不垢不浄
不垢不浄とはどのように汚く見えるものでも、必ず美しいものが宿っていることを実感することです。俳人放哉の「いれものがない、両手で受ける」の句のようにすなおな柔軟さで受け止めるところを、私たちが持っているのだと気がつくと、物体や現象を見る目が、少し違ってくるように思います。
今日、四国遍路道を世界遺産になんていってる人達もいるが、そのために遍路道を整備し遍路道の道ばたに様々な生活の廃棄物が散乱しているので、そのゴミをなくさなければと、ある物書きの遍路が文章にしてあった。しかし、御大師さんが遍路修行に来たときでも、道なき道を歩くのだから、そこに住んでいる人達の生活のゴミも当然あったと思います。だからゴミを道ばたに捨てていいものではありませんが、その時代の人間の生活を感じるのも遍路道のように思います。
遍路道をお遍路さんの便利なように、美しく公園化してしまっては本来の遍路道の意味がなくなってしまうと思います。
立江川の鮒より
不垢不浄とはどのように汚く見えるものでも、必ず美しいものが宿っていることを実感することです。俳人放哉の「いれものがない、両手で受ける」の句のようにすなおな柔軟さで受け止めるところを、私たちが持っているのだと気がつくと、物体や現象を見る目が、少し違ってくるように思います。
今日、四国遍路道を世界遺産になんていってる人達もいるが、そのために遍路道を整備し遍路道の道ばたに様々な生活の廃棄物が散乱しているので、そのゴミをなくさなければと、ある物書きの遍路が文章にしてあった。しかし、御大師さんが遍路修行に来たときでも、道なき道を歩くのだから、そこに住んでいる人達の生活のゴミも当然あったと思います。だからゴミを道ばたに捨てていいものではありませんが、その時代の人間の生活を感じるのも遍路道のように思います。
遍路道をお遍路さんの便利なように、美しく公園化してしまっては本来の遍路道の意味がなくなってしまうと思います。
立江川の鮒より
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