寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記憶に残っている映画(31)「グラン・プリ」

2016年04月29日 22時35分07秒 | 寓居人の思い出話

 アクション映画を見る第一の目的?は、自分には到底

できない動き(動作)を疑似体験することにあります。

そこには超人的は働きをする、例えばスーパーマンやス

パイダーマンのような存在が登場します。彼らは人間に

とっては救いの主でもある場合が多いのです。

 アクション映画の魅力は必ずスピード感ある動きが出

てきますね。「グラン・プリ」という映画ではカーレー

スを題材に空いた映画ですから自動車のスピードが生命

になります。

 私はこの映画を見るまでは、自動車で競争するなんて

思ってもみませんでした。しかし、こんなことを言うの

は不謹慎と思われるかもしれませんが、ただ自動車がも

のすごいスピードで走っているでけでも面白いのですが

何かのアクシデントがあるほうがより面白いですね。

 この映画の中でもモナコの街中を走り回るのですが、

海岸沿い道路でハンドルさばきを誤って崖をよじ登り宙

返りして海に飛び込むシーンには圧倒されました。そし

てラストシーンでは、路面上に転がっていたどれかの自

動車のほんの小さな部品によって大きな事故が発生して

しまいます。

 この映画を見て、コックピットでのタイヤ交換やメン

テナンスの素晴らしい速さに目を見張りました。チーム

が一体となって優勝杯を勝ち取る。そこに命を懸ける男

たちの物語です。

 もちろんラブロマンスも設定されていました。

 私が初めてカーレースを映画で見たのは「渚にて」と

いう映画のラストシーン直前の場面でした。

 最後になりましたが、出演者は、ジェームス・ガーナー

イブ・モンタン、そしてアメリカ映画に初めて出演した

三船敏郎です。テーマ曲編集をカラべりがやりました。

 


彗星「Ochou]効果(1)

