寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

 地震速報"震度5強”を体感しました

2015年05月30日 21時22分50秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先ほど20時24分頃、小笠原諸島父島西方を震源とするM8.5の

大きな地震が発生しました。津波の心配がないということでホッとし

ています。報道によりますと、わが町は震度5強と報道されましたが

体感的にはせいぜい震度4くらいではなかったかと思います。棚から

物が落ちることももありませんでした。ただ揺れ方がゆったりして上下

左右に回るようでしたので船酔いのような気分になりました。

 大勢の方から地震お見舞いを頂きました。お心使いありがとうござ

いました。幸いにも家族共々心身共に平常に保っています。

 日本列島はこのところ、地震や火山噴火が頻発しているような気が

します。プレートの動きが活発になってきたのでしょうかね。

 先ほどからわが町の上空をヘリコプターが旋回しています。災害発生

がないかどうかを監視してくれているのでしょうか。ありがたいことです。

 災害発生時には先ず心を落ち着けることが大切ですね。そうすると周

囲の状況を的確につかむことが出来ます。そうして的確な判断による行

動をしましょう。

 

 


口之永良部島火山噴火について

2015年05月29日 21時45分24秒 | 日記・エッセイ・コラム

 鹿児島県屋久島の北西12Kmにある口之永良部島の新岳が

噴火したと報道されました。噴煙は1万メートルを超える高さまで

噴きがったという。

 島民は全員無事屋久島へ避難したという。不幸中の幸いでした。

 口之永良部島はその北の桜島、韓国岳そして阿蘇山に連なって

いるのかもしれませんね。

 南に行くと、トカラ列島に連なり、有名な諏訪之瀬島があります。

この島は船乗りの間で自然の灯台といわれるほど頻繁に噴火し

ているということです。そしてトカラ列島の島々には温泉が湧出し

ているといいます。

 屋久島から台湾にいたる南西諸島は、ユーラシアプレートとフィ

リッピンプレートが重なっている地域です。そのために毎日無数の

地震が発生しています(気象庁サイトの各種データ・資料参照)。

 その1部を拝借して示しました。20150528の日本付近で発生

した地震、丸の大きさはマグニチュードの大きさを表している。

 2つのプレートがぶつかり合う西側に活火山が存在しています。

口之永良部島や諏訪之瀬島はそれらの例です。

 気象庁のサイトには気象・地震・火山等の過去から現在までの

データ・資料が表示されています。興味のある方は一度気象庁で

検索して見ると面白いですよ。

 思い出話ですが、ハワイへ行ったとき、小型機による島巡りをし

ました。キラウェア火山を上から見ると”たらい”のような形をして

いました。火口の上空でエアーポケットに入ってしまい飛行機が

すとんと落ちました。客は天井に頭をぶつける有様でした。火口

に墜落しないでよかったと思いました。

 

 

 


国際関係と集団的自衛権にもっと関心を!

