遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-02-03 12:45:15 | Weblog
   無門関
 人間としての、あたりまえのことを、あたりまえにする、なにも難しいことではない、お遍路さんがきたらお茶を出す。お遍路は出されたお茶を飲む、おせったいの気持ちがそこにある。あるお遍路さんが、私は四国遍路に修行にきたという、そもそも、その想いこそがこだわりです。歩き遍路にきたのだから自動車の送りの接待を断ったと言う、まさに修行が出来ていないですね。人間生活の日常あたりまえの平凡な暮らしこそ、修行の入り口であります。修行するのに入る入り口などはない、つまり門などはないのです、どこからでも入れるのです。...
 それが、無門関です。
                          立江川の鮒より
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 漁眼で見る遍路....鮒の... | トップ | 漁眼で見る遍路....鮒の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事