2016年04月29日 19時07分00秒 | 寓話

 2058年10月23日の未明、曽根修はいつものように水平

線上を北東から南西にかけて超高倍率の天体望遠鏡を動か

していた。

 曽根はこれまで42個の新彗星を発見して世界でも新彗星

発見王などと異名を付けられる存在になっていた。新彗星

発見発表会場で記者の質問に、もう妻以外の家族や友人た

ちの名前もみんな借りてしまい名前を何と付けようかと迷

っています等と冗談を言って集まった記者たちを笑わせた。

 自宅の屋上に設置した天体観測ドームで一晩中観測して

いた曽根は今日の観測を終了しようと思い、その日最後の

ビュウアーをのぞいてゆっくり動かしていった。この領域

の星の配置はすべて頭の中に入っている。なぜか変化がな

いことにホッとしている自分であった。しかし瞬きをした

瞬間いつもと違った微かな光点の存在を発見した。目をこ

すってみてもその微かな光点は存在した。考えるより先に

高解像度カメラのシャッターボタンを押して撮影していた。

写真は高速自動モードで30枚連続撮影するようにプログラ

ムしてあった。

  曽根は若しかしたら新しい彗星を発見したのではないかと

期待に胸が高鳴った。すぐにデータ室へ戻ってコンピュー

ターで発見した光点付近の詳細な星座図を開いて調べたが

該当するものは見つからなかった。曽根は東京第1天文台

へ新彗星発見の可能性を発見時刻と座標を添付してメール

で報告した。いつものことながらこれから忙しくなるなと

思いながら朝食をとりに一階のダイニングルームへ行った。

テーブルの上には妻の長子が作ってくれた朝食が用意され

ていた。長子はいつも愚痴も言わずに曽根のやっているこ

とを理解していた。

「今朝は何か良いことがあったのですか」

と妻が言う。

「もしかするとまた新彗星につながる光点を見つけたんだ」

「おめでとう。また忙しくなるわね」

「いつものことだけどよろしく頼むよ」

「でもこの頃は電話でなく、メールが多いから私はそんなに

忙しくならないわ」

 朝食を終え自室でいつものように睡眠を取ろうとベットに

入った。が、その朝はなぜか直ぐには寝付けなかった。やは

り少し興奮しているのだろう。TVのスイッチをオンにして

朝のニュースを見ているといつの間にか眠ってしまった。

「あなた、起きて下さい。東京から電話ですよ」

とインターホーンで妻の呼ぶ声に目を覚ました。まだ起こさ

れる時刻じゃないのにと思いながら、

「ああ、今何時だい」

「正午を少しまわったところよ」

「もうそんな時刻か」

「早く電話に出て下さいね」

「わかった」

 私は飛び起きてTV電話のところへ行き送受器のスイッチを

押した。

「もしもし、曽根ですが」

画面に映っている相手の顔には見覚えがなかった。

「あ、曽根さんですか。東京第1天文台の大導寺と申します。

お早うございます。いや今日はですかな」

「いいえ、お早うございます。いつもお世話になっています。

今朝のことでしょうか」

「そうです。いただいたメールを見て新彗星登録を受付けま

した。彗星の名前をお考えでしょうか。出来るだけ早く命名

して下さるようにお願いいたします。それから曽根様にもし

ばらく追跡観察して頂きたいと思います。またこちらでも追

跡したいと思います」

「はいありがとうございます。もちろんそうですね。軌道計算

などいろいろ解析しなければなりません。しばらくは追跡し

ていきます。それと新彗星は「Ochoh」と命名したいと思い

ます。よろしくお願いします。文字列はO,c,h,o,uです。ご連

絡ありがとうございました」

「奥様のお名前ですか。奥様もお喜びでしょうね。新彗星の

軌道追跡など世界中のコメットハンターが協力してくれると

確信しています。それでは取りあえず受理の連絡をしました」

「妻にはこれまでずいぶん苦労をかけてきましたので、一つ

くらいは名前を付けてあげようと思いました。よろしくお願

いします。ありがとうございました」

 こうして新彗星発見の手続きは終了した。曽根はいつもの

ことだがこれからやらなければならないことを頭の中でシミ

ュレートした。

 軌道計算にはまだデータ不足なのでこれから数ヶ月間追跡

が必要だろう。データを蓄積してから彗星の誕生からこれま

での経過を計算しなければならない。この作業は膨大なもの

になるので世界中の天文学者、いろいろな分野の専門家やコ

メットハンターに協力を依頼しなければならない。

  翌日の新聞各紙は、

「曽根修氏43個目の新彗星を発見」

「新彗星に長子夫人の名前を付ける」

  等と書き立てた。

  外国メデイアは少し冷静な取り扱いになっていた。

 新彗星発見から1ヶ月が過ぎ軌道が少しずつ明らかになっ

てきた。しかしこの彗星の明確な軌道を推測することはまだ

出来なかった。

  さらに時間が経過して新彗星の軌道計算が概算値ではある

が出来た。それによると新彗星の初源は冥王星軌道付近と言

うことになるのだがそんなことはあり得ないという天文学者

が多くいた。これは天文学にとって異常事態が発生したこと

になるのかもしれなかった。こんなことが報道されると、無

関心だった一般の人たちもいつ頃見えるようになるだろうか

と話題にするようになった。

 この間、世界中の大勢の天文学者が軌道計算を継続してい

たが、結論を出せるところまでいかなかった。どうやらこの

彗星は決まった軌道上を動いているのではなくゆれているよ

うな印象を与えた。

  研究者の間でいろんな報告がでるようになったのを機会に、

この彗星に関する研究集会が東京で開催されることになった。

世界中の天文学者が研究会に押しかけ自分の研究結果につい

て報告した。それに対して多数の質問やコメントが出され、

研究集会はこれまでに無いほどの熱気を帯びたものになって

いった。

 研究集会は激論に次ぐ激論を展開していたがなかなか結論

がでないので、W.C.トスカーニ国際天文学会長はさらに観測

を続けていき出来るだけ早く軌道を確定することを期待する

といい3ヶ月後に研究集会をアメリカ合衆国ハワイ州マウナ

ケアで開催することを宣言して閉会した。

 多くの意見を集約すると、一つの仮定ではあるが新彗星

「Ochoh」は通常の彗星ではないと推定される事が明らかに

なってきた。そしてもしかするとこの彗星は太陽系外から進

入した遊星の可能性がある。その件も重要事項として検討され

ることになった。

 報道によるとアメリカのUASAでは追跡衛星を打ち上げ

ることを検討し始めた。宇宙基地SSATでも観測を始めた。そ

れと宇宙望遠鏡を使用した観測も提案され宇宙深部の観測計

器の一部を変更して実行されることになった。

 しかしTVやネットニュース報道には次から次へと日常的

な事件や話題が提供されて、彗星「Ochou」のことはすっか

り影を潜めてしまった。

 


もったいない 何かの役に立つ?