2015年05月27日 22時40分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

 世界各地で国と国の間、あるいは国の中で戦争のような状態が

続いている。その原因はいろいろあるのだろうが、最大の原因は

経済問題と思うのだがどうだろうか。しかし更に原因を掘り下げる

と、根本的な事実が見えてくる。それは人口の極端な増加であろう。

 私は以前若い人たちと話をしていたときに、あり得ない話ではあ

るがと前置きして、地球上の有機物の多くが人間になってしまうか

もしれないと。

 SFの世界ではかなり前からそういった問題が取り上げられていた。

増大した人口を養うために耕地を疲弊するまで酷使した結果、雑草

も生えないようになってしまった。政府は食糧確保のために海洋を

利用することにした。その海洋も海藻さえ生育しないようになってし

まった。そこで至る所に溢れるように住んでいる人間を.....。

 「ソイレントグリーン」という映画にはその様子が描かれている。

 地球上で生物が生存していくことの出来る総質量はどのくらいな

のだろうか。

 これまで、人口が増加すると食料はじめ生活必需品を効率よく生

産する方法を考え出してきた。しかしそれはいずれ限界になるので

はないだろうか。

 1940年頃の世界人口はおおよそ25~27億人と推定される。現

在は72億6千万人に迫っている。数字に少々幅があるが、この75

年間で約3倍になった。昔風にいうならば、今や人口は幾何級数的

に増加している。

 地球上に各種資源はあと数十年で枯渇されるといわれ続けている

が省資源や資源再利用は努力をしていものの遅々として進んでいな

い。各種資源の枯渇問題がまた戦争や紛争の原因になっている。

 資源獲得を巡る紛争の重大部分は水面下で進んでいるようである。

 我が国は、今重大な岐路に立っているような気がしてならない。それ

は戦争放棄するという憲法を改正しようとする動きや、どのようにも解

釈可能な気のする集団的自衛権に関する問題が国会で議論されてい

る。これは我々国民が重大な関心を持って見はらなければならないこ

とである。過去の悲惨な歴史を繰り返さないためにも。

 

 


書籍紹介「仙台藩士 幕末世界一周 玉蟲左太夫外遊録」

2015年05月26日 13時08分30秒 | 日記・エッセイ・コラム

仙台藩士 幕末世界一周 玉蟲左太夫外遊録
著者:玉蟲左太夫(訳:山本三郎)、発行所:有限会社 荒蝦夷
初版発行日2010年8月30日、514頁 定価:2100円(税別)

 本書は、1859年(安政6年)幕府は日米修好通商条約の批准書

交換のために外国奉行兼神奈川奉行だった新見豊前守正興を初

めとする77名に上る使節団をアメリカのワシントンへ派遣した。そ

の顛末を、その中の一人目付小栗豊後守忠順の従者として仙台

藩士玉蟲左太夫が随行した。玉蟲左太夫は、出発から帰国まで

の道中での出来事や観察したことを詳細に記録した。

 使節団の行程は築地に集合して品川沖に停泊中のポーハタン

号に乗船するところから始まった。ハワイ→サンフランシスコ→

パナマ運河→フロリダ→ニューヨーク→ワシントンと旅をした。ここ

でアメリカ大統領と会見し批准書を交換して大役を果たした。その

後大歓迎を受けた。

 帰国への道中はアフリカ西岸の地域(国々)を見学し喜望峰を

回ってジャワ島、香港、琉球を経由し横浜に着岸して帰国した。

 その途中の天候、地域の様子、人々の生活の様子、物価、そし

て見学した産業施設等々詳細に記録している。物価や労働者の

賃金なども細かく調べている。更に出費についても詳細に記録し

てある。例えば、米1升1ドル、鮭1尾5ドル等々でいうように。

 本書の総てを紹介することは出来ませんが、幕末の時期に世界

の様子を詳細に記録した見聞録は珍しく重要な資料として一読の

価値があると思います。

 


トンカツの作り方を少し変えてみました

2015年05月24日 23時12分17秒 | 男の手料理といえるかな?

 今夕の食事のおかずは、買い物に行けなかったので冷凍庫

にあった豚ヒレ肉の輪切り6個と昨夜のイナダ刺身の残り10

切れを揚げ物にしました。

 トンカツを作るときには予め自然解凍しておくのですが、今日

は昼間忙しく解凍できませんでしたので電子レンジで解凍しま

した。

 肉の水分を軽くキッチンペーパーで拭き取り、小麦粉を軽くま

ぶして、溶き卵を付けてパン粉を付ける。通常はここで揚げるの

ですが、今日は卵とパン粉を2度付けてから200℃に設定した

油で7分間揚げました(私はもっと低温の方がよいのですが妻

が高温にして欲しいというので200℃にしています)。

 イナダはカタクリ粉を入れたポリ袋に入れて両手で持ち上げ

るようにまぶしました。トンカツの後で同溫で揚げました。

 通常、米飯はあまり食べないので、ジャガイモ中2個、タマネ

ギ中1個と焼き海苔の揚げ物も作りました。

 トンカツは気のせいかふっくらと揚がり美味しかったですよ。

 この方法は一般的なのかもしれませんが、カロリーは高くな

りますね。カロリー制限をしている方にはお薦めできませんが、

量を少なくすればよいでしょう。今日は1人2切れにしました。

キッチンにカメラを持って行かなかったので写真はありません。

 次回から出来るだけ写真を付けます。

 

