寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

ミノタン月世界へ行く

2011年06月26日 22時57分02秒 | 子供のための科学のお話

 ミノタンは、おばあさんが読んでくれる昔話がとっても好きです。
 きょうもおばあさんにお願いして、丸いお月さまを見ながら昔話を読んでもらっています。
 

 昔、京の近くのあるところに、おじいさんとおばあさんが仲良く住んでいました。
 おじいさんとおばあさんは、竹を使ってカゴやザルなどをつくり、それを京へ売りにいって生活をしていました。
 ある日、おじいさんは、竹やぶへ竹をとりにいきました。
  おじいさんは、どの竹を切ろうかなと竹を選びながら竹やぶのなかを歩いていました。
 すると、おじいさんは、下の方が光っている 一本の竹を見つました。
 おじいさんは不思議に思って、竹のねもとの方をていねいに切ってみました。すると、竹の中に、とてもかわいい小さな女の子がいました。
 おじいさんは、その女の子をそおっと竹の中から取り出して、急いで家へ帰りました。
 「おじいさん、きょうはずいぶん早く戻ってきましたね。良い竹が見つかりましたか。」とおばあさんは、おじいさんにききました。
 おじいさんは、小さな女の子をおばあさんに見せながらいいました。
 「きょうはとっても不思議なことがありましよ。このかわいい女の子が竹の中にいるのを見つけたので、急いで戻ってきたんだよ」
 おばあさんは、その小さな子をひとめ見ると、とっても好きになり、神様が私たちに授けてくださったのだと感謝しました。
 そして、おじいさんと二人でこの女の子を大切に育てることにきめました。
 おじいさんとおばあさんは,その小さなかわいい女の子をかぐや姫とよぶことにしました。
 おじいさんとおばあさんは、かぐや姫を毎日まいにち大切に育てました。
 かぐや姫は、おじいさんとおばあさんに大切に育てられて、どんどん成長していきました。
 かぐや姫は、成長するにつれてますます美しくなり,その美しさはたいへん評判になり遠くの人たちも見にくるようになりました。
 おじいさんもおばあさんも、とても幸せな毎日を過ごすことができました。
 かぐや姫は、とても幸せでしたが、ある年の秋が近づくと少しずつ悲しそうな顔を見せるようになりました。
 おじいさんとおばあさんは、とても心配になり、かぐや姫にどうしてそんな悲しそうな顔をするのかをききました。 
  すると、かぐや姫は目に涙をいっぱいためながらいいました。
 「おじいさんおばあさん、わたしはもうじき月の世界へ帰らなければなりません。月からお迎えの乗物がきます。おじいさんとおばあさんにはとても大切にしていただいたこと、そしてこんなに大きくなるまで大事に育てていただいたことをたいへん感謝しています。でも、こんどの十五夜の夜にはどうしても月へ帰らなければなりません。」
 おじいさんとおばあさんは、とても驚きそして悲しくなりました。
 なんとか、かぐや姫を自分たちのところにいつまでもとどまるようにお願いしましたが、かぐや姫は月へ戻らなければならないわけを話してくれませんでした。
 そしてとうとう、かぐや姫が月へ戻らなければならない十五夜がきてしまいました。
 かぐや姫は、それはそれはりっぱな乗物にのって月へ帰っていきました。
 おじいさんとおばあさんは、とても悲しくなりましたが、かぐや姫が幸せになってくれることをお祈りしました。

  ミノタンは、いつのまにかかぐや姫といっしょに月の世界へきてしまいました。
 「月の世界へ、ようこそお出でくださいました。ゆっくり楽しんでください。」とかぐや姫がいいました。ミノタンは、いつの間にか宇宙服を着ていました。