2016年04月28日 13時52分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

 何かの記念とか、どこかへ行ったという方からいただ

いたお土産の包装材、あるいは自分でちょっとした買い

物の包装できれいな包装材の容器は何となく捨てきれな

いものがありますね。そのような容器は保存しておけば

何かに使えると思うことも捨てきれない理由になります。

 そういった容器が私の家にもたくさんあります。時々

処分しようと思うにですが、ついもったいないと残して

おく有様です。

 そんなにきれいでなくても、最近いろんなものを買う

と、ほとんど何重にも包装材が使われていますね。例え

ば、せんべいを買っても個別に包装されたものが大きい

袋に入っていますね。子供の頃の話ですが、母親に頼ま

れてトーフを買いに行く際には必ず鍋をもっていったも

のでしたし、お菓子は大きなガラスの器に入っていて秤

で計って売っていました。入れ物を持っていないと新聞

紙をノリで袋にしたものに入れてくれましたね。新聞紙

はかなり有効に使われていました。今でも下町のやおや

さんでは新聞紙の袋を使っているところがあるそうです。

 話を戻しましょう。きれいな容器を捨てきれずにとっ

ておいても結局使用せずに処分することになります。も

ったいないですね。このような消費生活をいつまで続け

ていくことができるのでしょうか。

 そのことを予言している人はたくさんいますし、数十

年後の世界を描いた小説や映画も数あります。こんなこ

とを心配する私も傘寿を過ぎて自分の将来を考え始めま

した。そのことはいつかこのブログに書くかもしれませ

ん。


古くなったPCの暴走?

2016年04月26日 08時28分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ブログ専用に使用していた自作のデスクトップコンピュ

ータが3日前に原因不明の暴走をしてハードデスクのデー

タを読めなくなってしまいました。その修復にまるまる2

日かかってしまいました。原因は判然としませんが時々こ

ういうことが発生します。自作してから数年間しか経って

いませんが、そろそろ更新の時期がきたのでしょうか。

 もうこの年で新しいPCをとも思うのですがこの年だから

とも思います。迷っている間ブログ用のPCを使用できず予

備のコンピュータを使って情報収集をしていました。

 私は仕事をしているときと異なり一日中PCの電源を入れ

ておくことはないので外部からの侵入のチャンスは少ない

と思うのですがなんともいえませんね。これからもセキュリ

テイには十分配慮していきます。


地震・カミナリ・火事・親父 

2016年04月23日 16時38分55秒 | 日記・エッセイ・コラム

 少なくとも私の子供の頃は、地震・カミナリ・火事

・親父という言葉はよく聞く言葉でした。最近はこの

中から最後の親父が抜けるようになってしまいました

けれども。

 九州熊本県を中心とする活断層地震は依然として続

いていますが被災者の方々は頑張ってください。

 さて、気象庁の情報によると図を見るように日本全

国でも非常に多数の地震が発生していることが分かり

ます。熊本周辺の地震は素人目には少しだけ落ち着い

てきたようにも見えますが、専門家がよくわからない

と言っていることをどうのこうのと言える訳がありま

せんね。気象庁サイトには下のようなデータが出てい

ます。

  

 さて、我が家の近くに1923年に発生した大正関東大

地震の震源域があります。

   

 大正関東大地震も複数の震源があったようです。当時

の専門家はデータ不足の中で検討をした結果このような

結論を出したようですが、統一されてはいないようです。

この時の余震も大きなものがありましたがデータは9月

2日までしか記載されていません。我が家の近くにも大

正大地震の震源の一つと考えられる断層があります。我

が家からの距離は直線距離で1kmしか離れていません

が、地震発生後そろそろ100年になります、気を付けな

ければなりません。

 桜はすっかり葉桜になってしまいました。


記憶に残っている映画(30)「恐怖の報酬」

2016年04月22日 13時43分50秒 | 寓居人の思い出話

 火が燃えるというのは、燃える材料があって、空気

(酸素)があってある程度の温度に達したとき燃焼とい

う現象が起きます。逆に燃えている火を消す方法は、

上記のどれかを不足させればよいということになりま

すね。

 私はこの映画を見るまで疑問に思っていたことがあ

りました。それは石油を掘っている油田で火災が発生

したときどうやって消火するのだろうということです。

 あらすじはベネズエラへの移民たちが仕事もなく、

ブラブラしているとき500km離れたところにある油

田で火災が発生した。消化のためにニトログリセリン

を火災現場へ運ぶために2000ドルで運転手を募集す

る。それに4人の食い詰め物が応募した。凸凹の山道

を運ぶ4人の運転手の恐怖がいろんな形で表現される。

 結末は書きませんが、イラク戦争当時イラクの油田

火災を同じ方法で消し止めたのを思い出しました。

 主役はイヴ・モンタン、シャルル・ヴァネルです。

私の記憶ではジャン・ギャバンだと思っていたのです

が、記憶違いでしょうかね。別の映画と混同している

のかもしれません。


TVドラマも面白いものが出てきました

2016年04月21日 21時57分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

 犯罪を主題にしたTVドラマに少し失望していましたが、

火曜日夜10時から放送されるドラマがおもしろいですね。

題名は「重版出来」といいます。出演者の名前までは覚

えていませんが、とにかく面白いのですね。出版社とい

うテーマも斬新ですね。原作は漫画だそうです。

 何しろ明るい主人公の性格がいいですね。わき役陣も

いい仕事をしています。

 皆様も夜遅い番組ですがぜひご覧になってみてください。

 


