せちがらい
漢字を当てると、世知辛いとなる。俗世間では世渡りの知恵、才覚のあることを言っているが、さらにぬけめがない、打算的の意味が強まったのが、「せちがらい」四国遍路に来る意味としては、俗世間のせちがらい世渡りを、歩き遍路をしている間だけでも、世知辛さを捨て去ろうとしているのだろうと思う。ところがまだ徳島県を歩いている間は、その世知辛いがなかなか捨て去れない、長い間せちがらい生活をしてきた習慣が捨て去れない。「せちがらい」を背中いっぱい背負って遍路道を歩いている。徳島の遍路道はその「せちがらい」がどのようなことなのか教える遍路道だろうと思います。やがて世知辛いがぬけて修行の道場、高知県に向かう厳しい遍路道となるのです。
立江川の鮒より
漢字を当てると、世知辛いとなる。俗世間では世渡りの知恵、才覚のあることを言っているが、さらにぬけめがない、打算的の意味が強まったのが、「せちがらい」四国遍路に来る意味としては、俗世間のせちがらい世渡りを、歩き遍路をしている間だけでも、世知辛さを捨て去ろうとしているのだろうと思う。ところがまだ徳島県を歩いている間は、その世知辛いがなかなか捨て去れない、長い間せちがらい生活をしてきた習慣が捨て去れない。「せちがらい」を背中いっぱい背負って遍路道を歩いている。徳島の遍路道はその「せちがらい」がどのようなことなのか教える遍路道だろうと思います。やがて世知辛いがぬけて修行の道場、高知県に向かう厳しい遍路道となるのです。
立江川の鮒より