 「あー、待って、僕はどうしたらいいのか教えてよー。」とミノタンは言いました。
 ひとりぼっちになったと思ったミノタンは、ふと気がつくとそこには宇宙服を着ているミノタンのママがいました。そして宇宙船の船長さんもいました。安心したミノタンは、お空に青くとてもきれいな星が浮かんでいるのを見つけました。
 「きれいだねー」とミノタンがいいました。
 「ほんとにきれいねー」とミノタンのママもその星の美しさに感動しました。
 「あの青い星は、ミノタンやママや船長さんが住んでいる地球だよ。
 あの青いところは海で、白い綿のように浮かんでいるのは、お空に浮かんでいる雲だよ。」
  ミノタンもママも、きれいな地球にみとれているうちに、かぐや姫はいつのまにかいなくなっていました。
 ミノタンは、宇宙服をきていました。もちろんママも船長さんも宇宙服を着ています。
 「ミノタン、すこし飛び上がってごらん。」と船長さんは、ミノタンに いいました。
 ミノタンは、ママと船長さんに両手をつかんでもらって、すこしだけ飛び上がってみました。
 するとミノタンは、船長さんの肩のところまで高く飛び上がることができました。
 こんどは手をはなしてもらって飛び上がってみました。するとどうでしょう、ミノタンは、ママや船長さんの頭の上まで飛び上がることができました。
 そしてゆっくり降りてきました。船長さんは、ミノタンをやさしく抱き留めてくれました。
 「ママ、ぼくってすごいでしょう。こんなに高く飛べるんだから、オリンピックの選手なれるね。」
 「そうね、ミノタン期待してるわよー。」
とママはいいました。
 「船長さん、どうしてこんなに高くまで飛べるの。」、とミノタンは、船長さんにききました。
 「ミノタンは、いいことに気がついたね。それではどうして高く飛べるのか教えてあげよう。
 月では同じ物が、ミノタンたちの地球の重さの約7分の1になるんだよ。だから、ミノタンは地球で体重が14 Kgだとすると、月では2 Kgになってしまうんだよ。だから高くまで飛べたんだね。」と船長さんは教えてくれました。
 「ママも飛んでごらんよ。」とミノタンはいいました。
 ママが飛ぼうとすると、船長さんはママに
「軽く飛んでみてください。おもいっきり飛ぶと危険ですから。」といいました。
 ミノタンのママも軽く飛んでみました。そうすると、ママはスローモーションの映画を見ているようにゆっくりと上にあがり、ふんわりと降りてきました。
 ミノタンは、宇宙服を脱げばもっと高く飛べると思いました。
 そして宇宙服を脱ごうとしました。すると、船長さんが、あわてて「ミノタン、宇宙服を脱いではいけません。」といいました。
 「どうして?」とミノタンはききました。
船長さんは、やさしくミノタンに説明してくれました。
 「月の世界には、みのたんの地球とちがって、空気が無いんだよ。だから、宇宙服を脱ぐと空気が吸えなくなって苦しくなってしまうんだよ。宇宙服には、空気の入れ物がついているでしょう。だから、息苦しくならないんだよ。」
  ミノタンは、青い地球やお空いっぱいにちりばめられたたくさんの星を見ることができる月の世界が、とっても好きになってしまいました。そしていつまでもお空の星や青い地球を眺めていました。
 しばらくたつと ミノタンはのどがかわいてきました。そしてママにいいました。
 「ママ、のどがかわいたよ。」
 ママは、どうしたらよいかわかりませんでした。
 すると、船長さんが、ミノタンの宇宙服スイッチを押しました。
 すると、宇宙服の中で、口のところにチュウーブのはしがでてきました。
 「ミノタン、そのチューブのはしを口で吸ってごらん。」と船長さんがいいました。
 ミノタンは、船長さんにいわれたとおりにしました。すると、チューブからミノタンの大好きなオレンジジュースを飲むことができました。
 「わー、おいしー、ママも飲んでごらん」とミノタンは、ママにもすすめました。
 ママもチュウーブからオレンジジュースを飲みました。
 しばらく、ミノタンは月の世界を歩きまわりました。
 ミノタンは、少しはしゃいでいたので、疲れてしまったようです。そしてママの背中に背負われて眠ってしまいました。
 おばあさんが昔話の絵本を読み終わってみると、ミノタンはいつのまにか、おばあさんのお膝に頭を乗せて寝てしまいました。

 「ミノタンこれでかぐや姫のお話は終わりですよ。おやおや、ミノタンはねむってしまいましたね。」と、おばあさんはミノタンにやさしい目をむけました。

 ミノタンは、かぐや姫と一緒に月の世界へ行き、とっても楽しい月の世界を探検した夢を見ていたのでした。

 


