寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

台風15号被害

2011年09月22日 12時49分08秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今年はいろいろと自然災害が多いような気がする。もちろん自然災害に付随する人工災害と呼べるような甚大被害を発生したものもあった。

 さて、台風12号による被害が諸処に発生して、それが修復する間もないのに台風15号が襲来した。9月19日、筆者の娘家族が沖縄に旅行で出発した。台風15号が沖縄付近に停滞して飛行機が飛ぶのかどうか心配していたが、台風15号は太平洋高気圧が後退したことと連動して北東に進み始めたために飛行機は出発できた。

 台風15号はスピードを上げ、九州南部、四国紀伊半島に激しい風と大量の雨を降らしながら進み多大の被害を引き起こした.その後、静岡県の御前崎付近に上陸し、富士山に向かった。その間台風15号は日本付近を流れる暖かい黒潮からエネルギーを吸収して強さを増していった。中心付近の気圧は940~950hPa(ミリバール)と強い勢力を保ったまま更に北東に進んだ。筆者の家は、13時過ぎに筆者の家付近も暴風圏に入ったらしく南東の強い風が吹き付けるようになった。雨も激しく雨戸をたたきつけた。15時過ぎに風は家が揺れるほどに強い風が吹き付けてきた。屋根の上を何かがごろごろと大きな音を立てて転がって西の屏の外へ飛んでいった。しばらくすると、。北東側の雨戸を激しく何かで叩かれるような音がし出した。筆者は激しい風によるものと思っていた。そこへ近所の方から電話があり、屋根のトタンが剥がれて風に舞っていると知らせてくれた。外へ出てみると、剥がれたトタン屋根が強風に踊っていた。その様子を見ていると、北側の家の方が出てきて、筆者の家の屋根から飛んでいったトタン屋根の一部が文名内側をかすって道路に落ちたので道ばたに寄せておいたと伝えてくれた。お礼を言って、後ほど片付けるといって断って、お引き取りただいた。

 家に入り警察へ電話をして、事情を話し危険だから家の付近の道路を交通止めにしてほしいと依頼した。後で見に行くが、屋根のことは他にもたくさん処理しなければならないことがあり、出来たら自分で処理してくれる方を探してみてくれということだった。そこで次に消防署に電話をかけた。消防署員の方は現在5~6件の対応をしているのでそれが済んだら来て下さるといってくれた。ぶらぶらして風に踊らされているトタン屋根を気にしながら待つこと20分ほど経過した頃に消防署員の方が4人来て下さった。下から検分した後で、強風の中屋根に上るというので驚いた。[気をつけて下さい」という筆者の声を聞きながら、屋根に上っていった。

 屋根から声がして、剥がしたトタンを下に落とすから危険のないところにいくようにといって安全を確認してから、それを落とした。風が少し弱くなってきたと感じた頃、消防署員が屋根から無事に降りてきた。トタン屋根は落としたものだけでなく、南側の部分も剥がれていたので、きちんと追って吹き飛ばされないように処理してくださったという。お礼に飲み物を差し上げようとしたら強く断られてしまった。

 その結果を警察へ連絡したところ、地域の交番の警官が様子を見に来て下さった。改めて、消防署員の方が応急処理をして下さったことを報告した。

 警察署も消防署も素早く対応して下さったお陰で、重大な事故にならなくて良かったと感謝の気持ちでいっぱいであった。

 さて修理を頼まなければいけないので、保険会社と建築会社へ電話した。その結果、本日、保険会社の方がお見舞いに来て下さり、保険手続きの方法などを親切に教えて下さった。

 後は、建築会社の方を待つだけである。現在屋根の一部が無いので、早く対応してくれるといいのだが。

 台風12号及び15号により被害を受けられた方々に謹んでお見舞い申し上げます。

 以上が我が家の台風15号による被害発生とその対処手続きである。普段無駄と思っていた保険がこんなに頼りになるとは思わなかった。

 


爺バカの記(1)

2011年09月17日 10時03分34秒 | 日記・エッセイ・コラム

 乳幼児の成長というのは、よく観察しているとなかなか興味深いものがある。1才10ヶ月になろうとしている孫娘は、親・兄弟や周辺にいる人の動作をよーく見ている。筆者が眼鏡を横に置いて新聞を読んでいると、つかつかと寄ってきて眼鏡を手にして、「どうじょ」といって渡してくれる。筆者は「ありがとう」といってそれをかけると、その様子をじーっと見ていたと思ったら、次回からは眼鏡をかけてくれるようになる。

