無門関
人間としての、あたりまえのことを、あたりまえにする、なにも難しいことではない、お遍路さんがきたらお茶を出す。お遍路は出されたお茶を飲む、おせったいの気持ちがそこにある。あるお遍路さんが、私は四国遍路に修行にきたという、そもそも、その想いこそがこだわりです。歩き遍路にきたのだから自動車の送りの接待を断ったと言う、まさに修行が出来ていないですね。人間生活の日常あたりまえの平凡な暮らしこそ、修行の入り口であります。修行するのに入る入り口などはない、つまり門などはないのです、どこからでも入れるのです。...
それが、無門関です。
立江川の鮒より
人間としての、あたりまえのことを、あたりまえにする、なにも難しいことではない、お遍路さんがきたらお茶を出す。お遍路は出されたお茶を飲む、おせったいの気持ちがそこにある。あるお遍路さんが、私は四国遍路に修行にきたという、そもそも、その想いこそがこだわりです。歩き遍路にきたのだから自動車の送りの接待を断ったと言う、まさに修行が出来ていないですね。人間生活の日常あたりまえの平凡な暮らしこそ、修行の入り口であります。修行するのに入る入り口などはない、つまり門などはないのです、どこからでも入れるのです。...
それが、無門関です。
立江川の鮒より
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