東日本巨大地震関連(6) 福島原発関連

2011年06月20日 21時48分26秒 | 日記・エッセイ・コラム

  福島第1原発事故を誘発した大地震対策や津波の大きさを過小評価していたことなどを考え合わせると、作業従事者の健康管理が杜撰にならなければよいと思っていた。

 しかし、恐れていたことが現実になってしまった。放射線被曝を防御することは、放射性物質を取り扱う作業をする方にとってもっとも注意しなければならないことである。そういう意味で線量計は各自が携帯しなければならないことである。ところが全員に行き渡るだけの数量の線量計が無く、線量計を携行しない状態で現場作業をやっていた人がいたという。通常運転の際は勤務が交代制になっているのでおそらくは不足状態にはなっていなかったのだろう。しかし緊急時には多数の作業員が作業することになるので全員に携行させることが出来なかったということだろうと推測する。その結果、基準値以上に被爆してしまった方が8人も出てしまった。いやもっといるのかもしれない。

 以前、東海村のJOC被曝事故があった際も放射線に関する知識もなく、基本的な教育も受けていない下請け企業の作業員が、防護服の着用もなく16kgのウランの加工作業中に臨界事故が発生した。そのために多量の放射線を被曝し2名が死亡し、救助隊員や現場に駆けつけて作業した社員、さらには周辺の一般居住者にも被爆する方がでた、と報道された。

 この事故は、ウランからでた中性子による被爆であったために、より深刻な状態になり、10km以内の居住者にもいろいろな制限が実施された。余談であるが、この事故で発生した中性子あるいはγ線が、百km以上離れている横須賀市にある,ある施設で観測されたということを聞いた。放射能事故は事故原因によって影響を受ける範囲が著しく広くなることが判る。

 放射線被曝の可能性が高い空間での作業をするのは、作業員の承諾を必要とするのかどうか不明であるが、作業内容に関して詳細な説明が必要であろう。当然企業はそうしていることと思う。作業員がその作業内容について理解し承諾し作業に従事したとして、あるいはそれを怠って作業をさせたとしたら、作業員の健康および放射線管理をおろそかにしたとして企業は責任を負うことになるのは当然だろう。

 福島原発で安全のために活動されている方々、本当にご苦労様です。くれぐれもお体に気をつけて下さい。また、放射線被曝線量を管理している方々、作業する方々の放射線被曝防御とそれでも受けてしまう被爆線量の管理をきちんとやって下さい。そして健康管理はきっちりやって下さい。

 筆者も若い頃、仕事の関係で、出力100kwという研究用の小型の原子炉を利用していたことがある。そのときの放射線被曝量の管理をやって下さった原子力研究所の方は非常に厳格に線量計の装着や積算被曝量などの管理を実施して下った。また、そこで仕事を始める前には必ず「安全教育」を実施してくださった。た。健康管理のために行う健康診断などもきちんと受けるよう指導して下さった。今になっても、有り難うございましたといいたい気持ちである。


男の手料理(といえるかな?) (3)

2011年06月07日 16時46分11秒 | 男の手料理といえるかな?

 料理を作り出すと、はるか昔、母の作ってくれた総菜を作ろうなどと思うようになる。太平洋戦争中には、どの家庭でも母親が総菜を作るのが当たり前であった。筆者の家でも例外ではなく、母はいろんなものを工夫して美味しいものを作ってくれた。

 筆者は、母の味を思い出して鰯のツミレを作ろうと発起した。早速近くのスーパーへ行って25cmほどのウルメイワシ5尾入りのパックを買ってきた。素手で頭、背骨、内臓、尻尾を外して、4つ切りにしてすり鉢に入れて、その上から細ネギを細かく刻んだものを入れ、山椒の粉を少量振りかけて香り付けをしてからすりこぎですり身を作った。この部分が筆者の子供の頃のいつもやっていた手伝い部分であった。

 すり身を大きめのスプーンでひと掬いして手のひらの上で転がして(泥団子を作る要領である)団子を作った。15個程の団子が出来た。これをどうしたのかを思い出そうとしたが、なかなか思い浮かばなかった。野菜のごった汁の中に入れて煮たような気もするし、油で揚げたのかもしれなかった。とにかくいろいろなバージョンの料理があったような気がする。

 今回は、つみれ上げを作ることにした。新しい油を用意して、はじめは200℃で表面が少し茶色になるくらいに熱し、その後160℃で7~8分程あげた。香りは母の作ってくれたものを思い出すほどに良かった。

 おろし生姜醤油で食べてみた。筆者の妻は青光りする魚はほとんど食べないのだが、これは美味しいと行って瞬く間に半分ほどを食べてくれた。筆者自身も自作自讃になるが上手いと思った。

