると衣の内部は素材が乾燥すること無くふっくらと上がる。

 揚げる順番は、初めにイモ類、次にナス、そして魚を揚げる、最後はタマネギの細切りにしたものをかき上げ風にした。衣材が残っているときは焼き海苔をサッと付けてあげる。総数24個も出来てしまった。

 付け汁を作って食卓へ並べた。やはり多く作りすぎたようで半分ほど残ってしまった。是は翌朝天丼にして食べることになっている。

 大根を買うのを忘れてしまったので、山椒でアクセントを付けたところこれが結構いけることが分かった。


今年も中学校の同期会に出席しました(20130911)

2013年09月11日 22時40分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

 9月5,6日と宮城県の松島で中学校の同期会に出席してきました。出席者数は約60人に及びました。女性が半数を超えているようでした。女性の起業家も多数いていろいろな話を聞くことが出来ました。この年の卒業生は欲しがりません時代を背負って強い意思で生きてきたせいか努力の結果を出している人が多数いました。嬉しいことです。それと宮城県の公共交通が少なくなった町の農家には、良き後継者が頑張っているようでした。

 しかし、私たちも寄る年には押され気味で、世話人がいろいろな事情で今回を最後にしたいといっているということがそれとなく伝わってきました。しかし明確な発表はありませんでした。皆さんは2人になってもやろうなどと冗談を言っていました。

 そんな話もあって,今回は出来るだけ多くの同期生と話をし握手を交わしましたが、今年も会いたかった人に会えなかったのが残念でした。

 蛇足ですが,拙著「その日から 子供の戦争・戦後体験記」を10冊持っていき同窓会受付脇で、付録の冊子(想い出話70頁、その日からの続編の一部80頁分)付きで売らせてもらいました。皆さんのご協力でたちまち完売してしまいました。

 東京・関東地区から参加した11人と仙台の方1人が参加して、恒例の2次会を福島県飯坂温泉の奥庭とも言われている穴原温泉で開きました。泊まったのは「花の瀬」と言うホテルでした。前回ブログに書いたように鹿鳴館風の室内装飾、置物などは面白かったですが、ホールいっぱいに下がっている大きな飾り電飾(シャンデリアという表現が当たらないと思います)は写真に写せない大きさでした。

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 窓下を見ると川にせり出している岩陰の水の中に白い魚のような影が見えました。尾ひれが泳いでいるように見えるのでどんな魚かと思っていると少し上流の方へ動きました。白い魚は自然には少ないと思っていましたが、もしかしたら池の鯉が逃げたのかと思いました。フロントの方に聞きますと、あれはしばらく前からあそこに浮いているポリ袋ですよということで,がっかりしました。枯れ尾花の例えを実感しました。

 家へ帰ってきて、さすがに疲れが出たようで土曜日は囲碁会にも行かずに写真の整理をしました。

 


秋になりましたねー(20130908)

2013年09月08日 12時02分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

 9月に入って、蝉の鳴き声も間遠になりました。そしてコオロギが鳴き始めました。天気は相変わらず不順が続いていますが秋霖に、台風や前線の影響が重なったので異常に感じたのかも知れませんね。

 そんななか5日から2泊3日の旅、松島と飯坂温泉で中学時代の同級会に出席してきました。松島のホテルでの中学同期会は77歳前後の高齢者が60人ほども集まり盛況でした。しかしこれが一応最後の機会と言うことになりました。というのは世話人もコワク(大変になると言う意味)なってきたからです。私Dsc00001は出来るだけ多くの友人と話をし、握手をしました。どこでも同じなのかも知れませんが、高齢者が3人寄ると健康の話というか病気の話が中心になります。そして60年以上も前の話になります。「あすこでおめーはこんなごとす(し)たなー」「うんだ」と話に花が咲きます。締めくくりは孫の話になります。中には4代目が生まれたという女性も

Dsc00009いました。久しぶりに聞いた郷土の言葉には聞き取れないところもありましたが、話の内容は受け取れましたよ。ホテルの食事にでたご飯が美味かったというと、農業を続けている友人が美味しいお米「ひとめぼれ」を毎月送ってくれることになりました。価格は当地のスーパーでの売価の65%ほどのようです(30Kg1袋が送料別に8千円位と言うことでした。玄米でも良いと言うことです)。

 さて次の日は、福島県飯坂温泉の奥にある穴原温泉「花の瀬」に関東地区の同期会で行きました。この宿は平成の初めに鹿鳴館を想定して建てられた瀟洒な建物でした。部屋もしっとりした和風造りで心が和むような気がしました。温泉はわずかに硫黄臭のある単純泉ですが、pH8.26とわずかにアルカリ性です。食事は多種類の素材を生かして美味しく、量は私でも余してしまうほどの盛りだくさんでした。食後は同じ部屋でカラオケを2時間ほども楽しみました。仲居さんは皆さん若くはつらつとしており言葉も丁寧で好感が持てました。宿泊代(12000円弱)の割にはかなり満足感のある宿でした。

 宿の窓下は渓流が流れていました。対岸には面白い地層の見える崖があり、去る3月11日の大震災で一部崩れたと言うことで川をせき止めそうになったと言うことでした。

 穴原駅(始終点)上の売店で黄色い桃を売っていました。この桃は食べ頃になるとマンゴーの香りがするそうです。当地で品種改良し、登録した品種と言うことでした。大粒が15個入ったものが3800円ということで買い求め朝食の後で食べなした。食べ頃は9日と言うことでしたが、2日前だったので、マンゴーの香りはしませんでした。売店名は「フレッシュみよし青果, Tel:090-5443-0719後藤」です。

 福島駅地階の売店で、栗本陣というお菓子を買いました。これも当たりの美味しいものでした。