 

 

 


友人(孔治君)の消息

2015年05月22日 15時33分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

  大学で1年後輩の友人の消息が掴めなくなりました。彼は物理学

科の優秀な学生でした。学生時代の彼は勉学の傍ら柔道部で活躍

すると同時に囲碁クラブにも在籍して高段者(当時既に5段)になっ

ていました。

 物理学科を卒業する前に上級国家公務員に合格しており、国の

航空宇宙関係の研究所に入庁しました。

 彼の話によると、彼と私の出合いは、私は気がついていなかった

のですが学生囲碁クラブだということでした。それともう一つ、柔道

場の隣に卓球部の練習場があり、私は卓球部に所属していました

が、柔道部の同級生に受け身などを教わっていたときにも会ったと

言うことです。

 そんな関係で、彼は私を彼の所属している研究所の外来研究員

に呼んでくれたのです。というのは彼の上司(N氏)が、私の研究発

表に大変興味を持ち私と話をしたいと言うことで会いに行きました。

N氏は航空宇宙関係の学会で発表した私の研究内容が、N氏がこ

れから始めようとしているプロジェクトの中心になるような内容だっ

たと言い、ぜひ準備委員に入って欲しいと言うことになりました。そ

の後、彼とN氏とは永年お付き合いさせてもらいました。

 その中で彼は何かと私をたててくれました。その後、彼は青森県

の研究所へ移動し新しいプロジェクトを立ち上げ私も微力ながらお

手伝いさせてもらいました。宇宙環境の学会で私が受けた名誉は、

彼のお陰と感謝しています。

 その彼の消息が不明になってしまったのです。お互い結構な年

齢になったので一度会って昔話に花を咲かせ、碁を打ってみたい

と思う今日この頃です。

 友人の消息が取れなくなるケースが増えてきました。寂しいこと

ですね。

 


画眉鳥の季節がやってきました

2015年05月22日 13時39分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 4日前から、がなり立てるような大声の鳴き声
が聞こえてきました。
 まだ鳴き込んでいないので長続きしない若い鳥
のようです。
 そうです今年も画眉鳥がやってきたのです。
これからしばらくの間、あの鳴き声を聞くことに
なりました。
 ここで私の勘違いを訂正しておこうと思います。
私は、画眉鳥という鳥の名前を蛾眉鳥とかいてき
ました。それともう一つ、画眉鳥を渡り鳥だと思
っていたのですが、実際は観賞用に飼われていた
鳥が何かの事情で放鳥され留鳥になったと言うこ
とでした。
  つまりペットを人が何かの事情で飼育放棄した
ということです。
 下の画像はウィキペデイから拝借したものです。
目の周りから後ろへ白い眉状に流れる模様が名
前の由来と言うことです。
 

 以前はウグイスと同じように鳴き競べが目的で
飼われていたと言うことですが、その鳴き声があ
まりにも大きく近所迷惑と言われたそうです。
 わが町は雑木林の茂っている山が多く、1羽の
画眉鳥がなくと町中に響き渡るような気がします。
 ところで、わが家の周りに来て鳴いていたウグ
イスの鳴き声がいい音色になってきました。メスを
求めるオスは鳴き声が勝負ですからね。もう少し
いい音色を出すように練習して欲しいものです。


家庭料理の味の変化

2015年05月21日 21時01分06秒 | 男の手料理といえるかな?