 昭和の初期は戦争・戦争の連続であったが、現代のようにモノがあふれる世界と違って、多くのモノを家庭で手作りしていた。料理も、いわゆる本当の意味で庶民の味を作り、あの家の○○はいつも美味しいねとか、△△は、あの家で作ったモノが上手いねなどと、それぞれの家の特色になっていた。各家庭では余裕があるときには、料理を少し多めに作り、隣近所へ配ることがあった。こうして庶民の味は、広く伝わっていったのかもしれない。

 次回つみれ団子を作ったら、野菜のごった汁に入れて食べてみようと思う。

 ちなみに鰯は1尾40円相当であった。


政治家の皆さんへお願い

2011年06月01日 13時38分26秒 | 日記・エッセイ・コラム

 はじめに、政治家の皆さんへ一言苦情を申し上げます。

東日本大震災の発生とそれにともなう巨大津波の影響により発生した広範囲にわたる災害、その中でも世界的にも希有の原子力発電所の事故はなんともいいようがありません。

この状況下にあって皆さんは、国会で何をしていますか?

テレビや新聞などの報道を見ていると、私どもには権力闘争をしているとしか思えません。世界的な危機状況下にあっても、あなた方は権力闘争に明け暮れているように見えます。私どもはこんな政治家を選んでしまったことを非常に後悔しています。今は、世界へ日本の復興について最大の努力をしていることを発信しなければならないときです。そんな大事なときに、日本の政治家は野党も与党の中からも政治の空白をもたらすような事態を引き起こそうとしているのは情けないと思います。

 皆さんの言い分は、きっと次のようなものだろうと思うのです。

 今の内閣では、この事態を収拾するのは困難である。だから自分たちが内閣を担当して上手く収拾するというのでしょう。

 政治家の皆さん、日本国民のこの災害に対する真摯な行動を見て下さい。義援金の申し出や現地へ行って被災者と一緒になって汗を流している姿を見て下さい。このような姿を見て、あなた方は何を感じたのでしょうか。あなた方は、被災地へ行っても、話を聞き見て回るだけでしたね。何人の政治家がボランテアを体験したでしょうか。と聞くと(我々は政治家である、したがってボランテアをやる時間に復旧復興に関する予算編成や関連法律を作るのが仕事でありそのことを通して被災者の皆さんへ援助をしている。)というのでしょうね。それは自分たちの仕事であって、仕事をするのは当たり前です。実際に国会内で仕事をしていますか。TV中継や新聞報道を見ているとあれが国会議員の仕事とは思えません。一時も早く被災者に安心して復興に力を注ぐことが出来るようにして下さい。そのためになら国民も協力を惜しみませんよ。

 内閣は数回にわたり、与野党一致してこの未曾有の災害に立ち向かうよう協力を求めていたと報道されています。とくに野党の皆さんは、こぞって背中を向けてしまいましたね。それから、初期の対応が悪かったと行って、責任ばかりを追及してきました。今日の報道では、野党が提出する内閣不信任案に与党の中からも協調する人が相当数いると書いています。そんなことでこの危機的状況が乗り切れるのでしょうか。

 原発事故の事態は緊迫した状態だったのです。企業(東電)側も高濃度の放射能の中に入ってより正確な状況を把握しようと試みたことでしょう。しかし、致死量に相当する放射能の中に入ることは、誰もが了解するように困難だったのです。したがって、原発事故に関する情報は錯誤したものになってしまったのでしょう。企業側にも苦言を呈したいと思います。何故もっと早く、無線操縦の機器(ヘリコプターなど)を導入して状況把握に努めなかったのでしょうか。

 事故の状況について、危険な程度を少なくして発表したかったのでしょう。そうした情報が、その後の混乱をさらに複雑にしてしまい、政治の危機にまで発展させる結果になってしまったのです。その場限りの取り繕った情報は、修正するために更に取り繕った情報を流さなければならなくなったのでしょう。そしてそれが世界へ日本の混乱した状況が伝わり、日本の信頼が失われる結果になってしまったのですよ。世界の国々は日本の状況変化をじっと観察しています。

 政治家の皆さん、私たち国民はもとより、世界中の人たちに対しても政治の混乱を見せないようにして下さい。そして、これ以上政治に対する不信感を深めないで下さい。

 内閣の責任追及は今の事態が少しでも好転の様子が見えてきたら始めて下さい。それまでは、全議員が協力して事故災害の修復に努力して下さい。