 またあるときは、スリッパをぬいで椅子にかけていると、とことこと寄ってきてスリッパを手に取り履かせてくれる。一事が万事このようにいろいろ気を遣ってくれる。

 その孫娘は何故か筆者にべったりで可愛くてしょうがない。筆者の家へ来ると私の顔をしばらくじーっと見ている。そのうちにっこり笑って手の届くところまで近づいてくる。筆者は孫を抱き上げて高いたかいをしてあげると、何回でもやってくれとせがんでくる。筆者は腰の痛みを忘れて孫が納得するまで頭上に挙げてあげる。

 最近のある日、母親が用事で出かけるので少時預かってほしいといって孫娘を我が家へ連れてきた。筆者が孫娘と遊んでいる隙に、母親が出かけた。しばらくすると、孫娘はおもちゃをとりに居間の方へ行った。直ぐに戻ってきて私の手を取って居間の方へ引っ張って行った。その後、孫娘は真剣な顔をして黙り込んでしまった。

 [高いたかい]をしてあげようとしても、筆者を小さな手で押し戻してしまう。母親がいなくなったのを心配している様子であった。筆者の妻があやそうとしても言うことを聞かない。まったく手が付けられない状態になってしまった。必死に涙をこらえているようにも見えたので、飲み物や食べ物を見せても知らんふりしている。

 しばらくして母親が戻ってくると、満面笑みを浮かべて母親に飛びついていった。こんなに素早く様子が変わるのを初めて見た。母親は子供にとってこんなにも必要なものであることを改めて知った。

 孫娘は、言葉の意味もかなり理解出来ることがわかった。新聞を持ってきてというと、近くにおいてある新聞を持ってきて「どうじょ」といって渡してくれる。

 このように、おさな子の成長ぶりを見ているのが楽しくてしょうがないのが、近頃の筆者の自画像である。

 


今年のせみ鳴きの終焉

2011年09月12日 13時47分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

 2ヶ月にわたって鳴いていたヒグラシが9月の初めに鳴き止み、ツクツクボウシの鳴き声も時々鳴く程度になった。その代わりというか、一昨夜頃から庭で鈴虫が鳴き出した。初めのうちは涼しげな鳴き音にはほど遠かったがそのうちいい音を聞かせてくれるだろう。最近、アゲハチョウが庭のサザンカや他の花に止まったり、宙を舞ったりしているのを見かけるようになった。

 二百二十日は無事過ぎたが台風12号は、とくに近畿地方他の地域に多大の被害を置いていった.被害に遭われた方々にお悔やみとお見舞い申し上げる。

 秋分の日頃まで真夏日月ずくと言うことであるが、自然のうつろいは少しずつ色を濃くしてきた。今夜は中秋の名月とか、夜中に外が明るいので何気なくベランダに出て見ると中点近くに明るい月があった。

 高校を卒業して大学受験に失敗し、翌年の捲土重来を期して受験勉強に励んでいた頃、中学で首席を争っていた方から、「今夜は中秋の名月にあなたの来春の良い知らせをお祈りしています」という手紙をいただいた。筆者は、不覚にも中秋の名月という言葉に心当たりがなかった。これでは吉報を考えるどころではなかった。それから文系の勉強に力を入れ始めた。そのお陰で12倍という倍率の大学受験に成功することができた。

 若い頃には、いろんなことがきっかけになってふとしたときに些細なことが自分の才能と言うほどではないが何かに目覚めさせることがあるものである。せみや渡りの鳥などは何がきっかけになって行動を起こすのだろうか。やはり何かのちょっとしたことがきっかけになるのだろうか。


ツクツクボウシが鳴き始めました。

2011年09月01日 23時08分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日9月1日10時頃に、今年初めてツクツクボウシゼミが鳴き始めました。未だ、2匹しか鳴きませんが、このセミは数が少なくヒグラシやクマゼミのように騒がしくありません。何か懐かしい感じさえしました。ヒグラシはまだ4時50分頃から鳴き始めます。全山一斉に鳴くといった感じです。

 夜には、ガチャガチャが騒がしい音を立てています。

 台風12号が近づいています。初め当町を目指しているようでしたが、西に向きを変えたために四国を目指すように代わりました。しかし非常に範囲が広いために今のコースでも縁の方が当町にかかるような気がします。台風の東側になると、当家の南東側は開けているので、南東の風が強く吹くので注意が必要です。このときは全ての窓の雨戸を閉めることにしています。逆に、台風の西側に自分の家がある場合には、当家の西側には花粉で苦しめられる杉、檜の林があるので少し安心できます。北方向にある丹沢山群に海からの湿った南東風が当たると降水量が増えます。しかし、当家のあるところは60メートルほどの高台にあるので洪水の心配はないと思います。

 セミが鳴き、虫が鳴き、睡眠を妨げるようですが、それだけ自然に囲まれていると言うことで、四季折々の風景を楽しむことが出来ます。