 ”お袋の味”という言葉がありますね。例えば私の母は明治生

まれなのですが、肉じゃがが得意でした。煮ているうちにジャガ

イモの角が取れて全体が少しどろっとしていてそれがタマネギと

肉とマッチしてえもいわれぬ味になっていました。それともう一品

煮凝りは冬になるとわが家の名物になっていました。

 私は大学の授業で夏休み中の2週間調理学実習というのを受

講した経験があります。包丁の使い方から調味料の話、料理は

卵焼きから魚の3枚おろし、お作り、デコレーションケーキや腸詰

め、ハムなど実習で作りました。

 職を退いて何かやることが無いかと思っていましたが、わが家

の親父の味を作ろうと思い立ち炊事を引き受けることにしました。

母のようになるには時間が足りないかもしれませんがわが家の

味を作っていこうと思います。出来るだけ私の創作料理を心がけ

ようと思います。出来上がった者は写真入りで報告したいと思い

ます。

 

 


大阪都構想への再挑戦を促す

2015年05月18日 22時14分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の「大阪都構想」の賛否を問う投票の結果、橋下代表の提案は

否定されてしまった。その結果を受けて橋下氏は現職の大阪市長職

の任期満了後は政治から引退すると表明した。

 賛成/否定の差は約1万票ほどであったという。しかも若い人達は

賛成に投票した人が多かったという。つまり勝手な解釈かもしれない

が将来の大阪を担う人の多くは「大阪都構想」に賛成だった。

 それなら、これから5年10年後には大阪都に変えて再生することが

出来るのではないだろうか。一回の投票で敗れたからといって自分た

ちで考えた最良の提案を諦めてしまうのだろうか。その程度の決意な

ら初めからやらなければよかったと思う。一回で賛成多数を得られる

と思っていたのだったら、それは社会を甘く見ていたのではないだろう

か。そして酷い言葉で言えば社会をなめてかかっていたこといなるの

ではないだろうか。

 政治から引退するなどといわずに、再度投票を望むことがプロの政

治家だと思うのだが。橋下氏の再考を促したい。

 蛇足をいえば、与野党がこぞって反対に回るというのはどうだろうか。

しかも、これまで絶対に手を組まなかった共産党とその他の党が連合

を組むというのは、それほど大きな利害が絡んでいるということなのだ

ろうか。もう大分前のことであるが、相反する相手と手を組んだ政党を

野合だなどと言って避難ともつかない論戦をはったのを思い出した。


お上りさんになってしまいました

2015年05月15日 22時24分30秒 | 日記・エッセイ・コラム

 久しぶりに元同僚と会うことになりました。東京は銀座にある

創作和食の店で食事をすることになったのです。今日も気温が

高いということで真夏の格好をして家を出て、近くのJR線の駅

から列車に乗り約70分間で東京駅に着きました。有楽町へ戻

るために山手線のホームへ行き、電車を待っているとホームに

電車が入ってきましたのでそれに乗り、隣の駅だったのですが

座席が空いていたのですわりました。ところがその電車は京浜

東北線だったのですが有楽町駅を通過し、更に新橋も通過して

しまったので驚きました。しかし騒ぎ立てることなくふつうの様子

をしていました。そうしたら浜松町駅でやっと停車しました。

 この時間帯は都心部を通過することになっていたのですね。

 素知らぬ顔をして浜松町駅から引き返しす山手線に乗ったとこ

ろ30代前半の男の方が席を譲ってくれましたがお礼をいって遠

慮しました。そして有楽町駅に着いたので下車しました。

 ここで電車について気がついたのですが、パンタグラフの形が

菱形だったのにその半分を取り去った形をしていました。いつの

間にか世の中が変化しているのですね。

 西銀座デパート?の東側にあるチャンスセンターの所のある特

定の窓口にはには沢山の人が長い列を作っていました。ここは

変化していないのですね。

 食事は銀座志(こころ)という店でした。昨年以来の話をしながら

次々と出てくる料理をたべました。フト気がついたのですが、真丈

のダシは鰹節の香りはふんわりとただよい美味しかったですね。

私の作るものとはダシの量が違うことが分かりました。

 銀座にはこのようなこぢんまりとした食事処が沢山あるのですね。