記憶に残っている映画(29)「眼下の敵」

2016年04月20日 16時13分14秒 | 寓居人の思い出話

 「眼下の敵」、この映画は私の見た多数の映画の中

でも非常に特殊な映画の中に1本になっています。ど

ういうこ尾とかと言いますと、この映画には一人も女

優が登場しないことです。それでも男臭いという感じ

は全くしないのです。

 映画のあらすじは、第2次大戦中のことですが商船

の船長(ロバート・ミッチャム)がフリゲート艦に船

長として着任するところから始まります。前から乗り

組んでいた船員は初めはこの船長を敵を見たら逃げ出

すんじゃないかとか言って馬鹿にしていました。しか

し徹底的に戦闘訓練を実施して乗員のたるんだ気持ち

を鍛えていきます。

 乗員が時なしの訓練にうんざりしてきたころに、レ

ーダーに不審なエコーが現れます。これを追尾しだし

たところこのエコーは執拗に一定の方向に向かってい

ることに気づきます。なおも追尾するとエコーは方向

を変える退避行動をとるようになったために、Uボー

トと判断して接近していきます。やがてUボートから

魚雷攻撃を受けたためにフリゲート艦も追いつくと爆

雷攻撃を行います。

 Uボートの船長(クルト・ユルゲンス)との間で心理

戦ともいえる戦いが始まりました。その頃にはフリゲ

ート艦の乗員はこの船長に絶対の信頼を持っていまし

た。Uボートでも同じでした。

 最後は戦いが終わった両艦の船長が救助された米艦

の艦上で握手をする場面で幕が閉じられます。

 とにかく面白い映画です。両館の船長ともに戦争に

うんざりしていますが命令には従う。したがう以上は

完全に任務を遂行する。そして部下の生命を預かる責

任も最重要とする。これは戦争映画を借りた男のロマ

ンスです。といっても私は決して戦争を肯定するもの

ではありません。


久しぶりに快晴になりましたね

2016年04月19日 12時02分06秒 | 日記・エッセイ・コラム

 桜が咲き始めてから、快晴になることがありません

でした。今日は久しぶりの快晴です。桜の咲く時期は

花曇りなどと言って昔から良い天気に恵まれなかった

のですね。それでも悔しいから花曇りなどと言って粋

がっていたのでしょうか。

 最近は地震のニュースが続いてなんとなく明るい雰

囲気になりませんでしたが、九州の方も良い天気にな

っているとよろしいのですが。

 気象庁の天気図を見ますと、2、3日は晴天が続きそ

うですね。この間に少しでも被災後の後片付けができ

るとよろしいですね。支援物資が滞りなく被災者に届

くように自衛隊をはじめ県市町村の職員やボランテア

の方々が頑張っているようですが、まだまだ人員不足

のようですね。ボランテアの方が現地へ行けるように

別の支援をしたいと思います。

 それにしても報道によれば、共産党の被災者のため

の募金だと思っていたものが共産党への募金と同じ封

筒を使っていたので区別ができなくなっていたという

のはお粗末の域を出ないですね。何かやり方が姑息で

嫌になってしまいました。

 


未経験の自然現象

2016年04月18日 22時56分49秒 | 日記・エッセイ・コラム

 自然の力は人間の予想をはるかに超えるものがあり

ますね。今回の熊本県を中心とした群発地震はこれま

で経験したことがない現象ということです。被災者の

皆様にはお見舞い申し上げますとともに犠牲になられ

た方も多数出てしまいましたが、併せてお悔やみ申し

上げます。

 避難生活は大変なご苦労があることと思いますが、

政府はじめ多数の団体が対応を急いでいるようですの

でもうすぐ必要な物資がお手元に届くことともいます。

 私は被災者の方々の様子をTVで見守っていますが、

私に何かお手伝いできることができましたら直ちに行

動したいと思います。といっても高齢のために現地へ

行ってお手伝いできるとは思えませんので、最低限は

このブログでお元気が出るようなことを記事にしてい

きたいと思います。

 今は大変でしょうが将来に希望をもって頑張ってい

ただきたいと思います。